今週封切られたばかりなので、あまり書けないですね。
本作は随分宣伝広報に力が入れられているので、リベラの歌う主題曲「あなたがいるから」とともに紹介された映画の中のいくつかのシーンは、すでに皆さんのイメージの中に叩き込まれてしまっているのではないでしょうか。ゆえに、もう多くの方がストーリーをご存知かなと。正直な感想として本作は徹頭徹尾、そのリベラの歌の世界、つまり、祈りに行き着くような流れになっているので、リベラの起用が功を制したと言っても過言ではない、そういう作品に仕上がっていると感じました。
なので、ここでは出演者と登場人物のことを書こうかと思います。
まずは、佐藤浩市。言わずとしれた名優三国連太郎のご子息。実にいい俳優になったと感動を覚えました。彼の背中が物語っている重さが、この作品のテーマと言えるほど、本当に良い俳優を起用したなあと感服。
人生において昨日までの暮らしがいきなり破綻するようなことが起こったとき、その衝撃の只中に立たされてしまった人間なら誰でも体験する思い、「誰も守ってなんかくれないんだよ」
佐藤浩市が演じる勝浦刑事、彼のこの言葉の重さは、勝浦自身がそうした思いを抱えた人間の一人だからです。
(勝浦刑事を演じる佐藤浩市 48歳)
仕事での使命と責任を果たすべく努めている人間なら皆、守るべき家族守りたいはずの家族を守れないような状況に置かれるといった状況に立たされることもままあるに違いない。そうしたときの胸が圧縮されるような焦り、苦しさ・・・・に、外で働く仕事を持つ親なら一度は背筋が凍るような体験をするのではないか。特に
仕事で家に帰れないということのある仕事を持つ親なら、そうした体験のない人はいないのではないでしょうか。
勝浦は、事件の加害者の家族を保護するという仕事を命じられた刑事ですが、そのせいで自分の家族を自分で守りたくとも守ってやれない。不本意ながらも、そうした不条理の中でかろうじてバランスを取りながら、勝浦刑事は任務に付くわけです。
映画の公開に先立ってTV放映された「誰も守ってくれない」をご覧になった方なら、勝浦刑事が抱える背景はご存知でしょうが、刑事として、守るべき市民を守れなかったという事件の責任をずっとひきずっているわけです。
(学校にいる志田未来演じる容疑者の妹に、先生から連絡が入るシーンですが、台詞は一切無し。リベラの音楽だけが流されるという冒頭は実に見事な演出でした)
あまりにも凄惨な事件が多いいまの日本社会の縮図として、本作は事件が起こった場合に発生するもろもろの事象を同時発生的にに取り上げていくので、社会派ドラマであると同時にサスペンス仕立てのエンターテイメントになっているけれでも、事件の加害者家族と被害者家族を取り上げている点で、家族のドラマともいえる作品になっています。猟奇的な殺人事件を起した犯人(裁判で有罪が確定しない段階ゆえに”容疑者”という法的な呼び方をしている)が逮捕された後、容疑者の家族がどういう状況に置かれるか。
ちょっと頭をかしげる場面ではあるけれど、押しかけるマスコミが容疑者の家を包囲する中、容疑者家族は別々に事情聴取を受けるために別々に保護される中、未成年の15歳の妹を勝浦刑事が担当することになる。
(このマスコミ報道陣に取り囲まれるシーンの臨場感、日本映画では久しぶりに観たような気がします)
その15歳の妹沙織を演じていた志田未来。役柄の中学三年生の女の子と同じ15歳ですが、実にそのままというか、誰も守ってはくれないのだという状況になったなら、自分はどうなるか。そういったことをしっかり考えての演技になっていたのではないでしょうか。
さすが、「女王の教室」もとい「14歳の母」の女の子。
カメラが彼女の目を捉えるとき、
その目が凄まじく良かった!
志田未来の目の力でもありますが、
撮影担当の栢野直樹の力量ですね。
本作で空振りだったのが、こちら。
勝浦刑事のカウンセラー役の木村佳乃です。
(最近いろいろの意欲作に出ているなアと思う木村佳乃 32歳)
こういうシチュエーションでそういう台詞はないだろうと思われた台詞の責任は彼女にはないけれど、勝浦と沙織が身を潜ませていた彼女のマンションをマスコミにかぎつけられたとき、他所に移動する二人を見送るときの表情は、ちょっと浮いていたように感じられて残念な気がしました。
ただ、彼女のマンションのダイニングキッチンに置かれていたエスプレッソマシンと電気ポット、リビングのインテリアなどで玲子さんというカウンセラーのタイプが分かるようになっているので、インテリアに関心のある方にとっては見所の一つですね。
木村佳乃はイマイチの役柄でしたが、
凄みのある表情を思いがけなく見せてくれていたのはこちら。
(こちらもいろいろの作品でいろいろの役を演じている佐々木蔵之介ですが、まだ40歳なんですね)
容疑者の妹を保護してマスコミから逃げる勝浦刑事の顔を見て、数年前の事件を思い起こし、容疑者の家族からではなく、犯人の家族を保護する刑事である勝浦からインタビューを取ろうとするマスコミの記者。その執拗な取材ぶりを凄みをもって演じる佐々木蔵之介の役どころもまた、「誰も守ってくれない」の体験者。
いじめが原因で学校に行けなくなった子供を持つ父親として、いじめた生徒ではなくいじめられた生徒を切り捨てた学校の姿勢に、「誰も(我が子を)守ってくれない」といういまの日本の教育という現実に怒りを溜めつつ、学校に行けなくなった我が子を家に残して仕事をしている。彼もまた、こうした不条理の中であがき苦しんでいる親の一人。
そうした「誰も守ってくれない」という思いを抱く登場人物たちの思いが重なり交差する本作の中で圧巻なのは、何といっても「室井さん」のイメージを残しながらも、殺傷事件でまだ幼かった一人息子を失った父親を演じている柳葉敏郎の演技。
(数年前の事件の被害者の遺族を演じている柳葉敏郎。本作が制作されたときは47歳で、佐藤浩市より一歳年下ながら、老け込んだ感じが被害者の遺族として生きる時間の重さを感じさせるものでした。)
この柳葉演じる父親と佐藤浩市が向き合うシーン、二人の台詞はそのままお互いの胸を抉るものですが、そういう台詞を口にしなければならない双方の思い、双方の立場、それらに思いを馳せるとたまらなかったですね・・・
そうした状況の勝浦刑事に娘から電話でSOSが入る・・・・犯罪者の家族を保護しているためにマスコミが自宅に押しかけ境遇が一変してしまった中で「お父さん、帰ってきて」と叫ぶ娘。勝浦刑事の胸中を推し量ることのできる観客は幸いです。離婚寸前で崩壊しそうな家庭で一生懸命な娘なのに、帰れない帰ることができない父親というものに思いを馳せるとき、家族としてわたしたちは成長できるかも。
ところで、志田未来が演じた沙織、そして彼女の兄の容疑者の少年にも父親がいます。映画では冒頭に出てくるだけで、本作が進行している間どこかで警察の事情聴取を受けているはずという設定ながら、あの父親ではパニックになり娘のことなど頭にないだろうなぁ・・・とぼんやり思ってしまいました。
殺人事件を我が子が起してしまった親の気持ち・・・・
想像するだけで卒倒しそうになりますけれど、
我が子を守りたいと思う気持ちは、
奮い立たせなければ、闘う気持ちを持たなければ、
きっと何かに負けて失ってしまう気がします。
人間って、セルフィッシュで弱くて、
いつだって壊れる壊れ物だから。
(石田ゆり子、39歳。今年40歳になるんですね・・・・)
柳葉の妻役、同じ可愛い盛りの息子を事件で失った母親役を演じていた石田ゆり子ですが、本作ではリベラの歌声が一番染み入る存在でした。彼女の声と話し方、台詞・・・・、柳葉敏郎同様に、大変な緊張感を覚えました。脚本の良さですね。
本作は、脚本担当の君塚良一と音楽担当の村松崇継、そして、撮影担当の栢野直樹といずれも記憶に留めたいスタッフです。
こうしたシリアスなテーマを持つ本作が、エンターテイメントになっているのは、やはり以下の個性派のお二人ゆえでしょうか。
(佐野史郎、53歳。個性派俳優ながらいい役者さんになりましたよね。晴彦さんだったか、あの異様なマザコンン息子の役が思い出されますが・・・)
自分の判断ミスを部下のせいにして平気でいる厚顔さに加えて、組織の非人間性といった部分を体現しているあたり、”はまり役”の佐野史郎で、エンターテイメントの定番としてのキャスティングという印象を受けました。気負わずにこういう役を見事に演ってみせるのですから、さすがといっていいかも。
そして、もう一人はこちら。本作ではカーチェイスのシーンとラストでの車でのシーンでいい味を出して見せてくれていましたが、佐藤演じる勝浦刑事との相棒ぶりが「セスジ ガ コオル」という繰り返される台詞で表現されているところ、唸らせられますね。
(松田龍平 25歳。デビューした「ご法度」当時の顔とは随分違ってきましたね。あれからいろいろな作品に出ていますが、NHKの大河ドラマでは今回、伊達政宗を演じるとか、楽しみです。10年後が楽しみな俳優になりましたね)
15歳の志田未来が15歳の中学三年生を演じる中、その同級生のボーイフレンドの男子生徒を演じたのは、この富浦智嗣(さとし)という若手ですが、
(沙織のボーイフレンド役の富浦智嗣 17歳)
高校2年の娘が言うには彼は17歳だとか。それにしては幼いというか、中坊に見えました。声変わりしていないせいでしょうか。
はたまた演技力のたまものか。
匿名性のネット世界のおぞましさを印象付ける役でしたが、糾弾というものが匿名でなされるときの怖さ、そして劇場型で展開される2チャンネル社会というものを、私たちはどう考えどう対応していけばいいのか、考えさせられます。
少年法は改正されたけれども、未成年の犯罪をなくしていくには家庭や学校を構成する大人たちがどう変わればいいのか。我が子が被害者にも加害者にもならない社会をどうすれば作っていけるのか。組織の歯車などという古い言葉を持ち出しても始まらないけれど、仕事をして生きていくときに私たちが直面する問題の中で最大の矛盾、「家族のために働いている、その仕事のせいで家族が崩壊する」「家族を守りたくて仕事をしている、その仕事のせいでその家族を守れず失ってしまう」という状況とどう向き合い家族を守っていくか・・・・
言うは易く行うのは難しいことばかりです。
まさに砂漠に如雨露で水を撒く様な感じを抱かされることばかりですが・・・・考え続けていかないと、失ってからでは遅すぎる。覆水盆に帰らずです。
それにしても、冒頭から前半、一こま2秒という「ボーン アルティメイタム」同様の切り替わりのスピード感、そしてシャブ漬けになったチョット前の過去が嘘みたいな清涼感ではあったけれども、その松田龍平と佐藤浩市の両刑事の相棒ぶりなど、シリアスさと両立するエンターテイメント性でしたが、映画全体の統一感が損なわれていないのは脚本が良かったからでしょうか。良く出来た脚本だと思いました。ただ、佐藤浩市の勝浦刑事に歩かせるラストの演出は、「ああ、こういったところ、やっぱり日本映画だなあ」とちょっと残念で、もうちょっとどうにかならなかったかなあと。
末尾ながら、実は、個人的に「〇〇してくれない」という発想が普段あまりないせいか、映画のタイトルには少なからず違和感がありました。こういう「〇〇してくれない」という発想って、世界に通じるのでしょうか。