1.まず、黒田官兵衛と城井鎮房の豊前国覇権争いについて
官兵衛と長政父子は馬ヶ岳城を拠点に、黒田氏に抵抗する地元勢力の平定を進めました。他国に出向き、たびたび城を離れた官兵衛に代わり、長政は度々馬ヶ岳城から出撃し、強敵宇都宮鎮房らと厳しい戦いを繰り返しながら、領内の抵抗勢力を鎮圧していきまた。
一方、城井鎮房は秀吉から
を命ぜられたものの、反旗を翻しました。
討伐軍として派遣されてきた黒田官兵衛・長政親子を、天然の要塞である城井谷の地の利を活かしたゲリラ戦で撃退しました。 吉川広家の仲介もあり黒田官兵衛より城井鎮房の娘鶴姫と、黒田長政の婚姻による和議が提案されて城井鎮房はこれを受け入れました。
肥後の国人一揆討伐に向かう黒田官兵衛の軍に子・城井朝房を送り、城井鎮房自身は、父・城井長房を城井谷に残して娘・鶴姫や家臣と共に、謀略の危険を考慮しながらも、中津城に向かった。
中津城を訪れた際に家臣と切り離された城井鎮房は城内での宴席の際に黒田家臣より斬りつけられ、三・四人を倒したところで猛将・後藤基次に討ち取られた。ここに、鎌倉時代より続いた名家城井宇都宮家の終焉を迎えました。
2.城井谷(城井ノ上城址)の模様⇒ゲリラ戦が行われた場所
○三丁弓の険 (射手3名も居れば一兵も通さず)
○天然の要塞の入り口(表門)
11/28お城めぐり-(城井ノ上城址)
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