ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

甲州街道を歩く( 18:鳥沢)(山梨県上野原市) 5km 2021.4.6

(写真は、鳥沢宿の町並み)


話は少し戻りますが、3月21日の2回目の非常事態宣言の

解除を受けて、甲州街道歩きを再開しました。

(因みに、4月20日の横浜市の蔓延防止措置を受けて、現在は

街道歩きを中止しています。

甲州街道踏破も、現在は、山梨県内を歩いており、1日中

ほとんど人と会う機会もないので3密の心配はないのですが、

そこまでの電車での往復にリスクがあります。 

そこで、行きは新横浜を始発電車で、帰りは早めに切り上げて

通勤通学時間帯の前に引き上げる様にしました。  

お陰で、電車は往復ともガラガラでした。 

 

前回のゴールの中央本線の「JR鳥沢駅」で下車して、

甲州街道踏破の再開です。 

(JR鳥沢駅)

駅の近くの街道沿いのメインストリートに、次頁の

写真の「一里塚跡 鳥沢」標柱があります。

標柱がだいぶ朽ちていたので、気付かずに通り越して

しまいそうになりました。 

日本橋から22里目(88キロ)の「上鳥沢宿の一里塚跡」

で、塚木は榎だったそうです。

 

ここが「上鳥沢宿」ということは、前回既に歩いた町並み

が「下鳥沢宿」で、下車した駅の辺りは、既に「上鳥沢宿」

ということみたいです。

つまり、区切りが無く町並みが続くので、いつの間にか、

下鳥沢宿から上鳥沢宿に入っていました。

下鳥沢宿は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠11軒でした。

また、上鳥沢宿は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠13軒

でした。

下鳥沢宿と上鳥沢宿とは、半月交代で問屋業務を勤める

「合宿(あいじゅく)」でした。

 

以下は上鳥沢宿の町並みですが、大部分の建物は、明治39年

の大火で灰燼に帰してしまったため、現在の建物は全て

この大火以降に建てられたものです。

 

上の写真は「旅籠・叶屋(かのうや)跡」です。

 

 

旅籠・叶屋跡の先は、上の写真の「問屋場跡」です。

更に進むと、写真の「明治天皇駐蹕地碑」が建っていますが、

ここが「井上本陣跡」です。

上鳥沢宿の町並みを抜けると、旧甲州街道は、直ぐに甲州街道

(国道20号)から分かれて、右の細い道を上ります。

 

この辺りは「横吹」の集落で、集落の中心部の相模川水系の

横吹沢を渡ります。

 

残念ながら、この辺りの桜はほとんど散ってしまい、

葉桜になりかけています・・・

旧甲州街道の左側は、切り立った崖ですが、その急な崖の上

には、写真の様に住宅街が・・・

あんな崖の上に、普通に住宅街を造るなんて、山梨県は大変な

山岳地帯なんだな~!

更に進むと、甲州街道(国道20号)に合流します。

国道20号を暫く歩いて行きますが、ダンプが次から次へと、

体をかすめる様に轟音をたてながら、すれ違って行きます・・

怖~っ!

 

ダンプの風圧に耐えながら歩きますが、国道の左手の桂川の

河原の桜は、写真の様に今が満開みたいで気分爽快です!

 

やがて、国道20号と分かれて、斜め右の「袴着(はかまぎ)

旧道」に入り、下の写真の直ぐのY字路を左折します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

足場の悪い急な崖の道を必死で下ると、再び甲州街道

(国道20号)に合流しました。

 

旧甲州街道は国道20号の宮谷橋を渡ると、斜め左の坂を

下りて行きます。

どんどん坂道を下りていくと、桂川の河原に突き当たります

が、その左の斜面に、写真の江戸時代の「精進場」の石造物群

が残っていました。

「精進場」とは、精進潔斎(行動や飲食をつつしみ,身心を

清らかに保つこと)の場のことで、富士講道者(信者)は、

ここ桂川で、水垢離(水ごり)をして精進潔斎をしました。

精進場には、写真の様に、富士浅間大神、常夜燈、百番供養塔

などがたくさん建っています。

​上の写真は、仙元塔(浅間塔)で、「富士浅間大神」と刻まれ

ており、富士山の霊を祀る浅間信仰と結びついた「​​​富士講​​​」と

いう信仰組織が、その信仰の対象物として祀った石碑です。

前頁の写真の様に、精進場から、下りて来た坂を戻り

国道20号に合流します。

国道20号を暫く歩いてから、スズキの看板の斜め左の旧道に

入ります。

 

 

旧甲州街道とは思えない狭い草道なので戸惑っていると背後

から、「分かりますか?」と、知らないオジサンが声を掛けて

きました。

 

「旧甲州街道はここですか?」と聞くと、「ええ、その草の道

を真っ直ぐですよ。」と答えてくれました。

 

山梨県に入ってから、分岐点で迷っているときに、向こうから

声を掛けて案内してくれたのが、これが3人目ですから、

山梨の人は、ホントに親切です。

国道20号に出ますが、これに合流せずに横断すると、

もう次の「猿橋宿」に入ります。

鳥沢宿から次の猿橋宿までは約5キロです。


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コメント一覧

iina
ペリエ 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/97eefcaabeafe10b74d559b99c3ee954
> ペリエは・・・ カクテルではなくて、水の代わりに、コンビニで買ったペリエで割るという簡単な方法です。
 教えていただきありがとうございました。

コロナ禍に、みなさん慎重な自粛生活に電車内はガラガラというのが幸いでした。^^

はやく、元の生活にもどりたいです。
ウォーク更家
天国から地獄
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、お花満開の季節の街道歩きは最高で励まされます。

ええ、国道20号と合流した途端に、クルマの排ガスに悩まされ、天国から地獄です。( ;∀;)
もののはじめのiina
(ウォーク更家) さん へ
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/97eefcaabeafe10b74d559b99c3ee954
お花がお伴の歩きは、励まされていいですね。
          でも、国道にはクルマの往来が激しいですから、排ガスで辛そうです。
更家さんは、街道がお好きとはいえ隈なく歩くものです。


> 私は、ウイスキーのペリエ割りが好きです。
『ペリエ』を知らなくて調べたら、南フランス生まれの炭酸水とありました。オシャレな飲み方ですね。
カクテルのことですか ❔

ウォーク更家
上下の名称
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、江戸時代の街道の宿場町は、全て京都が中心のため、甲州街道の宿場町の名称も、京都側が「上」で、東京側が「下」になっています。

更に「上」と「下」について、穿った見方をすれば、公家が中心の京都は、肉体労働者が中心の江戸を、文化が低いと見下していたのかも知れませんね。
hidebach
上下
https://goo.blog.ne.jp/hidebach
甲州街道もやはり京都に向かって上りですね。
霜宿が東京側、上宿が京都側になっていますね。
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