夏の稲川

2006-06-29 22:30:07 | Weblog
 きょうは夕刊紙に稲川淳二の記事が載っていたわけだが。

 しかしいまの若い人、稲川淳二を「こわいひと」だと思って
いるという。たしかにあの口調で怪談話やられれば「こわい
ひと」と思うのも無理はないのだが、もともとは「熱湯風呂」
などでバツグンなリアクションをしていたひとなんだが。いや、
こんなことわざわざ言うまでもない当たり前のことと考えて
いるのは、ある一定の年齢以上の人間だけらしい。そういや
「いててててて」とか「悲惨だなー」と言ってる稲川淳二、最
近見たことがない。仕事の中心が怪談に移ってしまったんで
すな。

 わたしの感覚だと、怪談といえば一龍斎貞水だったんです
がね。いつの頃からか、稲川淳二と桜金造がそのマーケット
を奪ってしまったという・・・桜金造はともかく、稲川淳二のあ
の独特の語り口調というのは、たしかにひとつの「芸」の域に
まで達してますな。

 けっこう特徴のある口調であると思われるのだが、あの口
調をモノマネする芸人が出てこないのが不思議ではある。な
にか平凡極まりない日常の風景を、あの「怪談の語り口」で
語ったらかなり面白いと思うのであるが。

 しかしウイークエンダーで下着泥棒事件のリポーターやっ
てたり、熱湯風呂リアクションの第一人者として活躍してい
た人間が、180度方向の異なる「怪談」の世界にはいったか
ら面白かったのだが、あのひとを最初から「怪談語る怖いひ
と」と認識して見ている人間は、そういう過去を知ったらどう
思うだろうか。

 考えてみれば、軸足を違うところに移しちゃったコメディア
ンて、片岡鶴太郎とかジミー大西とか、かなりの数いるわけ
で。特にジミー大西なんか画家として結構な評価をうけてい
て、それがかつて「やってるやってる~」という名ギャグを産
み出してていたお笑い芸人だとは、よく考えるとかなり違和
感のある話である。

 北野武も、やはり寄る年波には勝てないのか、最近はすっ
かり文化人ゾーンに軸足が・・・・お笑いというのは体力勝負
だから致し方ないのかもしれない。タモリのように、すっかり
空気になりきれば「老い」からは無関係でいられるのかもしれ
ないが。ほとんど「仙人芸」とでも言うべき領域である。

 ダウンタウンやナインティナインは、どんな場所に着地点を
見つけるのか。10年後が非常に興味深かったりする。

古典再読

2006-06-28 23:23:46 | Weblog
 最近「罪と罰」とか「白痴」とか、ドストエフスキーの小説
を読み返したりしている。

 最初に読んだのは大学の終わりから就職して間もなくの
頃であるから、ほぼ20年前のことである。世の中にこんな
おもしれー小説があるのかよと、むさぼるように不眠不休で
読んだ記憶がある。

 で、20年の月日が流れ、当時の大学生はすっかり腹の出
た中年脂ハゲへと姿を変えたわけだが、さて読んで感ずるこ
とに当時となにかの相違があるのかというと、それがあまり
なかったりする。感性が衰えてないというべきなのか、それと
も逆に20年間まったく成長していないということなのか。

 それはさておき、「罪と罰」などを再読していると、新事実に
気づいてびっくりしたりする。例えば主人公のラスコリニコフの
母親、なんとなく50代も半ばの初老の婦人だと思いこんでい
たところ、再読したら43才、すなわちわたしと同い年だったり
するのである。成年の息子を持つ上品な初老の婦人と思いこ
んでいたものが、この脂ハゲと同い年というのは衝撃であった。

 しかしまあ当時の43才といまの43才では社会的な位置もか
なり違うような気もする。平均寿命だって長く見積もってたぶん
60才前後であったろう19世紀末と、70代半ばで死んでも「早す
ぎる」など新聞に書かれる現代とでは、年齢と特定の社会的立
場とのつながりがまるで違うものなのかもしれない。

 もっとも「罪と罰」、45才で主人公の妹(20代前半)を嫁にもらお
うとする俗物弁護士などが出てきて、キャバクラの若い娘さんに
ハマりこんでる自らと重ね合わせると、とてもアレな気分になっ
たりするのである。てか20年前も、「俺もあと20年したらこんな俗
物になるんだろうなあ」などという嫌な感想を抱いていておったの
だが、20年たってその予想はものの見事に的中。こういうことに
関する予想に限って当たるのがムカツク。

 まあちまたでは、「ラスコリニコフの殺人哲学」みたいなものばか
りがクローズアップされていて、たしかにそういう側面もあるのだが、
実をいえばさまざまな魅力的キャラクターがあふれる大衆小説の
側面もあり、うまい具合にハマりこめば二晩くらい徹夜して一気に
読んでしまうのがこの小説である。だまされたと思って、一度読ん
でみるのが肝要。

 ただしロシアの小説、登場人物の名前がいずれも長くくどい。これ
についていけない日本人もかなりいるようだ。そのときは縁が無い
ものと思ってあきらめてください。

菓子屋のいなり

2006-06-26 21:41:25 | Weblog
 昔からやや疑問に思っていることがあるのだが。

 商店街にひとつやふたつ、必ず和菓子屋というのがあり
ますな。自家製の大福やら饅頭やらお団子を売ってる、そ
の手のお店。ひとの家訪問するときの手土産を売る店とし
て、商店街にはなくてはならない店のひとつであります。

 でだ、こういうお店の全部が全部とは言わないが、ほとん
どの店に赤飯のお握りやいなり寿司が置いておるのはな
ぜだ。まあ赤飯はもち米だから、餅菓子作る和菓子屋がつ
いでに作っているということなのかもしれないが、いなり寿
司をわざわざ作って売るのが不思議でしようがない。和菓
子と材料がかぶるわけでもなし。

 和菓子屋のいなり寿司、買って食べた経験がないので、
どんな味がするのかわからん。やはり菓子屋らしくアゲの
味に砂糖味が濃かったりするのだろうか。

 この手の仲間には、「日本そば屋に置いてあるラーメンや
カレー」「ラーメン屋のメニューに載ってるカレー、カツ丼」な
んてのがあるが、「和菓子屋のいなり寿司」と比較したら違
和感はずっと少ない。

 ネットでつらつらサーチなどして調べているのだが、「和菓
子屋がいなり寿司作る合理性」について、うまく説明してい
るサイトというのは残念ながら見当たらなかった。たが、この
「和菓子屋のいなり寿司」というやつ、東京近辺にしかない
のではないか、という重要な示唆があった。大阪や名古屋
の和菓子屋にはいなり寿司は置いていない、ということらし
い。だとするならば、「合理性」というより単なる「食文化の
違い」ということになってしまいそうだ。はなはだ面白みのな
い結論ではあるが。

 「食文化の違い」といえば、いなり寿司、東と西で形体は味
がかなり違うという。西日本のは三角で、東日本のは俵の形
というのは割りに有名。「美味しんぼ」で、かつて東日本のい
なり寿司がボロクソに言われていたのをふと思い出す。食べ
物などというのは各地のいわゆる「文化」にかなり依存してい
るものであり、自分の好みだけでアレコレ断罪するのはどう考
えても誤っているのだが、「美味しんぼ」という漫画はそんなこ
と頓着なしに今でも続いているらしい。もう連載が開始されて
軽く20年越えているのではないかしらん。

 モノがいなり寿司だけに、漫画なんぞのいーなりになっては
いけない。今日は本場のオヤジギャグ落ち。

 

ニセモノ賛

2006-06-25 23:24:15 | Weblog
 最近、腹のだぶだぶさ加減がますます激しく、このまま
では成人病になるのも時間の問題であるわけだが。

 といってもスポーツは嫌いであり、運動神経については
生来ちょっとナニである。てなわけでなるべく歩くようには
している。他に効果的な運動の仕方もないのが実体。

 で、本日は某氏と落ち合い、散歩。浅草雷門から仲見世
をうろちょろした後、合羽橋商店街で調理器具やら食品見
本を物色、それから上野に向かいアメ横散策、その後湯島
通って本郷三丁目までとぼとぼ歩き、丸の内線乗って新宿
へ向かうという猛烈な行程であった。しかし疲れた。

 でもアレですな、合羽橋で見た食品見本、ありゃほとんど
芸術の域に達してまんな。中ジョッキのビールの見本なん
か、まあ夏に向かってのインテリアとしてはかなり面白いか
もしれない。価格が3,000円というのはおもちゃとして高いの
か安いのか。

 最近どうも食玩とか、この手の見本とかのフェイクものに激
しく惹かれるのは何ゆえか。職場の近くにビックカメラの有楽
町別館があり、ここがまあミニチュア系の食玩が思いっきり充
実しているのだ。コンビニやらファミレスやら家電製品やらドラ
ッグストアやら、身の回りにある品物のほとんどが網羅されて
いるように感じる。ひとつ約300円。万一一個でも買ったら歯止
めがきかなくなることは見え見えなので、今必死に我慢してい
るのだが、たぶんこの我慢もあと数日しか続かない予感がする。

 箱庭とか盆栽とか、日本人というのはこの手の「ミニチュアフ
ェイク」が大好きな気がする。鉄道模型なんてのもこの仲間で
ありますな。なんでこういうものに惹かれるのかツラツラ考えて
みるに。

 ミニチュアに惹かれるのは、なんつーか「世界をコンパクトに
表現する」=「世界を確実に把握できる」という錯覚からきてい
るからではないだろうか。あのミニチュアで作られた商品群を、
こう上から見下ろすとほとんど神の視点、なんか自分が万能に
なったような心地よい錯覚にひたれる。Nゲージの鉄道模型な
んて、この魅力の最たるものだと思う。

 しかし食品見本の魅力というのは上記の説明では不完全だ。
外見は食べ物そっくりでありながら、実体は蝋という食品見本。
外見と内実の相違というのがアレなのか。「外見ギャルで実は
けっこう思いやりある」系の女性がいたら一発でハマる自信があ
るが、それと同じようなモノなのであろうか。

 この辺のことに関してももう少し深い考察が必要であろう。とり
あえず再び合羽橋行く機会があったら食品見本買ってこよう。パ
フェかカツカレーがいいな。

TUKAの終焉

2006-06-24 05:03:45 | Weblog
 ボーダフォンがソフトバンクに買収されるということ
で、ボーダフォンユーザーのわたしとしてはちょっぴ
りドキドキものなわけだが。(メールアドレスの変更が
あるかどうか、これがいちばん大きな問題)

 その陰でひっそりと、TUKAが新規受付を終了させ
ていた。一時は松本人志をCMに出さしたり、骨伝導
携帯なんていうオタ好みの機種を出したり、あるいは
小林桂樹と藤岡琢也をひっぱりだし、「簡単じゃない
か」というインパクトのあるCMを流したり、とわたしに
とってはなにかと注目の携帯会社であったのだが。

 なによりも数年前、「通話とメールができればそれ以
上の機能はいらない」的な、ゴーカイなメッセージを松
本人志に言わせたのはすごかった。当時は写メールが
ぐんぐん勢いを伸ばしている頃で、「負け組の開き直り」
が見え見えではあったが、それでも若干数の機械オン
チのハートは掴んだことだと思う。正直言ってわたしも
その「若干数の機械オンチ」のひとりであった。

 実際、マイ携帯にもちゃんとカメラ機能はついているの
だが、そんなの使ったことは一度もない。取説よく読まな
いと使い方がわからないうえ、街中の風景なんぞそうそ
う撮りたいものでもなかろう。「画像を情報として送る」と
いうのはそれなりに便利なのかもしれないが、そんな機
能の使い方を知らなくても日々は平穏無事に流れていく
のだ。

 「番号ポータビリティ精度」が実施されたら、TUKAへの
変更を冗談でなく検討していたのだが、これでわが希望
も潰えた。たしかに、知りあいはおろか電車やバスの中で
携帯使ってる人間を見ても、TUKAユーザーというのはほ
とんど見かけたことがなかったのも事実ではある。まさしく
幻の携帯会社。NTTパーソナルやアステルとともに、「昔
そんな会社があったなあ」とノスタルジーの対象になっちゃ
うのだな。

 しかし「簡単携帯」はauで似た機種を出してるみたいなの
だが、骨伝導の方はどうなつたのだろうか。受話器を耳でな
く、他の骨の部分に当てても音が聞こえるという骨伝導。よ
く考えればたいして実用的な機能ではないのだが、それで
もどんな風に音が聞こえるのか体験してみたいのが人情。
auできちんと出してもらいたいものである。

親との闘い

2006-06-23 05:00:46 | Weblog
 しかしまた、名門校の生徒が家族殺しちゃったみたいで。

 この手の事件、数年に1回の頻度で必ず起こりますな。わたし
が高校生の頃、わたしよりひとつ年上の早大学院の生徒が祖
母を殺して自殺、しかも「シナリオ」と題されたかなり強烈な遺書
が残されていて、マスコミが大騒ぎになったという事件があった。
なんつーか、自分をエリートと規定し、「無学無能の大衆を憎む」
的なことが筒井康隆をパクった文体で延々と書かれていた、とい
う遺書であった。当時はまだフサフサと髪の残っていた脂ハゲ、
「早大学院程度でエリートとかコイてんじゃねえ馬鹿」という、偏
差値付け高校生ならだれもが思うような感想を抱いただけであっ
た。

 よく考えてみれば、名門高校生だろうとどこぞの底辺校の生徒
だろうと、「親を殺す」なんてよくよくのことがないとできる話ではな
い。「名門校の生徒である以上、家庭環境もめぐまれているはず。
それがなんでこんなことに・・・・」てな具合で驚いちゃうのかもしれ
ないが、「名門校の生徒」=「家庭環境がめぐまれている」という
等式の思い込みが、そもそも誤りなんだろうと思う。

 わたしも、高校生のときは、「家がもちっと金持ちだったら名門私
立に入れたかもしれん」と切歯扼腕していたものだが、いま振り返
ると生来の怠け者であるわたしが、いくら家に金があったところで
当時以上に勉学に励むなんてことはありっこなかったのだ。

 逆に言えば、「家に金がある=社会的な地位がある=子供に対
するプレッシャーがキツイ」。この等式の方は、先ほどのとは違って
現実からさほどかけ離れてはいないと思うのだがどうであろうか。

 まだまだ精神面では未熟な面を残しているのが10代後半、そこ
へ身に余るプレッシャーをかけられればそれを払いのけたくなるの
も人情。そして親というのも人間であって、人間である以上、「生来
他人の気持ちを推し量れない人間」というのも、ある一定の割合で
必ず存在するはずである。そしてこの手の人間は、経済的にめぐま
れていないとは限らない。むしろ「自分の考えのゴリ押し」が得意な
人間は、それなりの地位を得ることの方が多くはないか。そういう人
間が親となり、子供を持ち、そして子供に対してもゴリ押しを続けて
いたなら・・・。その結果が、数年に一度必ず起こる「名門高校生に
よる親殺し」ではないかと思うのだ。

 子供を持ったことがなく、またこれから持つ可能性もほとんどない
わたしが言うのもアレだが、「子供もやっぱり他人である以上、相手
の身になって考えて」ということなんだろう。あまりにも身近なため、
「自分と感じ方が違う可能性」について、検討さえしないというのは
どうかと思うのだ。

 
 

キャバ嬢イメージ

2006-06-21 21:52:57 | Weblog
 倉田真由美がけっこう好きで、「だめんず・うぉ~か~」
などは喜んで読んでいるわけだが。

 しかし今週のSPA!に載ってたのはどうも納得がいか
ない。いや、「典型的な色恋系キャバ嬢」の話なんだが。
てな訳で今週のSPA!読んでない方に内容をかいつま
んで説明すると、「どっから見てもバリバリのキャバ嬢」と
いう方が、「カモの見分け方」や「カモの引っ張り方」など
の「秘訣」を紹介してるっつー構成なんだが、どーも微妙
にディティールに矛盾があるのだ。

 たとえば「カモ」と判断した客に対して、「付き合ってる」
と思い込ませるテクを駆使するキャバ嬢なら実在する。そ
れもかなり大量に。俺も、手持ちの指名客の七割に「付き
合ってる」と思い込ませているというキャバ嬢の話を聞い
たことがある。しかしだ。

 カモからプレゼントたかるのに、銀座に誘うというのはま
だわかる。実際は、同伴時にたかる場合が多いから、わ
ざわざ店から離れた場所に行くというのはむしろ珍しいの
だが。(どこから見てもバリバリのキャバ嬢が、銀座近辺
で働いている可能性というのは少なかろう)

 しかしドンキって・・・。「キャバ嬢がドンキ好き」ってのは
当たってるかもしれないが、それは自分の金で購入する
場合だろう。あれほど各種ブランドの直営ショップが軒を並
べている銀座にカモ客を連れ込んで、ドンキでブランド品買
わせるなんてまずありえない。キャバ嬢は、客が自分につ
ぎこむ金高によって、自己の存在意義を確認している場合
も多いから、変に使う金を節約されるとプライドが傷つくよう
に感じる可能性も高い。つまり、同じ品物ならドンキの並行
品よりオフィシャルショップの正規モノを間違いなく選ぶ、と
いうことなのだ。しかもドンキのブランド館、住所こそ銀座だ
が最寄り駅はむしろ新橋。つまり、くらたま描くところの「カ
モ客を銀座に連れ込んでドンキでブランド品を買わせる」て
のは、事実上「ありえない」のだ。

 まああとの「カモ客ひっぱり芸」というのは、ある程度キャ
バクラ通っていればよく聞く話ばかりで、特筆すべきはなに
もないのだけどね。ただどうも今回は、くらたまの水仕事に
対する偏見がストレートに出ていて、なんかこぉ気持ちが悪
い。ちょうど、「ホストとの会話はつまらないつまらない」と必
要以上に強調するのと同じ気持ちの悪さである。

 しかもオチは「ホストにはまってます」だしなあ。ちまたに
流布してる「悪徳色恋系キャバ嬢」のイメージなぞっただけ
で発展性がなにもない。上記の矛盾点も含め、「ちゃんと取
材してんのかよ」と思わずにはいられない。つーか、俺のよ
うな「カモ」のほうにもちゃんと取材をして欲しいと思うだよ。
 

インサイド・アウトサイド2

2006-06-19 23:50:14 | Weblog
 しかし日銀総裁、たたかれているわけだが。

 先に「村上さんがなんでインサイドなのかわからない」と
いう書き込みをしたわたしであるが、この問題もわからな
い。つーか、日銀の総裁が自分の財産を特定のファンドに
預けて運用をまかせていたとしたなら、これほど「インサイ
ド」なアレはないのではないかと思うのだが。

 この問題について古舘一郎が、「JRAの理事長は馬券
が買えないのに、なぜ」みたいなことを言っていたが、その
通りだよなと思う。金融政策、および行政にかかわるものが、
株の運用をはじめとする投資活動を行っちゃだめだと思うの
だ。

 昔であればいわゆる「護送船団」方式で、どんな金融政策
とろうと特定の金融機関があからさまに有利になることはな
かったわけだが、最近は金融緩和だ自由化だがうんにゃら
かんにゃらで、銀行によってはある程度差がつくのか。とな
れば日銀や政府の経済政策というのはストレートに金融機
関の業績につながるだろうし、してみれば、日銀総裁が口座
もってる銀行がいちばん安全てなことになりはしないか。福
井総裁の給与振込口座はいったいどの銀行にあるのか。意
表をついて郵便局だとアレであるが。

 まあアレだ、日銀や財務省、金融庁のある程度上の地位の
方々は、私的な資産運用をトコトン制限するような法を整備しな
いとアレなのではないかと。ただでさえ世の中には権力をふる
う役人に難癖つけたがるヤカラが多く、しかも難癖つければそれ
すなわち正義だと考えてる人間はかなり多い。愚かな話ではあ
るが。が、そんなわたしでさえ、「経済政策を立案する立場にあ
る人間が、自由に自分自身の資産を無制限に運用できる」って
のはよくないと思うのだ。

 しかしマジで日銀職員や役人はどこの銀行に口座を持ってる
のか。調査すれば「信頼できる金融機関」というものを選択する
際の指標になるかもしれない。

サッカーに興味ない党 2

2006-06-18 22:24:15 | Weblog
 さて、また本日もワールドカップ、日本対クロアチア戦
であるが、当然のことながらまったく興味がない。損な
んだか得なんだか。

 しかしテレビのインタビューで、「絶対勝ちます!」とか
何の根拠もなく言い切ってるファン見ると、どうもこのある
種の居心地の悪さが。競馬好きを10年以上やっている
わたしであるのだが、こういう「熱狂的ファン」と称するモ
ノのタチの悪さは、かなり知っているからである。

 この手の人間、結果が自分の思い通りにならないと、
とたんにキレちゃう人間が多かったりする。また競馬を例
にして恐縮だが、「熱狂的ファン」と称する人間が、思い
通りの結果が出ない場合そりゃすごいよ。とりあえず何
かの原因見つけ出してたたくたたくたたく。その「原因」な
んて、モノスゲー根拠薄弱なものでも頓着なし。

 そりゃわたしも、「ありゃあきらかに乗り方の失敗じゃね
ーのか」と思った場合、レース直後にぶちぶちぶち言うこ
ともあるが、基本的にそれでおしまい。掲示板にネチネチ
ネチ書き込む元気は持っていない。だが、「熱狂的ファン」
の方々の場合、そういう「元気」をそれこそ腐るほど持って
いるわけだ。本命馬が負けた場合なら、ある程度の金を持
っていかれるわけだからある程度コーフンすんのも許され
るかもしれない。だが「熱狂的競馬ファン」の頭のアレ具合
てのはそんなモノではない。レースのローテーションが自
分の思い通りでないと怒りまくったりする。「いや、だってあ
の馬の所有権オマエにないし」という、至極妥当なツッコミ
いれると、「いや、競馬を支えているのは俺たちファンだ」と
いう、勘違いもここまでくると開いた口がふさがらない意見
が堂々と返ってきたりする。思わず「死ね」とマジで思う。

 まあサッカーの「熱狂的ファン」の痛さの度合いというのが、
競馬と比較して浅いのか深いのかはよくわからないのだが。
欧米のいわゆる「フーリガン」と称する人間の話を聞くにつけ、
「日本の痛いファンと質が違うな」と。欧米のフーリガンという
のは、どうも社会的な不平不満をサッカーを口実にたたきつ
けているだけで、日本でいうと愚連隊や暴走族に近い。対し
て日本の「熱狂的ファン」というのは、爆発のさせ方が陰湿で
あり、不満の対象に直接殴りこむよりは、「寿司五十人前大
至急ね」とかいう電話かけちゃう方が似合っている。つまり本
質は秋葉にたむろっているオタなんですな。素人なのにいち
いち戦術に口出しちゃうとことか、アニメ声優について素人評
論をとくとくと語るオタに似てないか。

 さてとりあえずもうすぐ「ガキの使い」だな。視聴率はどのく
らいであろうか。
 

半期に一度のうかれ気分

2006-06-17 05:12:19 | Weblog
 さて、ささやかながらボーナスが出たわけである。

 もーなんつーか、「福利厚生ただもらい」に近いダメダメ
会社員のわたしであり、査定分などはたぶん最低ランク、
すでに課長クラスになっている同期入社の人間と比較した
なら、泣きたくなるほどの額なのであろうが。

 ただまあありがたいことに、会社自体の業績、および給
与体系が結構アレなおかげで、日本全国の43才の平均
額と比較すれば、それほどナニな額ではないことも充分承
知していたりする。シアワセ。

 ここでもやはり、「実家住まいのひとり者」というファクター
が大きくきいてくる。平均的な43才というのは、嫁もいれば
子供もいて、おまけにマイホームやマイカーのローンがガッ
ツリと残っていたりして、実際に自由になる額というのは結
構少ないようだ。わたしのように、「両親にちょぼっと渡して
あとは自由」なんてアレではなく、「カミサンからちょぼっと
小遣い渡される」例の方が圧倒的に多いだろう。こういう時
くらいしか、独身者が優位に立てる機会はないような気もす
るが。

 しかし妻帯者の方々に問いたいが、奥さまとの間の「金額
交渉」というのは、いったいどういう雰囲気で行われるものな
のか。「金がからめば親子でも他人」という。どう考えたって、
「終始穏やかににこやかに」という雰囲気ではないような気も
するが。ボーナスが原因で関係がトゲトゲしくなったりしたら、
折角の賞与が逆効果であるし。

 自分の子供時代、賞与に関してマイ両親がどんな交渉をし
ていたかについては、まったく記憶にない。やはり生々しすぎ
てそれを赤裸々に見せることは子供の教育によくないとでも思
ったのであろうか。不思議な話ではある。

 「賞与が出たらひとつくらいデカい買い物」というのは、資本主
義に毒された貧乏性脂ハゲのささやかな願望であるが、こういう
欲望は平均的な中年男のアレからはややかけ離れたものなの
であろうか。まあ「デカい買い物」つーても、別荘やらクルーザー
買うわけでもなく、電化製品の小物やら腕時計やらを買うだけな
んだが。あとは、キャバクラの滞在時間をほんのちょっぴり長くす
るとか。

 しかし自営業の方々というのは、この年に二回のささやかな喜
びというのがないわけで、それはたしかにけっこうアレかもしれな
い。山藤章二が、「サラリーマン体験のある自由業は、6月と12
月に精神が不安定になる」なんてことを書いているのを中学の頃
に読み、そんなモノかと思ったが、43才の今、「たぶん間違いな
いな」と断言できる。年に二回のこの楽しみ、仮になくなったとした
なら、本当にリーマン生活が嫌になるに違いない。

 てなわけでとりあえず、いましばらくシアワセを実感することとし
たい。にょいにょい。

オタと昔話

2006-06-15 23:02:47 | Weblog
 わたし自身ややオタに近い男であるので、「なんのとり
えもない男の前にかわいいねーちゃんが現れて、なんの
努力もなしに彼女が男に一目ぼれ」という筋の漫画(具体
的に名前をあげると「ああっ。女神さまっ」とか「ふたりエ
ッチ」とか「うる星やつら」とか)が割りに好きなわけだが。

 しかしああいうのを読んでいると、「モテない男の虫のよ
さ」というのを痛感する。努力もせず自分を変えることもせ
ず、そのうえで「素の自分」をロリ顔巨乳で性格優しくかつ
純朴という娘さんが好いてくれるという奇跡。これと比較す
りゃイエスのやった「水をワインに変える奇跡」なんてけっ
こう簡単なんじゃねえかと思えてくるほどだ。

 まあわたしもどっちかっつーと「努力が嫌い」で、それで
もなおかつ「モテてーなー」といつも思っているので、この
たぐいの漫画の主人公には比較的感情移入しやすい。で、
この手の似た様な設定の漫画が、飽きもせず現れるのを
見ても、わたしのような「潜在的なオタの数」というのは相
当数あると思えるわけなのだが。

 この間ふっと思ったのだが、「なんの取得もない男の前
に若い美人があらわれて、『嫁にしてください』と頼み込む」
というのは、なにも最近の漫画の話でなく、日本における
昔話もその手のが多い、ということに気づいた。「絵姿女房」
やら「雪女」やら、あるいは木下順二バージョンの「夕鶴」な
どもこのパターンだ。

 まあ、民話つーのは「紆余曲折のうえ結婚した」って話だ
と、「結婚」というのがいわば双六の「あがり」であって、そ
れ以上話が発展しない。逆に「結婚したあといろいろ事件
が起こる」て話だと、結婚にいたる経緯は極めてあっさりと
しか描写されない。「さまざまな紆余曲折のうえで一緒にな
って、結婚してからもさまざまな事件」てことになると、それ
は民話というよりワイドショー向けのネタになってしまう。

 民話とか昔話というのは、ラストで一緒になれれば、結婚
以降の人生は「それからずっと幸せに暮らした」という描写
で済んでしまう。白雪姫やシンデレラが夫に浮気されること
などありえない、ということになってるわけだ。現実は故ダイ
アナ妃の如くとても一筋縄ではいかなかったのだが。

 逆に一緒になってからの苦労話だと、「夫婦ふたりが一致
団結した困難に打ち勝ち、最後には幸せを手に入れる」とい
うことでストーリーは統一されている。夫婦仲にヒビがはいっ
たり、ましてや亭主が隣の奥さんとデキちゃったり、というスト
ーリーでは昔話は成立しえない。夫婦は最後まで夫婦として
協力しあうのが基本のセオリー。例外はあまりない。

 昔話も民話も、オタ漫画と同じくこのような形で現実から遊
離しているわけだ。オタ漫画に描写される「苦労」というのは
たしかにぬるいやつが大半で、男女が実際生きてくうえにお
いて有益ななんちゃらがあることなどほとんどない。まあ、だ
からこそオタ漫画なのだろうが。

 ものすごい美人で優しくて結婚するまで処女だったという「ふ
たりエッチ」の優良さん。その設定の現実離れぶりには唖然と
するが、それでも隔週金曜、アニマルを立ち読んでいるわたし。
こういう人間がいちばん危ないかもしれない。

調子わる・・・・

2006-06-13 23:32:29 | Weblog
 とりあえず本日は休暇とって半日横になっていたわけだが。

 しかし最近「体調の悪さ」というのを、このブログ書くことで
実感するようになった。つーか、体調いいときは千文字くらい
軽く書けるのだが、調子悪いと5百字でさえ難行苦行、あとで
読み返してみてもあまりの文のギクシャクさ加減に、ああ疲れ
ているなと。体のだるさや足裏の痛みだけが、体調を判断す
る基準ではないわけである。

 まあ仕事でなく趣味なんだから調子悪いときはやめりゃいい
とも思うのだが、わたしのようにいい加減な性格だと、いったん
休むとズルズルと休んでしまいかねない。折角1年半くらい続
けたのだから、もちっと続けようと思うておるわけである。

 しかし体調がアレだと頭が働かない。思うことや感じることす
べてが、なんつーか紋切り型のツマランものになってしまう。か
つてヒトラーは、勤め人の頭が疲れでボケボケしている帰宅時
間を狙って、単調な演説を繰り返し、ナチの意見を頭に刷り込
んだというが、やっぱ疲労は思考に対する最大の敵ですな。

 疲労もあるし暑さもある。ネタを探してもあまりいいのがない。
というか、ネタは目の前にあるのだがそれを組み立てられない。
あのゴーケン君事件の鈴香容疑者は、見ようによっては宮川大
助に似てないかとか、あれほど歯並び悪いとデリヘルで働くの
に困難はないのかなとか、ツマラン事柄は頭に浮かぶのだがそ
れが文章としてまとまらないのだ。

 要するに、「ある特定の事柄を真剣に突き詰めて考える」という
ことが極度に困難になるのだな。考えてるうちに思考はあっちゃ
こっちゃへ飛んでしまい、まとまらない。「脳の疲れ」というのはこ
ういう具合に表に表れるものなんであろう。そして最後には「楽し
たい」とか「金欲しい」とか「女にモテたい」という風なものに帰結
してしまう。たしかに「本音の発露」といやそうなのだが、その結
論に至るまでの経緯がきちんとしたものでないと、単なる「欲求
不満の中年ハゲのこころの叫び」になってしまうわけだ。それは
それで価値のあるものなのかもしれないが。

 てなわけで本日はギブアップ。布団の上で早々に横になること
としたい。結論はやはり「金欲しい」「女にモテたい」の方向で。

価格と質

2006-06-12 21:15:20 | Weblog
 エレベーターのアレが大騒ぎなわけだが。

 しかしいまさら「安ければいいというものではない」など
と言い出すのは後出しジャンケンというものであろう。公
共施設に例のメーカーのものが多いというのも、「貴重な
税金なのだから一円でも無駄使いするな」という「圧力」
が大きかったからだろうし。しかも保守管理会社が数年
の間に二度もかわっている。まず間違いなく競争入札で
安いとこがとったからだと考えられる。外資系をいれての
競争入札。どう考えても、談合抜きのガチンコ勝負である。

 エレベーターのメーカーが独立系の保守管理会社に製
品の情報を流さなかったことが問題のようだが、商品の肝
の部分すなわち知的な財産を、なんの関係もない会社に
ホイホイ流すわけにもいかないだろう。

 製造原メーカー以外の会社に保守管理をまかせれば、な
にか事故があった場合責任の押し付け合いになるなんてこ
とは、小学生にでもわかることだ。で、案の定事態もそういう
方向へ。「金額を安くすます」というのは、つまりはそういうこ
となのである。

 「価格の安さ」と「安全面の充実」というのは、両立させるの
が不可能とまでは言わないが、かなり困難なことは事実であ
ろう。「安全面の充実」に気を使い過ぎれば「無駄遣い」と指
弾され、経済面を追及すれば今回のように事故が起きた場合
「安全は金で買えない」と怒られる。役人というのもつくづく因
果な商売だなと思う。
 
 安全面云々といったところで、「世界第二のエレベーター会
社」なわけである。それだけの実績があれば、普通欠陥があ
るとは思わないよなあ。マスコミ各社はここぞとばかり過去の
不具合を書きまくり、この会社のエレベータが欠陥商品であ
るかのような書き方をしているが、他のメーカーのエレベータ
と比較しないとなんの意味も持たないだろう。他社のエレベ
ータもこの社の製品と同じくらいの不具合が出ていたとしたな
ら。この社の製品を「欠陥」と決め付けるには、「他社製と比較
して、圧倒的に不具合が多い」ということを証明せにゃならんの
だ。

 しかし外資系のメーカーだと、こういう場合の対応がアレだよ
なあ。日本の場合とりあえず頭を下げておけば、反感を買わず
にすむのに、「わが社にミスはない」的なことを、現時点で言い
切っちゃうのがすごい。日本人の慣行や性癖を無視し、自国の
やり方を通そうとしてずっこける外資系、ボーダフォンみたいな
アレな会社として生の例になるつもりなのか。もう少し考えたほ
うがいいと思う。

女性らしさ

2006-06-11 19:24:44 | Weblog
 昨日競馬場の帰り、例によってフラフラとキャバクラへ
行くために某町へ出かけたわけだが。

 なんか区長選挙の真っ最中らしくて、宣伝カーが駅前
広場に集まってうるせーことうるせーこと。時間は午後
の5時過ぎ、1日のうちでもっとも頭の疲れているこの時
間に、大音量かつ面白みのない単調な演説。これじゃ
普通の人間は、ますます政治家というものに対して嫌悪
感が増すのではなかろうか。

 それはさておき、某候補者のキャッチフレーズというか
宣伝文句というか、こんなことが書かれていた。「女性区
長で優しい政治」。

 いまどき「女性」と「優しい」を直結させちゃう発想がもの
すごい。わたしゃ性差別などにさほど敏感な人間でないと
自負しているが、それでもこれは引っかかった。これ、仮
に現職が女性であるとして、「男性区長で力強い政治」な
んて書いたとしたら、あっという間にフェニミズム学者にボ
コボコにされるのじゃないだろうか。「男性=力強い」とか、
「女性=優しい」とか、馬鹿げた偏見がいまだ残っている
のはとてもアレだ。それも、先進的であるべき政治家のア
タマがいまだそんな風というのはなんともはや。

 世の中にはさまざまな事件が起こっており、残酷な事件
の犯人が女性ということも数多いのにもかかわらず、それ
でもなおかつ「女性」と「優しさ」を等号でつないじゃう感覚
というのは、いったいどこからくるのだろう。つーか、男にし
ろ女にしろ、「女性の恐ろしさ」なんてものは普通に生活し
ていればたいてい理解しているものじゃないのか。エロゲ
ーの女性キャラにしか興味のないヒキコモリのオタクのひと
でもあるまいし。

 「看護師」や「保母」という職種の女性に、過剰なまでの
「優しさ」「穏やかさ」があると想像するイメクラマニアと同じ
発想なのか。そら職業上ある程度「世話好き」の要素がな
いと上記のような職業を続けることは困難だろうが、だから
といって、24時間常に優しさの固まりとして生活できるか
といえばそれは否であろう。逆に、仕事の上で「優しさ」を
求められるのであれば、私生活で雑把になるというのも充
分考えられるのだ。

 先般、例の千葉県の補選で「元キャバ嬢が選挙に出るな
んて恥ずかしい」と言い切った某市長といい、なんというの
か。職業に対して偏見があるのは致し方ないとは思う。だ
が居酒屋でチューハイ飲みつつ広言するのと、選挙の演説
でさも立派なことのように主張するのとでは根本から質が
違う。

 「女性区長で恐怖政治」。ま、これもひとつの偏見ではあ
るな。

モテモテマニュアル

2006-06-10 05:38:22 | Weblog
 小学校卒業以来、ほとんど女性にモテたことがない。

 これで「女性に興味などない、クールでニヒルなアニオタ」
とかいう人種であればそれはそれでいいのだが、残念なが
らそうではなく、いまでもたまに「ああモテたいよモテたいよ」
と、思わず声に出してひとりごと言っちゃう中年男がわたし
である。性欲自体は明らかに衰えているのに、モテたい欲
求は依然として弱まるどころの騒ぎではない。

 そんな風だから、ネットサーフィンなどをしていても、「モテ
る方法」などというコトバをググールでサーチかけたり、ある
いは本屋でも、「女性をひきつけるうんにゃらかんにゃら」とか
いう安い装丁のペーパーバックや、週刊SPA!でおなじみの、
「女性のOKサインはこれだ!」なんていう記事を食い入るよ
うに凝視してたりする。気持ち悪いったらありゃしない。

 ネットなんかでは、「キャバ嬢にモテモテになる方法」などと
いうのが、1冊2万円で売ってたりする。
http://cabaclub.com/lovers.htm←こんなやつね。
2万あるならその金でキャバクラ行けばいいじゃねえかとも思
うのだが、「2万円でキャバ嬢落とせるのなら安いものだ」とい
うのもひとつの考え方ではある。いったいどんなことが書かれ
ているのであろうか。興味津々。

 まあ、実際に購入してみれば、たぶん中身のあまりなスカス
カさ加減に憤りがこみあげてくるのは確実だとは思うが、溺れ
るモノは藁をもつかむという。「非モテ男」にとっては、こういうマ
ニュアルというのは文字通り「藁」なんであるな。で、たいてい
の場合本物の「藁」なので、溺れる人間にはなんの役にも立た
ないという・・・・。

 相手の立場を考え、思いやりを持ち、必要以上に不自然に好
かれようとはせず、話題豊富でかつユーモアを忘れず、身なり
は常に趣味よく清潔にし、いばらずそしてへつらわず、てな具合
に行動できればよほどのブサイクでない限り「モテる」のだろう
が、そういう、「人間として最上位」にいるひとは土台マニュアル
に頼ろうとは思わないだろう。わたしは単に「モテたい」だけであ
って、悟りを開きたいわけじゃないのだ。

 さて、またきょうもキャバクラ行ってくるか。少なくともマナーを守
り、そしてキチンと一定以上の金を使えば、キャバ嬢は客を嫌わ
ない。でも「嫌われない」と「好かれる」の間には、マリアナ海溝並
みの深い深い隔たりがあったりするわけだ。

 ああ・・・・モテたい・・・・。