電車男の大当たりのおかげか、メディアにオタがとり
あげられることも多いようである。それも、「恋愛関係」
のうんにゃらかんにゃらで。
定番的には、インタビュアーの方が「いかにも」て風体
のかた(銀縁メガネにチェックのシャツ)に、「電車男、ど
う思います?」てなたぐいの質問をし、「いかにも」な方が、
「いや~、女のために趣味を捨てるなんて邪道ですよ。あ
りのままの自分を受け入れてもらわないのは負けです」
てな回答をする。雑誌やTVの特集で、このような問答を
数回見た記憶がある。
あれ見て、「お前実際に熊田曜子みたいなムチムチキュ
ーティーな女が、『××さん、付き合って。でもオタクはい
や』って言い寄ってきても、同じ台詞はけるか。だからオタ
ってのは、ある意味想像力がとことん不足しているんだバ
カヤロウ」と思ったのだが。
しかし考えてみるに、オタというのは大雑把に2種類に分
けることができるかもしれない。異性に限らず、現実の人間
関係があまりうまくいかないため、その代用として「趣味」に
走った人間と、人間関係のいい悪いにかかわらず、性格的に
「趣味」にとことん耽溺してしまう人間と。前者のオタなら電
車男のように、現実の人間関係がうまく回りだせば、趣味を
捨てて「真人間の世界」へ戻ってもあまり痛痒は感じないだ
ろう。逆に後者であるなら、たとえどんないい女に言い寄られ
たとしても、「趣味」を捨てることはあるまい。「趣味を捨てる」
すなわち「アイデンティティの喪失」に直結するからだ。
オタにとって、自分は後者の、「趣味のためにすべてを捨て
てる」カテゴリーの人間だと思いこむことは重要なのかもしれ
ない。なんか、「孤高の戦士」って感じがするしね。自分が、
「単に人間関係がうまく回らないからその代用として趣味に走
ってる」人間だとしたなら。「自分はそんなに安い人間じゃない」
と思い込みたい気持ちはよく理解できる。
ただね、前者と後者を比較したなら、現実的な基準からいえ
ば前者の方がはるかに「マトモ」ではあるのだ。
「マトモ」とはすなわち「凡」ということではない。オタの皆様は、
たまには自分の本質を冷静に見つめることも大切だと思う。もっ
とも、それができないからこそ「オタ」なのかもしれないが。
あげられることも多いようである。それも、「恋愛関係」
のうんにゃらかんにゃらで。
定番的には、インタビュアーの方が「いかにも」て風体
のかた(銀縁メガネにチェックのシャツ)に、「電車男、ど
う思います?」てなたぐいの質問をし、「いかにも」な方が、
「いや~、女のために趣味を捨てるなんて邪道ですよ。あ
りのままの自分を受け入れてもらわないのは負けです」
てな回答をする。雑誌やTVの特集で、このような問答を
数回見た記憶がある。
あれ見て、「お前実際に熊田曜子みたいなムチムチキュ
ーティーな女が、『××さん、付き合って。でもオタクはい
や』って言い寄ってきても、同じ台詞はけるか。だからオタ
ってのは、ある意味想像力がとことん不足しているんだバ
カヤロウ」と思ったのだが。
しかし考えてみるに、オタというのは大雑把に2種類に分
けることができるかもしれない。異性に限らず、現実の人間
関係があまりうまくいかないため、その代用として「趣味」に
走った人間と、人間関係のいい悪いにかかわらず、性格的に
「趣味」にとことん耽溺してしまう人間と。前者のオタなら電
車男のように、現実の人間関係がうまく回りだせば、趣味を
捨てて「真人間の世界」へ戻ってもあまり痛痒は感じないだ
ろう。逆に後者であるなら、たとえどんないい女に言い寄られ
たとしても、「趣味」を捨てることはあるまい。「趣味を捨てる」
すなわち「アイデンティティの喪失」に直結するからだ。
オタにとって、自分は後者の、「趣味のためにすべてを捨て
てる」カテゴリーの人間だと思いこむことは重要なのかもしれ
ない。なんか、「孤高の戦士」って感じがするしね。自分が、
「単に人間関係がうまく回らないからその代用として趣味に走
ってる」人間だとしたなら。「自分はそんなに安い人間じゃない」
と思い込みたい気持ちはよく理解できる。
ただね、前者と後者を比較したなら、現実的な基準からいえ
ば前者の方がはるかに「マトモ」ではあるのだ。
「マトモ」とはすなわち「凡」ということではない。オタの皆様は、
たまには自分の本質を冷静に見つめることも大切だと思う。もっ
とも、それができないからこそ「オタ」なのかもしれないが。