日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

春まだ浅い北陸へ 2015完結編 - 帰着

2015-03-16 22:27:23 | 北陸
約1260kmを走破して未明に帰宅し、一夜が明け日常をやり過ごしてから戻ったところです。
昨夜は白馬から更埴方面には向かわず、松本方面へ南下して、安曇野から長野道・中央道経由で帰りました。遠回りになるのを承知で奇策に打って出たのは、疲労の度合いが普段と全く違い、ただでさえ眠くなる上信越道・関越道経由ではとても乗り切る自信がなかったからです。多少遠回りになったとしても、適度に変化があって走りやすい中央道経由なら、負担が軽減されるだろうという目論見があったわけです。
しかしながら、経路を変えても疲労はいかんともしがたく、諏訪湖、八ヶ岳、双葉、初狩の四ヶ所で小休止をはさむという難航により、結局帰着したのは四時近くでした。中央道の走行でこれほど苦戦したのは、初めてではないにしても異例のような気がします。兎にも角にも燃え尽きた四日間の旅でした。

しかし、最近の活動で感じていた、完全燃焼した後の充実感というものが、今回に関する限りはやや希薄でした。最後が過酷な移動になってしまったという事情もさることながら、より根本的な理由は、北陸本線の変わり果てた姿を目の当たりにしたことです。
行先も形式も様々な列車が疾走していた北陸本線が、短編成の普通列車が時折走るに過ぎないローカル線に転落してしまったことについては、昨日も嘆いた通りです。東北などでは二十年以上も前から短編成かつ安普請の普通列車がはびこってきたとはいえ、今回は従来との落差があまりに大きく、なおかつ変化が一夜にして突然訪れたということもあり、喪失感もなおさら大きいものがあります。

昨日直面した旧北陸本線の現実に比べれば、お粗末な車両ばかりの東北地方でさえ、まだましのように思えてきます。たとえば岩手と青森の旧東北本線では、普通列車こそ悪名高き701系で占められてはいるものの、駅についてはJR時代よりも美しく整備され、新駅も設置されるなどの施策がとられています。加えて相当数の貨物列車が走り、昨秋などは撮影に一日注ぎ込みました。翌日奥羽本線を撮ったときには、貨物列車と「つがる」に加え、五能線の「リゾートしらかみ」にキハ40など、華やかさこそないものの様々な列車が行き来し、やはり一日滞在しました。
ところが、旧北陸本線の現状たるや惨憺たるものがあります。窓口の係員は削減されて長蛇の列ができ、減車された普通列車は立ち通しも覚悟の混雑です。お立ち台で列車を待ち構えても、やってくるのは短編成の普通列車しかありません。
中でも目に余るのが新潟県側です。三両編成の急行型・近郊型電車を、単行の気動車に置き換えると聞いた時点で、相当な混雑になるのはある程度予想できました。しかし、仮にも天下の北陸本線を引き継ぐのであれば、当然大型の車両が投入されるとばかり思っていたのです。それだけに、どこの閑散線区かと思うような小型の気動車がキャンプ場の前を通過していったときには、ただ愕然とするしかありませんでした。案の定、沿線では立ち客どころか積み残しが出ているというのですから、何をかいわんやです。自県にとって何の恩恵ももたらさない北陸新幹線に建設費を拠出させられ、あまつさえ在来線まで押しつけられることに対する不承不承ぶりが、あけすけに伝わってくるお粗末さでした。

新幹線開業の前日、魚津駅で地元の人々が名残を惜しむ光景は、北陸本線の存在の大きさを改めて実感させるものでした。その北陸本線が東北各線以下の路線に貶められてしまった現実には、落胆を通り越し呆れ果てています。廃止は時代の流れと割り切るにしても、せめて心ある事業者に引き継いでもらいたかったというのが本音です。
四日間の旅を総括するなら、「北陸本線は死んだ」の一言に尽きます。日本海の風雪に吹かれた初日に始まり、立山連峰を一望した最終日まで、名場面には事欠かない活動だっただけに、何とも後味の悪い結末となってしまったことは残念でなりません。

ともかく、長きにわたって続いた北陸詣でもこれにてひとまず終了です。ただし、あくまで一区切りがついたに過ぎません。五年後には新幹線が福井に到達します。今回生き長らえた金沢以西の区間も、おそらくそれまでの命でしょう。北陸本線が信越本線に続いて有名無実化する前に、北陸特急最後の力走を見届けるのが、今後の課題となってきます。
その気になれば一泊でも行き来できる富山と違い、金沢以西になると最低でも二泊を見込んでおかなければなりません。当然、そのような活動を頻繁にはできないため、列車とレンタカーを組み合わせるといった対応も必要になるでしょう。「北陸フリー乗車券」が廃止された今、割高な料金を払ってまで新幹線で直行する理由はなく、むしろ在来線が残った金沢以西にどれだけ乗れるかが重要となります。今後は名古屋、米原経由が基本となりそうです。
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