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嗚呼!愛しの国際プロレス①

2010-01-19 00:45:13 | 日記
◇現在”発売中”の週プロ1508号の中カラーで,懐かしい企画ものが載っていた。8ページ中の5ページを割いて,今は無き『国際プロレス』を取り上げている。
<検証>日本初の金網デスマッチ……と題し,今からちょうど40年前に国際プロレスが”起死回生”として行なった,この《金網デスマッチ》実現の背景に隠された”老舗・日本プロレス”との興行合戦に纏わる”裏面史”が書かれている。
この”日本初”の金網デスマッチが行われた1970(昭和45)年10月は正に,私が週プロの前身である『プロレス&ボクシング』誌の”新米記者”として,それも国プロの担当として”ど真ん中”でやっていた時期でもあるのだ!
記事の中でも宍倉記者が触れているが……もう40年も前の事なので殆ど覚えていないが,藤沢さん(編集長=故人)もリッキー森岡さん(嘱託=後に筑波大学の教授)も揃って”日プロ派”でもあり,事前に”金網”の事を知っていた所で,この国プロの大阪大会は取材しなかった,と思う。
私が『プロ&ボク』誌に入ったのが,この年の3月だったが,当時は日プロと国プロの”二団体”時代で,老舗の日プロは馬場・猪木の”BI砲”を始めスター選手が揃っていたのに対し,国プロはと言えばグレート草津に,サンダー杉山……そして,この年の7月に”海外武者修行”から帰って来たラッシャー木村がトップを張っていた。
私が,未だ”プロ&ボク”誌に入る前のファンだった頃,時折り青山にあった国プロの事務所(青山通り沿いの紀伊國屋の向かい側のビル)に行ったりしていたが,日本人の特性? でもある”判官びいき”では無いが(笑)大の国プロ・ファンでもあった。
国プロの”スリートップ”の日プロでの若手時代を知る人も少なく”未知”の魅力みたいなものがあった。それぞれが海外武者修行を経て”凱旋帰国”し……国プロの次代を背負って立つスター・レスラーとしての”雰囲気”というか”たたずまい”の様なものを子供心に感じたのだ。(笑)
取材と表して,よく国プロの<二代目>の事務所(青学の裏手にあり,合宿所も同じビルの中にあった)に出向き,大剛さんや八木(剛竜馬=故人)らと出掛けたりしていたものだ。国プロのレスラー達は,まだこの世界に入って来たばっかりの”若造”にも親切に接してくれたものだ。
それにしても,流 智美さんを始めとして小川 宏さんといい宍倉顧問といい,子供の頃に「国際プロレス・ファン」だったという人は意外に多い。まだまだ書き足りないので……この続きは明日とします! <茨城>

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