【ノスタルジックじゃつまんない?】

2003年12月生まれ(7歳)
2008年6月生まれ(2歳)の娘の父親です。

59【エピローグ】

1990-02-22 | 【イタリアに恋したわけ】
駅のアポテーケで待っていると、エンリコがキヨシの荷物を抱えてやって来た。

夜行列車の出発の時間までの小一時間、ふたりは駅構内のカフェで過ごした。

エンリコはキヨシの荷物の他に、母の作った生ハムサンドを持ってきてくれていた。
夜行列車の中で食べてねと・・・。エンリコ母のぬくもりを感じた。

夜行列車に乗り込むと、キヨシは窓から顔をだした。ハイデルベルクでのお別れの時とは逆だ。
エンリコもキヨシも言葉はなかった。

 「チャオ!エンリコ(またなエンリコ!)」
「チュース!キヨシ(またなキヨシ!)」

キヨシはイタリア語で別れを、エンリコはドイツ語で別れをつげた。
発車間際のこの短い言葉が、お互いの精いっぱいの言葉だった。

アリベデルチ(さようなら)大好きなイタリア。

キヨシを成人にしたこの一人旅はここで幕を閉じる。

翌日ハイデルベルクに着くと、荷物を預けていたお姉さんの家に一晩泊めてもらった。
一人旅の話を夜通し全部聞いてくれた。

たくさん笑った。
そしてたくさん泣いた。
そして少し寝坊した。


帰国後、親父やお袋と話す土産話に涙はなかった。



「またな!エンリコ」

1990年2月
キヨシ19歳記す。

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2003年12月・・・キヨシに娘が誕生した。
キヨシは娘にイタリア語で名前を付けた。

「いえり(昨日)」という名前を。

父ちゃんの恋した国の言葉だよ。
そんな昨日があったから、今日や明日があるんだよ。

娘はニコっとしてくれたように見えた。

エンリコに電話した。
娘が生まれたよ。イタリア語で名前を付けたよ。と。
エンリコはとても喜んでくれた。

明け方の細い月がとてもきれいに見守っていた。


2003年12月
キヨシ33歳記す。
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58【イタリアに恋したわけ】

1990-02-19 | 【イタリアに恋したわけ】
キヨシはひとり、フィレンツェの旧市街に来ていた。
もう、観光するところなんてない。
ただ、イタリア最後の日、ポンテベッキオ(古い橋)のかかるアルノ川を眺めながら物思いにふけっていた。

初めての海外。
初めてのドイツ。
初めての留学。
右も左も判らない。

そんな気持ちでさびしくて泣いていたハイデルベルクのネッカー川のあの頃。
たった数ヶ月前のことが、懐かしく思えてしょうがなかった。

ドイツに到着した初日に「もう帰ろうか・・・」って泣いたっけな。

ふと、足もとに目をやった。
履き古した濃い緑のスエードの靴・・・。
クリスティーナはとてもおしゃれな靴だとほめてくれたっけ・・・。

この靴はいろいろな出会いと別れを運んでくれたよな。
たくさんたくさん歩き回ったよな。

凍えるほど寒かった北欧の大地もこのスエードのおかげでなんとかしのげたよな。
でも雨に濡れると、しみて冷たかったっけ。

日本を発つときはまっさらだったのにな・・・。
今はもうこんなにボロボロだ。

この靴で、イタリアを初めて踏みしめたのはクリスマスの頃だったな。
楽しかったな。


もう二度とこの靴でイタリアを踏みしめることはないんだろうな・・・
寂しいな・・・。

そんなことを考えた。涙がこぼれた。何かを失うときの涙だった。

・・・確信した。


キヨシもこの靴もきっとイタリアに恋していると。

おしゃれな靴屋さんで靴ひもを買った。
真新しい靴ひもにとりかえた。

その靴は少し喜んでくれたように見えた。

「きっと、別の新しい靴がキヨシをイタリアへ運んでくれるよ・・・!」

そう言っているようにもみえた。





イタリアに恋したわけ(1990年2月)


・・・fine・・・

57【エンリコと過ごした1週間】

1990-02-19 | 【イタリアに恋したわけ】
昼間、エンリコもロレンツォも学校でいない日は、母とたくさん話をした。
キヨシは片言のイタリア語で、母は片言の英語で。
一緒に夕飯の買い物をしたりもした。

夜は、エンリコの友人達と遊んだ。
ドイツ語を話す友人もいた。

夜中に遠く離れた街のディスコテークにも行った。
日本人は誰もいなかった。
朝まで踊った。

手ぶらでフィレンツェの街を散歩した。
イタリア人観光客に道を尋ねられた。
少しだけ、イタリア人になれた気がした。

週末には、父の運転でドライブに出かけた。
ヴォルテッラという、古い街に連れていってくれた。

あっという間に1週間が過ぎてしまった。

月曜日の夜行列車でハイデルベルクに戻らなければならない。
そろそろ帰国の日が近づいてきた。

2ヶ月間キヨシをいろんな国へ運んでくれたパスの有効期限も切れてしまう。

終わってみれば何事もあっという間だな・・・。

月曜日はエンリコがどうしても外せない講義があるとのことで、夜、待ち合わせることにした。
前日に荷物をまとめておいたので、その荷物を、一週間前に待ち合わせた駅のアポテーケまで持っていくから、キヨシの好きな手ぶらで、フィレンツェ観光しなよ!
といってくれた。

昼食を母とロレンツォと一緒に食べた後、キヨシは街へ出た。
ここで、エンリコの家とはお別れだ。

家の玄関で、男前のロレンツォと握手をし、エンリコの家のお手伝いさんにお礼を言い、エンリコ母とはキスの挨拶をして別れた。

 「エンリコをドイツへ留学させる時も寂しかったが、今日はもっと寂しい。きっと、またウチに来なさいね。」と涙ながらに見送ってくれた。



56【白い肉と赤い肉】

1990-02-13 | 【イタリアに恋したわけ】
エンリコが夕飯の提案をしてきた。

キヨシはメインディッシュに食べるのは、白いのと赤いの、どっちが好きだ?と

関西では肉=牛だ。
肉まんは豚まんと呼ぶ。
牛肉が入っているなら肉まんと呼べるのだ。

肉ジャガの肉は何を使いますか?と問い掛けられ、「肉です」と応える人も多い。

豚が好きか?牛が好きか?と聞かれたなら判りやすかったが、「赤いの」か「白いの」という発想がなかったので戸惑った。

そっか、赤い肉(牛や豚)には赤ワインで、白い肉(鶏や魚)には白ワインなのかもしれないな!

結局どっちも好きだよ!と応えた。
今日は赤い肉で、明日は白い肉にしよう!と言ってくれた。

エンリコ母の作るパスタは絶品だった。
わざわざ、キヨシのため、醤油味にしてくれた。
いや、本場の味が食べたかったのですが・・・。とも思ったが気遣いが嬉しかった。

どうやら、エンリコの家族は醤油味に最近ハマっているらしい。

このパスタは何という名前ですか?とエンリコ母に聞いてみた。
少し悩んでいると、エンリコ父が、こう応えた。
 「パスタ アッラ ジャッポネーゼ」
とても判りやすいネーミングに思わず笑ってしまった。

英語の達者(?)なロレンツォも、ゲスト思いの母も、堅物そうでも面白い父もみんなキヨシのことを暖かく迎えてくれた。

日本を離れて数ヶ月・・・ホッと一息できる雰囲気に、キヨシは自分のウチにいるような錯覚を覚えた。



55【イタリア人に惚れた】

1990-02-13 | 【イタリアに恋したわけ】
昼食時に弟のロレンツォが帰ってきた。

キヨシと同じ19歳だということは、エンリコから聞いて知っていた。
第一印象は・・・「かっこええやんけ!」だ。
おいおい、こんなの日本に連れて帰ったら、街中大騒ぎさ!だよ!

ジェームスディーンのような雰囲気をかもし出している。

一目で惚れた・・・

んなわけはない!

昼食後、エンリコは出かけなければならない用事があるらしく、ロレンツォが相手をしてくれた。

ロレンツォはイタリア語でゆっくりと、聞いた。
 「キヨシ、イタリア語がわかるか?」
「少しならわかる」
 「じゃあ、英語はわかるか?」
「イタリア語よりはわかる」
 「オレ、英語も話せるんだ!だから英語で会話しよう!」

自信たっぷりにロレンツォはそう言った。

キヨシは、英語に対して、それほどの自信はなかった・・・。
不安だぞ・・・。

するとロレンツォは英語で問いかけてきた。

 「アウ メニ イアズ アーヴ ヨゥ」

???
英語だよね?
一瞬戸惑った。
ま、いきなりの会話で難しいことを話し始めるわけもないし・・・

何て言ったの?

頭の中で分析してみた。

アウ=how
メニ=many
イアズ=years
アーヴ=have
ヨゥ=you

並べてみた。

「how many years have you」

イタリア語に変換してみた。

「quanti anni hai」

!!!「何歳ですか?」

ロレンツォの英語を理解した。
彼は、イタリア語の語順のまま、英語の単語に置き換えて、イタリア語の発音で話していたのだ。

そっか、これでいいんだ!これでも自信たっぷり「英語なら話せるぜ!」でいいんだ。

ロレンツォかっこいいよ!!!
いつも遠慮がちに英語を話していたけれど、これでいいんだ。自信たっぷり「英語なら話せるぜ!」だ。

イタリア人・・・
どんな外国人と向かい合っても堂々としている。
それでいて、決して相手を見下したりしない。
ポンコツのチンクエチェントに乗っていても、街へ降りればみんな振り返るほど美人な雰囲気のカルラ。
日本人のキヨシをなんのおかまいもなしにミラノのおしゃれスポットへ案内してくれたエレナ。
待ち合わせの場所も時間もきっちり守り、相手に親身になって助言してくれるエンリコ。
「アウ メニ イアズ アーヴ ヨゥ」な英語でも「話せるぜ!」のロレンツォ。

みんな、イタリア語がよく似合う。
かっこいいよ!イタリア人!オレはあんた達に惚れました。

仲間に入れてください・・・!

54【エンリコの家】

1990-02-13 | 【イタリアに恋したわけ】
約束の時間きっかりにエンリコはアポテーケ前にあらわれた。

キヨシ久しぶりだな!と再会はあっさりしたものだった。
キヨシもエンリコの顔を見てホッとした。

27時間の列車×2回も、パリでの孤独感も北欧の寒さもパンスト体験も、数々の再会とお別れも、すべての涙もなにもかも、ここで終わるんだ。

エンリコには、たくさんたくさん話したいことがある。
そんなことをグルグル考えていたのだが、エンリコはそわそわしている。

どうやら、早く乗ってきたクルマに戻りたいらしい。

案の定だよ。3重駐車・・・。
よくもまあ平気で止められるもんだわ。

けたたましいクラクションにせかされながらエンリコのクルマに乗り込んだ。

エンリコの家はフィレンツェの街を見下ろす高台にあった。
どうやら高級住宅街だ。

あんなに大きかったドゥオーモが小さく見えた。

エンリコの家はとても立派だった。
地上3階地下1階、広々とした庭付きだ。

しばらく滞在できるんだろ?とキヨシの部屋まで用意していてくれた。

玄関ではエンリコ母が出迎えてくれた。
片言の英語で挨拶してくれた。

キヨシはイタリア語で応えてみた。
それならばとエンリコ母もイタリア語で返す。

いろいろな国を旅してきたが、やはり現地語を話すと相手の顔がよく見える。
片言の英語を話しているエンリコ母とイタリア語で話すエンリコ母の顔は違って見えた。

エンリコ父は仕事に出かけていていなかった。
昨日、電話に出てくれた弟のロレンツォも出かけていた。

まず、用意してくれたキヨシの部屋へ案内してくれたエンリコは、厳しい顔をしてこう言った。

 「キヨシ、イタリア語を勉強したのか?ドイツ語とどっちが上手に話せるんだ?」と
「イタリア語は本で読んで勉強しただけだよ、ドイツ語の方がマシだよ」と応えると、

 「ウチの家族と話すときはイタリア語を使ってもいいが、オレとお前とで話すときは、ドイツ語だ。いいな!」

エンリコも喜んでくれると思って覚えたイタリア語だったので、少しとまどったが、より、確実に意志疎通したいというエンリコの希望通り、その提案に素直に従うことにした。

エンリコから教わることは多い。キヨシには兄弟がいない。良き兄ができたような気がした。




53【アポテーケ】

1990-02-13 | 【イタリアに恋したわけ】
結局、たいした散歩も観光もせずに寝てばかりのフィレンツェ初日だった。

昨日電話した時間に今日もエンリコの家に電話をかけた。
弟の言っていたことを理解していたとすれば、今日こそエンリコに会えるはずさ。

「プロント!(もしもし)」一発でエンリコの声だと判った。

エンリコもキヨシからの電話を待っていたようだ。
昨夜はどこに泊まったんだ?今朝着いたのか?と気にかけてくれた。

エンリコとイタリア語で話したかったが、エンリコの方がドイツ語で話しはじめてしまったから、しょうがない・・・。

「今、どこにいる?駅は判るな?駅のアポテーケで待っててくれ。1時間でそっちにいくから、いいなアポテーケの前だぞ!」そう言い残すと電話を切られてしまった。

アポテーケってなんだよ・・・

とりあえず、ホテルのオヤジにお礼を言って、チェックアウトし、荷物を持って駅へ向かった。
これからアポテーケを探さなければならない・・・
タイムリミットは1時間!急げ!キヨシ!どこだアポテーケ!!!

駅について辺りを見回したが、アポテーケは見当たらなかった。

イタリア語で駅員に聞いてみた「アポテーケはどこですか?」
駅員は首をかしげるばかりだった。

アポテーケ・・・・・

とりあえず辞書でもひいてみるか・・・載ってないとは思うけどさ・・・。

イタリア語-ドイツ語の辞書を引いてみた・・・しかし、それらしき単語は見当たらない。
ドイツ語かな?今度はその辞書の後側にあるドイツ語-イタリア語を引いてみた。

「はぁ・・・・あったよアポテーケ!」
辞書で見つけたアポテーケはイタリア語でファルマッチア・・・薬局だ。

キヨシは駅の薬局の前で必死にアポテーケを探していた。
ヤバい・・・ドイツ語だんだん忘れてるかも・・・。

とにもかくにもエンリコ到着10分前にすべての謎はとけた・・・。


52【最後の再会の街へ】

1990-02-12 | 【イタリアに恋したわけ】
ナポリからフィレンツェへ向かう夜行列車の中ではよく眠れなかった。

初めて海外へ来て、誰も知る人のいないドイツでの生活・・・2カ月間のぶらり一人旅・・・。
こんな貴重な時間を経験したことは今までになかった。

これまでのおよそ100日間を一日単位で振り返っていた。

これから再会する楽しみで胸がいっぱいのはずなのに、寂しさで胸いっぱいになってしまった。
ほとんど一睡もできないまま、早朝、フィレンツェサンタマリアノヴェッラ駅に到着した。

エンリコはまだ寝ているだろうな・・・。
一度クリスマスに来た街だ。勝手しったるなんとやらだ。
とブラブラして時間をつぶした。
結局、食べるものを売っているのは駅の構内だけだった。

もういいだろうと思ったころエンリコの家に電話した。
どうやら、弟が電話に出たようだ。

「兄貴は明日帰ってくるから明日のこの時間に電話してくれ」と、ゆっくりわかりやすいイタリア語で話してくれた。
ところどころ英語も混じっていたので、言いたいことは間違いなく伝わった。

さて・・・明日のこの時間までってことは・・・今夜、夜行列車で移動するわけにもいかないな・・・。
クリスマスにお姉さまたちと泊まったホテルにでも行ってみるか!

フロントのオヤジさんは、キヨシのことを覚えてくれていた。
「クリスマスにオンナふたりと泊まったイタリア語を少し話す日本人」との印象が残っていたそうだ。

嬉しいことに格安でシングルルームを提供してくれた。

「今夜はひとりかい?」とオヤジは笑っていた。

さ、荷物も預けて身軽になって、それでもまだお昼前だ!
徹底的に散歩するぞ〜!

いやいや・・・そろそろ眠気が襲ってきていた。
ぐっすり昼寝することにした。

なんて贅沢な旅行者だろう・・・。
まあいいや。20日にハイデルベルクへ戻ればいいわけだし、ここが最後の訪問地だし、1週間のんびりさせてもらうよ!

51【ナポリ】

1990-02-10 | 【イタリアに恋したわけ】
すぐに飽きてしまった。

無計画にもホドがある・・・。
陽気なのは判った。
パスタも美味しかった。
しかし・・・飽きてしまったのだ。

一日ブラブラしたら、また、夜行で北へ戻ろう・・・!
そう決心していた。

決心して夜行列車を待っていたのだが・・・。
出発時間になってもこない・・・。

2時間待ってみた。
一向に来る気配がない・・・。

駅員に尋ねてみた。

「この列車はいつ来ますか?」と。
30分ほど待たされたあげくの返事は・・・

 「今日は来ない」

「なんで?」

 「多分来ないと思う」

「他に北へ向う夜行は?」

 「もうないよ」

「近くにホテルはありますか」
最後は、気力でこう聞くしかなかった。

その駅員は、近くのホテルまで親切に案内してくれた。
「明日は列車あると思うよ!」と言い残して駅へ戻っていった。

とんだ出費だよ・・・。
宿屋のおじさんに、事情を話して値段交渉すると、安く泊めてくれた。
「ナポリは好きかい?」と聞かれたので、「もちろん!!!」と応えておいた。

 「明日、夜行まで時間があるんだろ?ポンペイへ行ってみな!」
と旅のアドバイスまでしてくれた。

本気でナポリが好きになった。

翌朝、ポンペイへ向うことにした。

これが、ポンペイか・・・。
遺跡だよ!
ちょうど日本人ツアーが来ていたので、こっそりガイドに聞き耳を立てて、フムフムと感心していた。

ナポリで列車が来なかったことがきっかけで、なかなかいい寄り道ができたな。
ま、「南イタリアだもの」だ。

定刻より、30分遅れで、待望の夜行列車が到着した。

いよいよ、エンリコの街フィレンツェへ向う。
自然と胸が高鳴ってきた・・・。

50【南イタリアだもの・・・】

1990-02-09 | 【イタリアに恋したわけ】
とりあえず、聞いたことある街にしよう!

南イタリアね・・・
ナポリまでいってみるか!

少しイタリア語が通じるようになっていたので、自信を持って旅ができるぞ!と意気込んでいた。

ナポリへ向う夜行列車のコンパートメントに一人の女性が入ってきた。

「席、開いてますか?」とスペイン語だった。

どうぞ!
とスペイン語で応えてみたら、少し微笑んでくれた。

しばらくすると、今度は男性が入ってきた。

「開いてますか?」とイタリア語。

スペイン女性が、軽くうなずいた。
席につくなりイタリア男はこの女性に挨拶という名のナンパを始めた。
「どこまでいくの?どこから来たの?オレ、ナポリへ帰るところだよ」

スペイン女性は「ふっ・・・」と溜め息をつきながらスペイン語で応えた。
「イタリア語わからないの」

残念そうにイタリア男は腰を深く座り直しながらちらっとキヨシの方をみた。
「どこから来たの?どこへ向うの?って言っているよ」とその女性にスペイン語で話してみた。

すると、その女性は、キヨシにマドリッドから来たことと、フィレンツェに向うことを応えた。
その内容を今度はイタリア語でキヨシはそのイタリア男に伝えた。

一種異様な空気が流れた。

アジア人が、イタリア語とスペイン語を通訳している・・・。

結構、キヨシもヨーロッパになれてきたようだった。

スペイン女性が降りるまで、何とか通訳をしながら、楽しい時間を過ごした。

その夜行列車のコンパートメントに別のイタリア男が乗り込んできた。

なにやら早口で元いた方のイタリア男としゃべっている。
ここまで早口だと、何を言っているのか聞き取れない・・・。

しばらくすると、後から入ってきた男は出ていった。

すると、「元から男」がキヨシに事情を身振り手振りで語りかけてきた。

要約すると、「後から男」はキヨシの隣で寝たいと・・・。
だから席をかわって欲しいとのことだった。
要するにゲイだったわけだ。

やっぱり、夜行列車って、男性の身にも危険がいっぱいなのね・・・!

翌朝、何事もなく、ナポリへ到着した。
1時間以上の遅れだった・・・。

終点なのに乗り過ごしたかと思わせるぐらいの遅れっぷりだった。

カルラならこう言うだろう・・・「南イタリアだもの・・・」



49【ピサへ】

1990-02-08 | 【イタリアに恋したわけ】
その夜は、カルラの家でたくさん話をした。

ピサというところに、塔があるの。
傾いているのよ!可笑しいでしょ!

その表現がとても可笑しかった。

そんなカルラの奨めで、翌日、ピサへ向うことにした。
カルラは、例のチンクエチェントで駅まで送ってくれた。

 「再会できてよかったわ。エンリコによろしく伝えてね。また会いましょうね。」
とちょっと寂しそうに言ってくれた。

 「キヨシ、キスしてもいいかしら?」
びっくりして戸惑っていると、
 「イタリアの挨拶よ!」
といって、両頬を合わせるように3回キスしてくれた。

もう、何度も挨拶のキスは経験していたし、慣れてもいた。
だけれど、恥ずかしがり屋なカルラとの挨拶のキスは少しドキドキした。

ピサまでの列車の乗り場までカルラは見送りに来てくれた。
発車時刻になってもなかなか発車しない・・・。

 「イタリアだもの」
とカルラは笑って言った。
ミラノ始発なのに何故、定刻通りに出ないのだろう?

 「イタリアだもの」というカルラの言葉に納得せざるを得なかった・・・。

15分遅れで、列車は出発した。

さようならミラノ!さようならカルラ・・・。

30分程遅れて、列車はピサに到着した。
「イタリアだもの」か・・・。
ちまちました時間の遅れなんて気にしなくてもいいんだな・・・!
そんなことを考えていた。

ちまちました時間なら気にならないのだが・・・この後、ナポリでひどい目にあうなんて、このときは思いもしなかった。

ピサの塔はものの見事に傾いていた。
ただ、それだけだった。

傾いていない方向から写真を一枚撮った。

他の観光客は、傾いている方向から、自分たちが斜塔の傾きを支えているかのようなポーズで写真を撮っていた。

ピサで、ピザを食べて、駅へ戻った。

今度は南イタリアへ向おう!


48【モデルような美人とクルマ】

1990-02-07 | 【イタリアに恋したわけ】
エレナの家に泊めてもらった翌日、カルラに連絡した。

カルラは、本当にキヨシがミラノに来ていることに驚いていた。

 「ドゥオーモわかるかしら・・・そこで待っていてね」
と優しく言ってくれた。

しばらく待つと、カルラが現れた。
まわりのミラネーゼ達はカルラを振り返ってまで見ている。

ホントにモデルさんのような美人だ。
何人か、男の人に声をかけられていた。

いやぁイタリア男は挨拶が上手だわ。

カルラもイヤな表情をするでなく、さらりとかわしながらキヨシの前までやってきた。

「アロー!キヨシ」
と抱きしめられ、ちょっと恥ずかしかった。

「キヨシ、今までどこを旅行してきたの?いろいろ話を聞かせてね。ウチに来る?予定は?ご飯食べた?お腹空いた?」とおっとり口調なカルラだが、質問攻めだ・・・!

少し、イタリア語も話せるようになったんだよ。とキヨシがイタリア語で返すと、とても喜んでくれた。

「クルマで来たの。家は遠いから。でもねクルマとっても汚いの・・・。笑わないでね・・・」
そう言いながら、カルラはクルマをとめたところまで案内してくれた。

すごい!!!なんと止めあるクルマは3重駐車だ。しかもバンパー同士がひっついて止まっているクルマもある。
さすがイタリア!と感心していた。

それよりも驚いたのが、カルラのクルマだ。
チンクエチェント(500cc)という名のそのクルマは、ビックリするぐらい小さく、そして汚かった・・・。
東ベルリンでみた「トラバント」に近いものがある・・・。

そんなクルマ、さっそうとモデル風美人が乗り込む。
ミラノってかっこいい街だなぁ!!!

思う存分感心した。

「素敵なクルマだね」
キヨシがそう言うと、カルラは大笑いしてくれた。









47【再びイタリアへ】

1990-02-06 | 【イタリアに恋したわけ】
ミラノへの長距離列車の中で、しこたまイタリア語の勉強をした。

日本語からイタリア語へ訳すのではなく、ドイツ語からイタリア語へ訳す方法をとった。
ドイツ人がイタリア語を勉強する要領というわけだ。

とにかく、ドイツ語でよく使い慣れたフレーズをイタリア語の文法に当てはめてみたりしながら、列車の中で猛勉強してみた。

ミラノへ着いたら、まずエレナと再会する。
少しでもイタリア語を話して、驚かせてやろう!と意欲がわいていたのかもしれない。

翌日、ミラノへ到着すると、早速エレナに連絡した。
ドゥオーモの前で待ちあわせることになった。

地下鉄に乗り、ドゥオーモを目指した。
なんともかっこいいドゥオーモだ!

第一印象で惚れてしまった。

エレナは入り口で待っていてくれた。

「キヨーシ!!!」

エレナは地元の友達と一緒に来ていた。
キヨシのことを早口のイタリア語で紹介してくれた。

エレナの友達は、ドイツ語がまったく判らないらしかったが、それでもドイツ語で話しかけてくれた。

キヨシは、覚えたてのイタリア語で応えた。
エレナは少し驚いたようだった。

どこで勉強したの?

「本だよ」

 「え?じゃあ発音は???」

「そんなのハイデルベルクにいたときたくさん聞いたから慣れるよ!」

どうやら、発音は合格らしい。
エレナの友達も認めてくれた。

二人のミラネーゼを両手に花!でミラノのおしゃれスポットを案内してもらった。
たくさん、日本人観光客とすれ違ったが、羨望の目で見られているようで、少し嬉しかった。


46【ウィーン】

1990-02-04 | 【イタリアに恋したわけ】
夕方、ザルツブルクの駅で別れた。

彼女は一泊ここで滞在した後、フランスへ戻るらしい。

お互い、住所を交換した。
初めて目にするハングル文字の住所だ。

キヨシと同じく2月の終わりには帰国するらしい。
キヨシは大韓航空で帰るのでソウルで乗換だ。

もし良かったら連絡してね。と電話番号を付け加えてくれた。

そっか、そろそろ日本へ帰る日が近づいてきているのか・・・。
もう、一人旅も後半戦なんだな・・・。

終わってしまえばあっという間なんだな・・・。

何とか、今夜中にウィーンに到着する列車を見つけ、キヨシはウィーンを目指すことにした。
夜行ではない夜の車窓はつまらない・・・
しばらく、イタリア語の勉強に没頭した。

ウィーンに到着すると、急いで安宿を探さなければならない。
少し離れたところにユースホステルがあったので、そこに決めた。

翌朝、ウィーンの街を散策していると、日本人らしきご夫人に声をかけられた。
「観光ですか?」

一人旅のいきさつなどを話しすると、興味を持っていただいたようで、「カフェ」にご招待された。
「ウィーンに来たからにはこれを食べていって欲しいの」とすすめられた難しい名前のケーキをご馳走になった。

久しぶりに口にする甘いものだった。

ウィーンに来たら、いつでもいらっしゃいねと電話番号をもらった。
どうやら、オーストリアの有名な音楽家と結婚して、ウィーンに長く住んでいるらしかった。

ご夫人に、丁寧にお礼を言って再び街を散策していると、妙な違和感を覚えた。
どことなく、日本を思いださせるような風景だった・・・。

あ!信号だ!歩行者用の信号が日本のと似てる!

そんなウィーンを後に、キヨシはミラノへ向う列車に乗り込んだ。






45【ザルツブルク】

1990-02-02 | 【イタリアに恋したわけ】
駅に到着すると、インフォメーションで地図をもらった。

なるほど!モーツアルトの生まれた家があるのか!
モーツアルトの曲・・・どんなのがあったっけかな?

そう言えば、音楽室に絵が飾ってあったよな・・・。
どのヘアスタイルの人だったっけ・・・。
行けば思い出すさ!

そんなことを考えながら、旧市街へ向うバスを待っていると、一人の女性がこちらを見て会釈している。

「こんにちは!」

久しぶりの旅のお供だと思い、キヨシの方から声を掛けてみた。

「アンニョン・・・」

どうやら韓国の人だった。

片言の英語で、お互い自己紹介をした。
その彼女はフランス語を勉強していたらしい。ドイツ語は全然ダメとのこと。

ここオーストリアで心細くなっていたらしい。

キヨシよりも英語は達者なようだが、「もっと英語も勉強していればよかったんだけど」と謙虚なことを言っている。

言葉に自信がないから、食事はファーストフードで済ますことが多いらしい。
それならば、一緒にレストランでも行こう!と誘ってみた。

言葉の通じない国での心寂しさはよく実感できたから、少しでも役に立てればと思った。

レストランで食事をしてから、モーツアルトの生家へ足を運んだ。
彼女はモーツアルトについて詳しかった。
この生家を見るために、わざわざ言葉の通じないオーストリアまで来たらしいのだ。

モーツアルトの顔も思い出せないキヨシは少し小さくなった・・・。

どうやらここは観光地らしい。日本人の団体客がちょうど入場するところだった。

はた目から見るとキヨシとその彼女は「同じ国のカップル」に見えただろう。
しかし、その日本人団体客のガイドアナウンスをキヨシはつたない英語でその彼女に「通訳」している。

周りは不思議そうにこちらを見ていた。