愛語

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『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――(7)

2010-06-23 22:42:43 | 日記
 デボラ・カーティスは、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』の中で、イアンの読書傾向について次のように記しています。この部分(第8章、ペーパーバックのp.90)は邦訳本では脱落しているので、拙訳を載せます(邦訳本の脱落については、別に記事を立てたいと考えています)。

 彼はナチスドイツについて書かれた一組の本を買って帰ってきたが、主に読んでいたのはドストエフスキー、ニーチェ、ジャン・ポール・サルトル、ヘルマン・ヘッセ、J・G・バラード、J・ハートフィールドによる反ナチスの合成写真本“Photomontages of the Nazi period”、この本はヒトラーの理想の蔓延を生々しく証明したものだ。J・G・バラードの“Crash”は、交通事故の犠牲者の苦しみと性衝動を結びつけたものだ。イアンは空いた時間の全てを人間の苦難について読んだり考えたりすることに費やしているように感じられた。歌詞を書くためのインスピレーションを求めていたことは分かっていたが、それらは皆、精神的肉体的苦痛を伴う不健康な妄想の極みだった。私は話をしようと試みたが、記者たちと同じように扱われた――無表情で、沈黙するだけ。イアンが唯一それについて話した人物は、バーナードだった。

 デボラは、こう書いた上で、バーナードの次の発言を引いています(出典は不明。『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』には、関係者たちの発言が多数引用されていますが、それが、デボラのインタビューによるものなのか、雑誌などからの引用なのか、特に記されていません)。

 僕が住んでいた所にはいくつも防空壕があった。僕の家の裏庭には防空壕が一つあって、僕たちが遊んでいた通りの外れには地下壕があった。子どもの頃テレビで見た映画は皆、戦争についてだった。だから成長して過去に何があったのか理解するようになると、みんな自然に戦争について強い興味を持つようになったんだ。戦争の話なんて時代遅れだ……避けるべき話題だ……そうかもしれないけど、僕は風化させるべきじゃないと思った、僕たちの関心はそこにあった……それは僕たちが生まれるたった10年前のことで、そんなに昔のことじゃないんだ。  バーナード・サムナー

 イアンが関心を持っていたのは「人間の苦難」や「現代人の失敗」(「Failures」)で、ドイツ第三帝国はその最たるものだったといえます。ここに挙げられた作家や作品は、歴史の暗部や悲劇、そこに顕れる人の心の闇を見つめているという点において共通しています。
 『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――�の記事に、ジョイ・ディヴィジョンがナチズムを取り上げたのは、パンクの影響で、いかに人を不快にさせられるかだったというバーナードの発言を記しました。その一方で、ここに引かれるバーナードの発言からは、そうした一面のほかに、戦争の記憶を風化させるべきではないという考えもあったことが分かります。イアンが唯一、自身のこうした思考の傾向について話していたというバーナードの発言ですから、これは、「僕たちの関心」と言っていることからしても、イアンとの共通認識だというつもりで、デボラは引用しているのでしょう。
 なぜ風化させるべきではないのか――それは、こうした悲劇が繰り返されているからであり、バーナードが言うように「たった10年前のこと」で、決して他人事ではなく、自分や自分の祖先とも繋がっていることだからではないでしょうか。自分が今生きていることと無関係ではないのです。人間が本質的に持っている性質だからこそ、繰り返されるのでしょう。
 イアンが主に読んでいたというこれらの哲学や文学は、人間が起こす悲劇を、他人事ではなく身につまされるものとして考えさせる力を持っています。「人間とは何か」というテーマがあり、人間存在の本質への問いかけを持っているという点で共通していると思います。哲学はどこまでも論理的にそれを突き詰めようとしますが、理性よりも感性に、感覚に訴えていこうとするのが文学だと思うのです。
 私はイアンの詩について、こういった意味での文学性を感じます。インスパイアされたとみられる歴史・哲学・文学が詩に直接表れるということはありません。『An Ideal For Living』におけるナチズムに限らず、イアンの詩全般について言えることですが、あくまで暗示的で、サブリミナルな影響を及ぼすような存在として詩の中に配されています。分かりやすい主張はありませんし、体系立った思想にもなっていません。しかし、そこには、一貫して自分自身を含めた人間存在への切実な問いかけが含まれていると思うのです。
 『An Ideal For Living』において、イアンがナチズムを取り上げたのは、単なる好奇心ではなく、もちろん礼賛でもなく、批判でもなかったことが、詩を読んでいて分かります。彼が表現したのは、インタビューで自身が語っているように、ドイツ第三帝国から触発された潜在意識です。それにより、彼はニヒリズムを象徴的に表現しました。詩を書くことに含まれる一連の行為によって、彼は自分自身の心の底を覗いていたのだと思います。そこで見えたものが、人間の本質に通じるものであれば、分かりやすさを拒否したような詩であっても、聴衆に強いインパクトを与えるはずなのです。


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