K's Note

不定期blog

それは失われた10年だったのだろうか

2005-06-30 | 雑記
 先日、「育て上げ」ネットに通っていた若者のひとりが就労しました。こころの中では働きたいと思っていたが、共働きの保護者から引き受けていた家事手伝い(介護を含む)がルーティーン化し、働きたい気持ちを打ち明けれらないまま10年余り。当然、アルバイト経験もない。その若者にとって、この10年はただの空白だったのか、そうではないのかはわかりません。いまは、とても前向きでやる気満々。別部署の仕事も併せて任されるようで、経済的な自立もできるみたい。職場の方々も良いひとたちらしいです。
 その若者は、家事手伝いという役割の中でさまざまなことが身についていました。料理しかり、介護の方法(資格などはないのですが)、清掃などなど。いまの職場もそのようなことが中心です。10年という歳月の間、苦しみ続けていたともいえるのですが、いまの現状を聞くと、それがなければいまの仕事には就けなかっただろうといいます。振り返ってみると、その期間に考えたこと、身につけたことがいまになって活きている。「すごい大変だったね」と話を聞いていうひとがいる一方、「いまは楽しい」という本人。このギャップは、やはり、他人と自分の違いなのだろうか。
 最近、いわゆる卒業生が結構出ています。アルバイトや派遣、職業訓練校、復学などなど。進路は個々人によって違うけれども、誰もが「いまは充実している。「楽しい。」といいます。過去にどのような悩みや不安を抱えていたかを、すべて知ることはできないけれども、「いま」がどうであるかがとても大事なのかなと思うようになりました。行動が考え方を変えるのか、考え方が行動を変えるか、どちらが先かはわからないけれども、就労に当たっては前者がとても多いなぁと感じています。
 変な話だけど、人間に平等なのは、いつか死ぬことと、1日が24時間であることくらいしかないと思う。そうなると、「いまが楽しい」というのは、過ぎ去った時間やどうなるかわからない未来を考えすぎるよりは、幸せそうに見えます。

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