今日は小田原市箱根板橋にある「宗福院地蔵堂」
板橋地蔵尊の大祭には、旧東海道の町並みの両側に多数の露店が軒を連ね、お参りで賑わいます。
この地蔵尊は「板橋のお地蔵さま」と呼ばれ、古くからこの地方に名高く知られわたっている。
永禄12年(1569)、香林寺九世の文察和尚は、身丈一丈(約330センチ)の大坐像を造り、
箱根湯本の宿古堂に祭られていた弘法大師彫造の御真体を胎内に安置したといわれている。
毎年1月と8月の23日・24日の両日が縁日で、当日は境内及び参道に市が立ち参拝者で賑わう。
この地方では、新ホトケが出た時、その家族及び縁者が3年間つづけてこの地蔵尊へ参詣する習俗があり、
この日に参詣すると故人に似たひとに必ず合えるといわれている。
この境内には、寛政7年(1795)に建てた一刀流6代目の横田常右衛門豊房と7代名坂四郎治政宣の供養碑が立っている。
また明治戊辰の役の後に、合戦の犠牲者となった官軍の軍監中井範五郎らあわせて13名の姓名を刻んだ慰霊碑もある。(境内掲示より)
毎回出掛けているが、混雑が予想されるので朝8時過ぎには参拝を済ませるようにしている。
また帰りには城址公園へ立ち寄った。
板橋地蔵尊の大祭には、旧東海道の町並みの両側に多数の露店が軒を連ね、お参りで賑わいます。
この地蔵尊は「板橋のお地蔵さま」と呼ばれ、古くからこの地方に名高く知られわたっている。
永禄12年(1569)、香林寺九世の文察和尚は、身丈一丈(約330センチ)の大坐像を造り、
箱根湯本の宿古堂に祭られていた弘法大師彫造の御真体を胎内に安置したといわれている。
毎年1月と8月の23日・24日の両日が縁日で、当日は境内及び参道に市が立ち参拝者で賑わう。
この地方では、新ホトケが出た時、その家族及び縁者が3年間つづけてこの地蔵尊へ参詣する習俗があり、
この日に参詣すると故人に似たひとに必ず合えるといわれている。
この境内には、寛政7年(1795)に建てた一刀流6代目の横田常右衛門豊房と7代名坂四郎治政宣の供養碑が立っている。
また明治戊辰の役の後に、合戦の犠牲者となった官軍の軍監中井範五郎らあわせて13名の姓名を刻んだ慰霊碑もある。(境内掲示より)
毎回出掛けているが、混雑が予想されるので朝8時過ぎには参拝を済ませるようにしている。
また帰りには城址公園へ立ち寄った。