フランスぶらぶら滞在記

中年の元数学教師がフランスでフランス語を初歩から勉強するという悪戦苦闘日記。フランス人や多くの外国人との交流にも注目。

第215日 コンジュゲゾン(活用)

2008-02-29 01:24:53 | Weblog
      第215日 コンジュゲゾン(活用)

 このヴァカンス中の宿題を月曜日の試験終了時から始めている。一日3ページというノルマはなぜか守られている。毎日大学の図書室に通っているせいだろう。今日は余分に一ページやってしまった。
 ところでフランスの動詞の活用は大変である。英語は現在形の活用が、「三単現S」しかない。仏語から比べれば無いも同然。仏語では少し事情は違うが、英語の過去形にあたる「半過去」と現在完了にあたる「複合過去」がある。よく英語の不規則動詞の活用を憶えたものだがそんなものじゃない。約60倍くらい憶えることがあると思う。
 現在形だけにこだわれば、ちょうど日本語の文法における動詞の活用に似ている。五段、上一、上二などのグループに分かれているのだが、やはり仏語の方がはるかに多い。十倍くらいかな。例外も数多くあり、なかなか憶えられない。本当にフランス人は全部憶えているのかと尋ねるが、現在形と半過去、複合過去、単純未来までは憶えているという。条件法と接続法はそれぞれ現在形と過去形があるのだが、あやしいフランス人もけっこういるようだ。日本人が漢字を二千字近く憶え、熟語も三千語くらい知っていることを考えたら当たり前なのだろうか。よく使われる言葉から入っていけば、二~三年で憶えられるようなのだが、それをここ二週間で頭にたたき込もうとしている。さずがに憶えるはしから忘れている。今日もサキと一日中勉強した。昼もケバブった。これからバスター・キートンの「カメラマン」という映画をペサックにまで見に行く。
 昨晩フォークソングのサイトをユーチューブで発見して、チキンカレーを食べた後から、五時間一人カラオケ大会をやった。懐かしかった。これはくせになる。
 さて30分前に映画館に到着するもあまり人がいない。五分前でちらほら並んだくらい。今日の部屋は広かったので、半分以上空席だった。
 最初若者が解説をしてくれた。15分の長きに渡ったので、途中2回ほど眠ってしまった。でも無声映画はいいね。時々間に入る台詞も英語だからわかりやすいし、フランス人と同じところでしっかり笑えた。しかしキートンは本当に天才である。ストーリーはカメラマンに紛するキートンが新聞社の受付嬢に一目惚れして、写真屋からフイルム・カメラマンに転身し、彼女にいいところを見せようと奮闘努力するが、まったく空回りしてうまくいかない。最後に猿の機転によって、キートンが彼女を助けたところが記録されており、一躍ヒーローとなるハッピイ・エンドで終わる。キートンと彼女とのデートが笑える。プールに行って、良いところを見せようと飛び込み台から落ちるのだが、水着が脱げてしまう。素っ裸でどうするのかと思いきや、女性から水着の半分を盗む。ここは実際に見ないとよく分からないと思う。とにかく一こま一こまよく撮られている。キートンの顔の表情は芸術的でさえあった。
 部屋から出たら、ワインとおつまみが待っていた。これはマダム・ブラウに聞いていたからちょっとだけ赤をいただいた。その時も例の若者が補足説明をしてくれた。今日のフイルムがコピーではなくて、マスターテープだそうだ。だから扱いが非常に難しいと言っていた。そのような苦労は技術屋でないとわからない。
 映画の後半から無性に泣けてきた。ワインを少しいただいて失礼したが、歩きながら涙が止まらない。トラムに乗り部屋に戻るまで感傷的であった。
 明日はモームである。

第214日 ドンドン(dondon)!

2008-02-28 03:06:42 | Weblog
       第214日 ドンドン(dondon)!

 今日も早めに起きて大学へ。ヴァカンスに入っても規則正しい生活を続けないと正月明けは戻すのが大変だったからである。本来なら今日図書室の大掃除を業者がやるはずだったのが明日に延期になったそうだ。勉強していたらサキが来た。そのうち先生方と言っても教師の卵とその指導教官の先生とでミーティングが始まった。この教員を指導する先生が、僕はDEFLEで一番若くて綺麗だと思う。その先生からまるで子供を諭すように「今から会議をするので良かったら場所を変えてくれない?」と訊かれて「喜んで!」と席を2階に移動した。初めて口をきいたのが今日の収穫である。
 昼休みはいつものケバブ屋へ。帰ってサキにパリの新聞「オブニ」を上げて、雑談していたら、あるクラスだけ授業をやっている。僕はすかさずケバブ屋を推薦してあげた。サキが「そう言えば何でフランスで勉強することにしたの?」と今更ながらの質問をする。いつものアガトゥとの顛末から話し出した。それよりもサキはボラボラ島の話が気に入ったらしい。
 さて午後は先生方のミーティングが隣の教室に移動したのでゆっくり勉強できた。久々に捗った。問題集に「don Juan(ドン・ジュアン:ドン・ファンのこと)」が載っていたので、辞書で確認していたら、仏和には無いが、仏仏に発見できた。そのそばに「dondon」という単語が載っていた。意味を見たら「太って大きな女性」だと書いてある。司書の人に質問したら、「醜くて太って年老いた女性に使う言葉だから気をつけた方がいい。」とアドヴァイスされた。「実は日本語にドンドンという言葉があって面白いね。」と言ったら、仏語の発音はちょっと違うと指摘された。とにかくかなり意地悪な使い方をする言葉なのだ。さっそく勉強を終えたサキに教えてあげた。チェッカにもSMSを送ったが返事はまだ無い。チェッカはブルターニュで遊んでいるのではなくて、ヴァカンスに出かけた夫婦の子供の面倒をみるというアルバイトをしているのだ。まだきっと手が離せないのだろう。
帰宅して「チキンカレー」を作り始めた。チキンの英語の綴りに自信が無い。なんてこったい。

第213日 二日連続のケバブ

2008-02-27 05:04:20 | Weblog
        第213日 二日連続のケバブ

 今日も早めに起きて軽く朝食を済ませ大学へ。もうDELF B2の試験は始まっていた。20人近い受験生だ。しばらくコーヒーを飲みながら本を読んでいた。外の工事の音がうるさいので、大きな図書館に行こうとしたのだ。ところが工事の音が止んだ。それならばと図書室のドアを開けたら、中でサキが勉強している。おかげで集中して勉強できた。サキはお昼を持って来ているというので、ケバブを買って帰ってきた。そうしたらミエも来たので楽しく昼食。実は昨日のケバブのせいか腹が出てきた。原因はケバブについている多量のポテトのようだ。今日は半分サキにあげたのでそれほど苦しい思いをしなくてすんだ。二人ともケバブの臭いにくらくらしている。珍しく我慢しているためだ。
 午後も閉館までたっぷり勉強して日本館へ。久々のお湿りが降ってきた。映画とプチ・ニコラについての質問をしたが、プチ・ニコラは言い回しが特有で思ったより難しいということがわかった。
 ヴァカンスに入っているので子供達は来ない。久々のエマニュエル。フォールさんの奥さんと後はあまり知らない女性2人。要するに生徒は全員女性。先に進むわけにもいかないので、質問を受けたがなかなか鋭い質問が飛んできた。実は授業前に、「モノ」「ジ」「トリ」と言ったギリシアの数え方の質問をエマニュエルにしたら彼女は文系らしく知らないという。もう一人の女性に訊いたらものすごい答えが返ってきた。進藤さんによるとコンピュータの博士号を持っているとっても優秀な女性だとのこと。道理で初心者なのにばしばし答えるわけだ。でも基本的な単語をときどき忘れている。まあ日本の労働問題から宗教問題まで質問は多岐にわたった。どのくらい理解してくれたかわからないが、満足して帰ってもらった。雨がひどくなっている。でも日本に比べれば大したことはない。サキと明日も勉強する約束をしたから、今日も夕食後勉強である。通すと一日で十時間ほどやったことになるかな?

第212日 DELFの試験とフランスの香り

2008-02-26 05:37:07 | Weblog
      第212日 DELFの試験とフランスの香り

 表題の通り今日は二本立てです。まずいつも通りDEFLEに到着し、指示を待つ。コッソンが「部屋に入って・・」という声でみんなぞろぞろ教室に。最初は二つの記事を読んで質問に答えるという文章理解。一つ目はまあまあ分かったが、二つ目は難しかった。何とか答えを記入した。
 二時間目は仏作文で、記者になって最近見た映画の批評を書けという課題であった。少し意表を突かれた。時間も足りず、もうぎりぎりだった。どの映画にしようか迷った時間がもったいなかった。無難な黒沢の「生きる」にした。でも生きるという動詞と人生という名詞を間違えて使ってしまった。「C'est la vie!(これが人生さ)」といつも使っているのにど忘れするなんて・・。
 三時間目はラボに移動しての聞き取りのテストである。全部で三題。どんどん難しくなっていった。三問目の文章で答える問題(三択で答える問題が半数程度)は特に難しかった。しかもかなり速くて聴き取れない上に、2回しか繰り返さないから、これが最低の出来であった。
 お昼は以前1er degreで一緒だった中国人ザン君とケバブる。この子は本当にいい子でぼくの間違いだらけの仏語をよく聞いてくれた。彼がいなかったら、今日はメロメロだった。大学の食堂が休みだということも知らなかったからだ。昼休みが長かったので、中国や日本の話題まで話をした。彼と一緒に早めにケバブったので座れたが、どんどん人が来て、店があっという間にいっぱいになった。その中余裕で食べる。久々のケバブは本当に美味しい。
 帰りにちえちゃんが大学の後輩達を引率して案内をしていた。3人の女子学生が遊びに来たらしい。この間知り合った日本人の男の子も一緒にいた。
 さて午後は面接試験である。二つ主題を選ぶらしい。ソンシャがA2を受けていたので、先に終わって様子を教えてくれた。でも手強かったらしい。
 僕はお腹がふくれて眠くなる。昨晩試験が気になってよく眠れなかったからだ。ソンシャが日本では理系のクラスにいたことも初めて知った。「やはり教員だけあって人前では落ち着いて話せるね。」と妙な感心の仕方をしていた。ソンシャと話していたら、いよいよ順番が来た。コッソンが「裏返した紙を二つ選んで、十分間で準備をしろ。」と言う。よくわからないまま二つの主題を見たら、「礼儀」と「母のお誕生日会」だった。時間が無いので自分なりに話をでっち上げた。
 さて隣の教室に移動して面接が始まる。まずは自分の夢を説明する。3分となっていたにも関わらず、コッソンは質問を浴びせかけてくる。何とかしのぎ、次の「母のお誕生会」の話に。一応まとめた通り説明したが、時間が余ってしまった。仕方が無くコッソンが質問してくれたのでそれに応える形で何とか話をつなげることが出来た。次の「礼儀」でも、まず僕が読んで主題を答え、自分の考えを述べろと言われたが、自分の考えがあまり入っていなかったので、コッソンが助け船を出してくれ何とか自分の意見も説明したら時間になった。有り難いことである。「まずは良かったね。」と労いの言葉までかけてくれ、「B2も受けるの?」なんて訊いてきた。「いえもうこれで終わりです。ボン・ヴァカンス」と挨拶して部屋を出た。そうしたらザン君と中国人女性が心配そうに「どんなことやるの?」と訊いてきたので簡単に説明してあげた。この中国人の女性は現在ボルドー2で生物学を学んでいる。今日は彼女のようにDEFLE以外の学生も数人受けていた。A2とB1だけでもいるのだから明日のB2はもっといるのだろう。「試験難しかった!」というSMSを、バシャール君、チェッカ、チビ太の三人に送ったが、すぐに返事をくれたのはバシャール君だけ。女は冷たいね。
 しばらくザン君と中国人女性の三人で雑談していたら、ザン君の番が来たので「今から映画に行くんだ。さようなら」と言ってDEFLEを出る。
 初めてのペサックである。「小さな街だ。」とチビ太から聞いていたが本当に小さかった。でも暖かいのと街の雰囲気が明るいためか、ちょっと初夏のタヒチを思い出した。
 「フランスに来たなあ。」と痛感するのは個人差はあるとは思うが、僕は香りである。まず日本の空港のあの香水売り場の強烈な香り。あそこを通るといよいよ外国に出発する気がする。パリのシャルル・ド・ゴールもそうであるが、外国の空港は日本の空港ほど臭いはきつくない。でもフランス人の香りがするのである。ところがエクスでもここボルドーでもあまりフランス人の香りを嗅いだことがなかったのだ。それがペサックでトラムを降りて、街中をぶらぶら歩いているだけでフランス人特有の香りがしてきて幸せな気分になった。
 バシャール君の言うように映画館はすぐに見つかった。チケットを買ったが、今日は特別に4ユーロ(640円)と超お得。しかも待っている間に勉強までしてしまった。試験に刺激されたようだ。確かに出来は悪く落ちると思うが、でも仏語のポイントが少し見えてきた。一時間ほど前に映画館に着いたのもよかった。コーヒーを飲み、コンタクトを入れたら、「もう並んだ方がいいよ。」という親切なギャルソンの声に並び始める。次から次へと客がチケット売り場に列をなす。とても良い席に座れそうになさそうだ。僕でもすでに前から三列目に座らざるを得なかった。でもここは大変見やすい映画館だ。しかも隣のマダムがとても親切で、とっても聞きやすい仏語でいろいろ解説をしてくれた。映画の最初にちょっとトラブッたがそれもご愛敬だった。とても不思議なフランス映画だった。もちろん字幕はなし。時々アラビア語が混ざる。この時はほとんど全員分からない顔をしているが、仏語で面白いことを言った時に、僕の両隣のマダムがそろって笑う。僕は意味不明だがつられて笑う。
 映画の結末が期待されたが、あれっという結末だった。ハッピイエンドでもないが、最悪の事態でもない。ストーリーはまた次の機会に紹介したいと思う。とにかく映画を紹介してくれたマダム・ブラウに感謝。帰りは日がとっぷりと暮れていたが、まだ暖かく、空いているトラムで気分良く帰った。チビ太とチェッカからSMSの返事が届いていた。二人とも呑気である。チビ太は僕の試験が四日間もあると思いこんでいるし、チェッカはチェッカで、美味しいブルターニュ料理を満喫したことを報告してきた。人生なんてこんなもんさ。このヴァカンスは映画漬け、フランス語漬けの二週間にするぞ!

第211日 脳内バリアー 2月24日(日)

2008-02-25 00:28:50 | Weblog
    第211日 脳内バリアー 2月24日(日)

 ヴァカンス2日目。とは言っても明日試験があるため、ゆっくり寝てもいられない。早速昨日バシャール君に直してもらった作文の清書にかかる。同義語もまだよくわからない。語彙が少ないので仕方がないか。
 さて学生時代英語を勉強していても、まったく話せなかった。それが海外旅行をきっかけに勉強し始めたら、徐々に発音に馴れていって、英語の音を取れるようになり、ある日突然話せるようになった。とは言ってもわずかではあったが・・。
 とにかく英語で考えられるようになったのだ。夢の中でも英語を使おうとして、寝苦しい思いをした。おそらく寝言で下手な英語をつぶやいていたのだろう。
 今は毎日やたらと仏語に触れてはいるが、何か脳の中にバリアーがあって、吸収しないように抵抗しているとしか思えない、日本にいたときや、エクスで勉強していた時はまだ知識量が少なかったので、スポンジのように知識を吸収できていた。ボルドーに来てから、この吸収量が減った。何か脳の方で「これ以上入れようとするとパンクするよ。」というような警戒警報を出しているような感じだ。
 最近特にバオ=ヤン(カレン)に指摘されているが、仏語の質問に対し、つい日本語で答えてしまい不興をかっているのはそのためだ。最近は授業中、先生方に対しても日本語が出て、失笑をかっている。困ったものだ。エクスの時には日本語をほとんど誰に対しても使わなかったのに・・。
 日本館で本が借りられることをいいことに、日本語の本ばかり読んでいて仏語の本をちっとも読まないのにも表れている。
 さてチェッカからは何の連絡もない。ヴァカンス中もエションジェが続けられると思っていただけにショックは大きい。でも子供じみたことを言ったらまたチェッカに叱られるし・・。それにしても「何でヴァカンス中出かけることを言ってくれなかったんだい?」と訊いたら、チェッカは一言「淋しいねぇ~」。それはないでしょチェッカさん。

第210日 DELFの試験その2

2008-02-24 00:58:01 | Weblog
      第210日 DELFの試験その2

 二週間ぶりのバシャール君とのエションジェ。今日は久々に日本語の勉強から開始した。時刻の説明をしていて、正午とか午前・午後の意味がよく分からないというので、十二支を説明した。一度日本館での授業でもやったのに、もう動物の名前を忘れている。ついでに方角も教えたら、バシャール君は感心していた。
 僕の仏語はコリージュだけ二人でやっただけであったが、それでもいつもと同じくらいかかった。まだバシャール君はひらがなが読めないので、すべてローマ字に直さなければ発音できないのだ。「周りはヴァカンスだと言っているが、僕は今進行中のプロジェクトがあるので毎日大学に行かなきゃいけない。」と嘆いていた。
 アサエさんがもうすぐボルドーを出発して、スペインのコンポストラまで巡礼の道を歩くことをなぜかバシャール君は知っていた。木曜日に僕にまで気を遣ってくれて、いくつかの品物をいただいた。日本に帰国するのは僕より1カ月ほど早いに過ぎない。でもすごいパワーだね。これから買い物をしてオーラルの試験練習にかかる。まあ無理しないで頑張ることとする。

第209日 船を漕ぐ

2008-02-23 04:38:50 | Weblog
        第209日 船を漕ぐ

 「船を漕ぐ」と言っても海に出たわけではない。早めに大学について午前中の試験に備えて勉強をしていた。朝は少し肌寒かったが、日本に比べれば15度とはるかに暖かい。さてその試験だが、予告と違って、まったく何も見ないで作文を作ることとなった。それはいいのだが、直前まで憶えた語彙がまったく出てこない。いったいどういう頭の構造になっているのかまったくわからない。シラタキに一人で行ったら日本語学科一年生セシル(密かに「姉御」と呼ばれている)がいたので、彼女と話しながら楽しい昼食。
 昼休みは中国人のヴィッキーとまたもや四方山話。「先日ザオ・シンが中国の宗教についてまったく話せなかったのは最近まで共産党が宗教を禁止していたの?」と尋ねたら、最近はそうでもないという返事が返ってきた。仏教のお寺にもみんな行くそうである。今日からヴィッキーはアルバイトをすると言って早退したが、テストは受けていった。お金が貯まったら両親に仕送りするんだそうだ。日本人の女の子達に聞かせてあげたいくらいの話である。
 さて僕は午後の授業にもまさかテストがあるとは思ってもいなかったので、不意を突かれ非道い目にあった。まあ勉強が足りないせいなのだが・・。宿題もたんまり出たが、とにもかくにもヴァカンスである。みんなウキウキして帰って行った。僕はシラタキが閉まっていたので、側の椅子で横になって本を読んでいたら、本当にいい気持ちになった。表題のように「船を漕い」だのだ。
 完全に春の陽気である。本を少し読んだが、バンジャマンとサキ、サキコが来たので、今日の勉強会で使うダイアローグを作成し始めた。もう気持ちが良くてウトウトしてしまった。結局宇宙人の役は僕がやることとなった。
 ヴァカンス前日ということで1年生が少なかったがそれでも5人来てくれた。日本人は、僕、サキ・サキコ・ナオコ・ミエの5人である。最初少し質問を受けた後、宇宙人との会話をやった。やはり少し文章が長くなったり、複雑な表現は理解できないらしい。次々と質問されるが、バンジャマンが丁寧に仏語で説明してくれた。帰りは賑やかにトラムで帰った。月曜日の試験の話を少ししたら、みんなが「頑張って」と応援してくれた。あと2日気合いを入れて勉強をする。

第208日 プレゼン終了!

2008-02-22 05:39:36 | Weblog
          第208日 プレゼン終了!

 今日悩みの種だったシヴィリザシオンの発表が無事終了した。実は昨晩説明を憶えなければいけなかったのだが、疲れて早くに寝てしまった。朝も早かったので、授業の合間の30分間で数回練習しただけで本番に突入した。もちろん1時間目もしっかり受けたが、今日のディクテは難しかった。
 さてまずアサミさんとシンシンのペアが先にやったのだが、カッセルビルが何か説明をくどくど言い始めた。準備が十分でないと言いたかったらしい。この2人はヴァカンスについてやったのだが、アサミさんが法律の改正状況を説明し、シンシンがフランス人から聞いたヴァカンスの現状を説明した。ただ授業なので一般的な説明をしっかりして欲しかったらしく、シンシンは後で注意されていた。
 僕とナバーロは予想通り、ナバーロがほとんどしゃべり、僕は用意した画用紙を黒板に貼りながらの短い説明で終わった。ただ説明が良かったのか、カッセルビルは上機嫌であった。最後に質問を受けた後、少し補足説明をされたが、これも図があったのでわかりやすかったと思う。今回のプレゼンはほとんどナバーロにおんぶにだっこだった。イスパニヨールではあるが真面目なおじさんだ。授業後「お疲れサン。ボン・ヴァカンス!」と言って別れた。
 シラタキは今日は混んでいた。金曜日にたまたま飲んだ日本人青年との昼食。まだ文法でてこずっているという話をしたら「だめじゃないっすか」と励まされた。一言もない。
 DEFLEの外でチビ太が一人座っている。マリオンとのエションジェのため待ち合わせをしているというが、マリオン達は来ない。しばらく雑談をしていたが、なかなか来ないので、チビ太はお腹に何かを入れるため帰った。
 図書室で勉強していたらチェッカからメールが届く。実は昨晩アサエさんから「浴衣を欲しいフランス人がいたら安く譲りたいとおもうのだけれど、フランス人の女性に知り合いが多いイデさん探してくれる?」という連絡が入った。おそらくチェッカは身長もちょうどいいし、ほしがると思って連絡したのだった。
 ところがチェッカは「あなたがプレゼントしてくれるの?夢みたい。」と一人はしゃいでいる。まあ今までの流れからチェッカに話したらこうなるだろうと思っていたので、「ああいいよ。」と返事を返した。ところが今日エションジェのはずが、チェッカはヴァカンス中ブルターニュに行ってアルバイトをするため、授業もさぼって買い物に精を出している。何とか二人を調整して、オーシャンの前で待ち合わせをした。チェッカは予想通り話が分かっていなかったが、僕がアサエさんから買ってチェッカにプレゼントした形となった、さきほどチェッカからお礼のメールが届いたからまあ許してやるか。
 さてCIJAに行って勉強するもあまりやる気にならず、読書と昼寝。日本館に移動してやはり勉強。モルガンに少し質問した。
 今日も五月蠅い授業で、全員そろっていないので、動物シリーズをやった。あまり動物の種類を知らないことがわかった。しかしほとんど英語と異なるので難しい。
 家に着いたら小野君から「村松先生を囲む会」の報告が届いていた。待ちに待っていたものである。みんな元気そうだ。僕の帰国に合わせてまた開いてくれるという。持つべきものは友達だね。

第207日 花粉症

2008-02-21 05:14:44 | Weblog
          第207日 花粉症

 朝早く起きたのだが、ゆっくり朝食を食べたのと、一本トラムを乗り過ごしたら、次が7分待ちで、1時間目の授業に遅刻してしまった。でも学生はまだ7人しかいなかった。先週の復習から入ったがまったく憶えていない。いけないねぇ。
 休み時間にこの間数独を通じて仲良くなった中国人のヴィッキーと四方山話をした。パリではどの先生もヴィッキーと呼んでくれたのに、ボルドーでは中国名で言われるという。なかなか面白い子だ。前学期はIL5にいたそうだが、実はこの1時間目に間に合わなかったので、一所懸命ノートを写していた。
 さて文法は宿題の答え合わせからだが、僕が授業開始時に出したものまで取り上げてくれて、コリージュしてくれた。それはとっても有り難いものだが、辞書の例文を少し手直しして作った文をこき下ろされた。授業が終わって「実は辞書に載っているんですけど・・。」と質問に行ったら、「これは小説の一部でしょ。普通の文としてはおかしいの!」と答えてくれた。でも上機嫌だったので、あと2つほど質問をしたら、ますます機嫌がよくなって、「お前は映画が好きか?もし行くのならこのガイドブックをあげる。」と授業の終わり頃に説明してくれた映画祭のパンフを気前よくくれた。それにしても宿題をやってくる学生が少ない。今日はモンちゃんが当てられたが、あきらかにやっていなかったので、途中で僕が答えるように立候補した。そうしたら、次からどんどんみんな答えだして、いい雰囲気で授業が進んだ。でもカレンのように解答のコピーを机の上に出しておくのはいけないよね。
 昼はシラタキ。今日も無理矢理フランス人女性2人組に入れてもらって食べた。スパイスを取りにいって戻ったら、また別のフランス人の女性が目の前で食べ出している。会話は無くても面白かった。今日のTDは教室変更があったからか集まりが悪い。ナバーロがラボまで見に行ってくれてもなかなか集まらない。
 やっと9人が集まって自己紹介から始まった。和やかな雰囲気の中でヴェルカメール先生が質問をされる。フランスに来て驚いたことなどを答えた。ソンシャとベネズエラ人のミネルヴァが遅れてきて参戦した。とにかく在仏8年目のミネルヴァはよくしゃべる。十八歳の息子がいるということは何歳なんだ?お金の話にもすぐ食いついてきた。最後に宗教の話になったが、中国では最近まで禁止だったらしい。ザオ・シンをほとんど知らなかった。
 同じくヴェルカメール先生のシャンソンの授業。なぜか眠くて堪らない。隣のモンちゃんがくすくす笑っているのに気がついたので、気を取り直した。メキシコ人達がやたらと聴き取れて発表するのがうらやましい。ほとんど聴き取れないからだ。楽しい歌だということはわかった。みんな授業を楽しんでいた。
 さて問題のシビリザシオンである。案の定カッセルビルはいない。本当に授業だった。しかも10分近く延長したのを、エンリケと廊下で待つ。やっとつかまえたら「今から会合があるという。」「いやいやいや昨日確かに約束したから・・」と二人で説得して見てもらった。僕の担当部分を聞いて「それだけ?」と言う。「いやいやいや時間がないから、やむを得ない。」と頑張って説得した。エンリケの担当はほぼ満足だったようで、一安心。エンリケ曰く「フランス人だからねぇ。」まあ待っていてくれた、エンリケ妻マリアに「まあ良かったじゃない」と慰められDEFLEを出た。
 日本館へ向かう。もう後半の授業に入っていた。先週の復習だったが、みんな忘れている。人のことは言えないね。やはり動詞が2つ並んだりするとやっかいなようだ。フランス語にあって日本語に無い表現なども出てきて、かなりこんがらがっていた。でも進藤さんが上手く説明してくれた。「これを借りてもいいですか?」と「これを借りていいですか?」の違いなどである。確からさしさの違いなのだが、疑いが強いかどうかの違いで説明されていた。
 さて進藤さんとの帰り道に、鼻がぐずぐずし出している。どうも花粉症が始まったようだ。スギ花粉ではなくて、車の排気ガスによるものだという。これから4月中旬まで苦しい日々が始まった。

第206日 火曜の勉強会

2008-02-20 04:50:12 | Weblog
       第206日 火曜の勉強会

 まだ準備が出来ていなかったので、今朝は9時から準備にかかり11時に一応かたづけた。大学のホールに行くとカンウィが「図書館へ行こう?」と誘ってくる。いつもはDEFLEの図書室しか使ったことはないが、カンウィについていった。特に出入りで必要なものも無く、本を借りることもないので、普通の図書館のようにすればよい。ただ非常に中は広くて、大勢の学生が必死で勉強していた。
 ナバーロとの約束があったので2時にはDEFLEに引き上げた。ナバーロともう一度今日の確認をして、TDの授業へ。4月に行われる、自転車ラリーの説明があったが、よくわからない。数人が申し込んでいた。今日はプチ・テストがあったが、どうしても一語がわからなかった。
 DEFLEに戻ったら、またもやカンウィに誘われ、今度はアサミさんも一緒に図書館へ行く。カンウィはユンジンの返事を渡してくれた。僕は大喜び。
 そう言えば、カンウィがユンジンのアドレスを今日僕にくれた時、大喜びしていたら、アサミさんとキミコさんが、「どうして年甲斐もなく若い女性に接近するかなあ?」と横でぼやいている。この間はアサミさんとエリコさんが「もう貴方の選択肢は、マダム・ボワイエルかマダム・コッソンだ。」と勝手に決める。二人とも結婚していて子供いるし・・。と僕は嘆くしかない。
 さてナバーロの授業の終わり頃、DEFLEに戻り、カッセルビルを探す。なぜか彼女は授業をしていた。「この時間に来い。」と自分で言っていてこれだ。一応レジュメだけ渡して、また水曜日に打ち合わせをすることになった。
 初めての火曜日勉強会である。掲示板の前に先日飲み会で知り合ったビジュアル系の若者がいた。彼は実は3年生で、日本語がかなり話せる。先日お叱りをいただいた、ラルク・アン・シエルが以前はビジュアル系だったが今は違うということも教えてもらった。「ブログに非難するコメントが寄せられたんだ。」と説明したら、「それは熱心なファンからでしょう。でも別に知らなくても恥ずかしくはないよ。」と慰められた。その彼から、ラルク・アン・シエルのパリ公演が5月にあることを聞いたミサトとサキコは喜んでいた。
 その同じ彼から今度は「能」についても解説された。能は薪能しか見たことが無く、後は教育テレビで見た程度である。これも恥ずかしかったが仕方がない。
 逆に、フランスの詩を、例えばアポリネールなどを諳んずるとフランス人は驚いてくれる。お互い様か?
 勉強会も面白かった。坂本先生の出した宿題「宇宙人との会話」にちなんで、空想上の動物について勉強した。竜・河童・天狗・人魚・ケンタウロスである。河童などフランス語には無いものもあり説明が難しかったが、みんなで絵を描き楽しめた。特に一人面白い女の子がいて、漢字がほとんど読めない。勉強会の後「どのくらい漢字を覚えているの?」と訊いたら「授業は週に2時間だけど、ほとんど憶えない」と答えたので、「僕は小学生の時、毎日百字練習させられた。」と言ったら、驚いていた。やはり漢字は嫌でも憶えるしかないのであろう。
 今夕食中だが、終わったらヒュンジンにメールを送る。楽しみである。メールと言えば今朝、教え子のアイから待ちに待った合格の一報があった。たくましく成長してくれている。