マンドゥルース

ムラムラ(のんびり)の国マダガスカルでの暮らし

モザンビークの教会にて

2013年01月07日 03時41分00秒 | Weblog
僕は信仰心の薄い人間だけど、
ときどき宗教の力ってなんだろう、て考える。

8年前にマダガスカルで生活を始めたときから、
どれだけ教会の食住に世話になったか数えきれない。
カトリック教徒でもないし、言葉もよくわからない、
それでも困っている人には手を差し伸べてくれる。
まさに無償の愛っていうやつ。

正直キリスト教なんて普段は、くそくらえ、と思ってるんだよね。
自分に都合のいい時だけ、有難う。


「お~、貧しい人々よ。目を閉じて祈りを捧げたまえ。さすれば救われる」と、
あるとき異国の地から白人の神父がやってきた。
次に目を開けたときには、土地と財産は全て奪われ、
若者は奴隷として連れ去られていた。


布教と植民地主義との繋がりを批判するのによくされる
比喩だけれども、あながち出鱈目ではない。

そんな歴史がありながら、アフリカでは
未だにキリスト教が一番強いよね。
でも欧米とか、最近は韓国も多いかな、からアフリカの片田舎
に移り住んでいる神父やシスターっていうのは、
会う人みな本当に素晴らしいんだわ。
マダガスカルの片田舎で亡くなられた日本人のシスターもいた。
政府機関や、国連機関もしくはNGOなどの民間で
開発援助に携わっている中にも素晴らしい人はいるけれど、
彼らを突き動かしているものとはまた違う気がする。
もっと純粋で、凡人の考える論理性を超えたところに
あるのかな。理不尽に悲劇的な出来事に出会うと、
逆に、神様なんか恨んでしかるべし、と思うんだけどね。

モザンビークの片田舎で例によって教会に泊めてもらっているので
ちょっと宗教的な気持ちになった。
ここの神父さんはイタリアの方ですね。
去年強盗に襲われて教会の財産を奪われて、自身も
頭を刀で殴られて、それでもこの地に留まっている。
「俺は何十年とこの地で捧げてきたのになんという仕打ちをするんだ。」
なんてこれっぽっちも思ってないんだと思う。たぶん。
僕が同じ目にあったら絶対モザンビークから撤退するけどね。

超久しぶりのブログ更新なのにいきなりつまらん話題でした。
久しぶりすぎてログインのパスワードに手間取った・・・
2013年も心機一転頑張ります。

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