【ノスタルジックじゃつまんない?】

2003年12月生まれ(7歳)
2008年6月生まれ(2歳)の娘の父親です。

08【ごっついことになっているベルリン(その2)】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
かの国境「チェックポイントチャーリ」では、強制的に両替させられる。

1西ドイツDM=1東ドイツDM (当時80円ぐらい)

ただし、最低でも、25DMの両替を強いられる。
東側で、25DMは大金です。 1日で使ってしまえないくらいだ。  

『ちぇ、フィルム買うお金をけちってるぐらいなのに・・・ 25DMっていえば、2日分の生活費だぞ~~~』と、文句を言っても始まらないので、なすがまま25DMを両替した。

『え゛!手数料もとるの?』痛い痛い、痛すぎる出費だ。

その「入場料」を支払い、東側へ入るとそこは、まさに別世界だった。
あまりにも閑散としている。
日曜日だからか、数少ないお店もほとんど営業していない。
東ベルリンの寒さが、その閑散とした雰囲気に追い打ちをかける。
古い建築物なんかは、西側となんらかわりないんだけど、どことなく薄汚れていて、町全体が、「グレー」で、どんよりしていた。

さて、早速お金をつかいきろうと、レストランを探す。
ロベルトも、早くお金を使おう!と意気込んでいる。
なんか全く繁盛してなさそうな、お店を見つけた。
どんなに注文しても、10DMもしない・・・。
しかも「学食」よりもひどい紙のようなお皿に、アルミのナイフとフォーク・・・味なんて、味わえるわけもなく・・・。
ホントに、東側の現状を見たような気がした。
で、おつりの小銭をみてさらにびっくり! なんだよこれ・・・全てまるで1円玉のようなアルミ・・・  
1DMって言えば、西ドイツだと100円くらいの価値があるのに・・・
いや、ここ東側では、300円くらいの価値があるのに・・・まるで、1円玉。 記念にもって帰ろう。お金の「使いみち」が一つできたね。  

さて、残りのお金はどう使おうか・・・。
まず、やっとあいているお店をみつけ、水やお菓子を買う。
で、ひととおり町を歩こうということになり、ぶらぶらしてみる。
何気なく、町並みを写真に納める。 公衆トイレのドアとか、くだらないものまで・・・。  

町を歩く人が着ている服は、どことなく「古い」。センスがないはずの西ドイツの人たちに比べても、東ドイツの人は、さらにセンスがない・・・。  
路上駐車してある車なんて、いったい何年前のものなんだ~!レトロカーの展示場ですか?ってビックリの連続。
西側から来た高級車と、その「トラバント」と呼ばれる東側の車の「コントラスト」を写真に納めた。  

そんなこんなで、かの「ブランデンブルク門」に到着した。
ここは、大通りだが、ブランデンブルク門の先は「壁」で、まったく大通りの機能を満足していない。
東側からではその壁に近づくこともできない。
数日前に、ここを乗り越えようとして、射殺された人がいると聞いた。 まさに「現場」だ。  

とても写真に納める気がしなかった。観光気分になれなかった。
東側にいても「ヒマ」なので、夕方には西側に戻ることにした。
再び西側に戻り、西側からブランデンブルク門に近づいてみようと、向かうことにした。
もう、日が暮れてきている。  
到着すると、東側とは違った壁だ。
好き勝手にペイントしてある。東側からだと、グレー一色、無言の壁なのに。
そして、壁にはたくさんの人がむらがり、ハンマーを手に、壁を砕いている。

どういう状況なんだこれは???

全く理解できなかった。  
ただ、壁を砕いている人々。
しかも、誰も止めようとしない。
数日前までは、「射殺」された人もいるというのに。
事情は、よく理解できなかったが、これは「チャンス!」と思い、ロベルトにハンマーを借りて「少しだけ」ベルリンの壁を破壊した。  
そして、壁に名前を刻み込んだ。「オレの名前はここに記された!」そんな満足感があった。

数カ月後に「瓦礫」になるとも知らず・・・。  

そして、いくつかの「かけら」をお土産に持ち帰ることにした。  
そこで、だ。 「壁の記念」、「歴史の瞬間」を撮影するためのフィルムがない・・・。  
東で、フィルムを全部使い果たしていた。(トイレのドアなんてくだらないもの・・・撮らなきゃよかった)  
ロベルトが1枚撮ってくれた。 大切な記念写真になった。

その夜の夜行列車で、ロベルトは、東ドイツの紙幣を破り捨てていた。

「あ~もったいない」

しかしロベルトは、こうすることで、「使えないお金」に対する鬱憤をはらしているのだろう。  
その夜行列車のなかで、一人のスイス人女性と仲良くなった。
彼女は、スイスのフランス語圏のローザンヌまで帰るらしい。

『もし、ローザンヌに来ることがあったら、寄ってね』と住所と電話番号をくれた。  

この住所が後で役に立とうとは・・・このときは思いもしなかった。

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