フランスぶらぶら滞在記

中年の元数学教師がフランスでフランス語を初歩から勉強するという悪戦苦闘日記。フランス人や多くの外国人との交流にも注目。

第155日 年の瀬の思い出

2007-12-31 00:06:57 | Weblog
           第155日 年の瀬の思い出

 もうすぐ日本では大晦日を迎えるであろう。こちらはクリスマスが終わっても一月の中旬までクリスマスの飾り付けは残るし、セールもやっている。年末年始海外で過ごす人の出国ラッシュが昨日と今日らしい。こうやって初めて海外で年の瀬を過ごすのに矛盾しているが、日本で過ごした方がいいと思う。恒例の紅白を始めとする番組もこちらでは見られない。何となく正月気分が味わえない。雑煮はどうしようか?とりあえず炊飯器があるのでご飯は食べられるが・・。僕にとっては2年続いた伊勢参り(?)がやはり楽しみだったからである。恒例の若さまとのゴルフ・麻雀対決も楽しかったしね・・。まあ日本におけるほとんどすべてを振り切ってフランス入りしたわけだから、楽しいところだけいただこうというのは心がけとしてはまずかろう。
 明日の大晦日はチェッカとのエションジェがあっていいのだが、元旦はとりあえず何もない。と言って誰かを誘って何かするだけの企画もない。昔に戻って初日の出を拝みにマラソンでもするかな?といったところ。
 さて昨日幼少の思い出を書いたら、弟との齟齬が生じた。ちょっと意外だった。お互いにボケが始まったか、それとも記憶間違いか?気にしても仕方がないが、脱線してもう少しだけ書く。
 いつだったか、年が改まる瞬間を目にしてやろうと思っていくつか試みたことがある。大晦日の夕暮れをずっと眺めていたけれど格別変わったことはなかった。お袋に「もうご飯だから家に入りなさい。」と叱られたくらいである。そう言えば我が家は大概大晦日に大掃除をしていたのだが、これが大変だった。小さい頃は夕方までかかったような気がする。年を経るにつれて要領がよくなったのか、適当にやったのかわからぬが、午後三時にはほぼ終了していた。餅つきは三十日の行事だったかしらん?我が家には石臼があって、この餅つきは大変だった。杵が重くて小さい頃はつけなかったが、小五くらいから少しずつやらせてもらえるようになった。これも一家総出で半日仕事である。ただつきたてのお餅はもうこたえられないくらい美味しくて、そのためには何としてもつき終わらないといけないのであった。雨が大敵である。大掃除は中止になるからいいのだが、餅つきはそうはいかない。雨の中、納屋の下でつく餅はつき方が不十分になることが多かった気がする。
 話が脱線した。次は徹夜して、新神なるものの正体を見てやろうと思ったのだ。我が家は紅白の前に年越しそばを食べる。つまり夕食後、まもなく食べてしまうのである。紅白が終わり、行く年来る年が始まるとみんな寝てしまうのだが、その年だけは頑張って起きていようとした。NHKが1時半ころ終わった後、応接間でラジオを聞きながら頑張って起きていたが、「新神」なるものはとうとう現れなかった。ふらふらの状態で朝食を摂る時にオヤジに尋ねたら、「とっくに来ているよ。」といつものオヤジとは比べものにならないくらい上機嫌な上に、すっとぼけたことを言う。お袋と姉貴が馬鹿笑いしていた。元旦に(日曜日と祝日のすべても)日の丸を門柱に掲げるのは僕の仕事であった。よく忘れてオヤジに殴られていたが、日の丸の先につける玉をいつだか僕が割ってしまった。すごく叱られると思ったが、なぜか叱られなかった。しかもそれ以降旗を出さなくてもいいことになった。オヤジが丸くなったのかどうか僕にはわからない。
 とにかく元旦の朝食ほど大事なものはない。雑煮を食べ、おせちの卵巻きを食べ、オヤジからお年玉をもらうのである。一年の楽しみがほぼこの一瞬に集約されていたと言っても過言でなかった。残りの364日はひたすらオヤジから叱られるのである。叱られなかった日は無い。ひどい時は一日二度叱られた。最悪である。部屋の持ち物はすべて庭に放り出され、家の中にも入れてもらえない。しかも子供を閉め出しておいて当のオヤジは忘れていることが多かった。この時だけはお袋が仏様に見えた。お袋にもよくいたずらをして叱られていたからである。
 だから学校の先生はみんな優しく思えた。まず普通に話が通じるのだからたまらない。オヤジときたら、まず子供の言い分にいっさい耳を貸さない。まずゲンコツありきなのである。子供にしたら理由もわからずただ殴られるのである。一切説明はない。殴られた理由は自分で考えろというのがオヤジの方針であった。明治・大正生まれはみんなそうやって躾けられてきたのだろう。
 でもオヤジが正座して書見台を使って読書したのを見たことがない。新しもの好きだったオヤジは早くから西洋机と椅子を買って、電気スタンドで読書していたらしい。それに反してお袋はいつも座り机だった。

第154日  Tetu(頑固)  12月29日(土)

2007-12-30 02:50:54 | Weblog
   第154日  Tetu(頑固)  12月29日(土)

 今日もゆっくり起きたが、さすがに段丘の原稿が気になった。一昨日あたりから寝ながら構想を練ってはいたがあまり良いアイデアは浮かばない。仕方が無いので書きながら考えることとした。作品①はほぼ完成していたが、あまり面白くない。もっとフランス人達の個性を引き出したかったのであるが、まだ交際も浅いのでやむを得ない。作品②も一気に書いてしまった。こちらは書きやすかった。ちょっとよいしょし過ぎたかな。バシャール君とチェッカはわかりやすいしこれなら面白いだろう。
 部屋での書き物にも飽きたので、ちょっと買い物に出た。時間帯が悪いせいかアジア食材店はお休み?カプサン市場まで足を伸ばしたがここも閉まっている。近くのスーパーで、肉・キャベツ・油を買う。いよいよ野菜炒めに挑戦である。雲行きが怪しい。とっとと帰宅。
 前から納得のいかないことがある。ランデヴーなどの時間を外国人が守らないことである。僕も遅れたことはあるが、授業中に議論になった。あくまでもソワレといったパーティでの開始時間のことではあるが・・。
 ブワイエル先生がまず説明する。「フランスでは決められた時間より前にお邪魔してはいけない。なぜなら家人の準備が整っていないためだ。だいたい約束の時間から五分ないしは十五分遅れて行くのがマナーである。」これに対して「日本では絶対に遅刻してはいけない。五分前には必ず着いていなければならない。これは文化どうのこうのではない。人間としての礼節である。」と僕は反論した。加えて「約束の時間というものは、乾杯をして会食を始める時間のことだから、もしそれに遅れる場合は必ず連絡しなければ失礼だし、間に合わない人がいた場合、ホストは連絡するのが常識だ。」と力説した。アジア人はだいたい賛同してくれたが、ヨーロペアンの反応はまちまちだ。先生は相変わらず、「それは文化の違いだ。」で片付けようとする。そこで各国の常識を聞くことになった。遅れても構わないと言った国でも五分から十五分までが許容範囲であり、三十分までが限界かという説も出た。ただコロンビアは特別で、二時間遅れても問題はないと言う。それなら時間を決めた意味がないと思うのだが、ラテンの国民性なのか?彼らは授業にもよく遅れてくる。ディアナは時間前に来ていることもあるが、リカルドは二十分遅刻が当たり前であり、よく休む。ブワイエルも「授業はソワレとは違うから遅れるな。」と言うが、この間体調が悪くて遅れたディアナを泣かせてしまった。「だからどんな時にも時間は守るべしとしたほうが信頼されるのでは?」とまで言っても、ブワイエルは首を縦に振らない。なんて頑固なのか。フランス人が頑固を通り越してわがまま、エゴイストに思えてきた。もう十年以上住んでいるデニスさんの旦那もイギリス人なのだが、「奴ら(フランス人)とは一生わかり合えない。」と憤慨しているそうである。
 ヨーロペアンと食事などで待ち合わせをするとだいたい次のようである。時間より早く来る人もいる。ドイツ語圏の人間かイギリス人である。ラテンはまず遅れてくる。みんなで待つが時間より三十分遅れたらもう待たない。あきらめて移動する。もちろん電話連絡はする。それでも来ない場合がある。あまり人を待たせることを悪いと思わない。逆に待つことも好きである。デニスさんは、「フランス人が待つことが好きなのではないが、もともと農業国なので、日本人のようにきちっと行動を時間で縛る感覚に疎いのだ。」と言う。そうなのかもしれない。フランス人だって批判されれば頑なになるが、内心時間を守るアジア人を信頼し、時間にルーズなラテンを低く見ている。本音と建て前のダブル・スタンダードはここにもある。尻馬に乗って、低きに流れ、授業に遅れても平気な日本人はもっと許せないと思う。
 僕の頑固さは父親譲り。明治・大正生まれは本当に頑固です。子供ながら父の頑固さに何度も閉口した。今でも忘れられないのは、夏休み中の登校日のことである。なかなか言い出せなかった僕たちも悪いのではあるが、畑仕事をさぼる口実だと思った父は信用してくれず、友人達が学校から帰ってくる頃に、弟とダッシュで学校まで行ったことがある。幸い先生はにこにこして話を聞いてくれ、大した用も無かったからよかったが・・。さすがの父も帰ったらバツが悪そうであった。

第153日 坂の上の雲

2007-12-29 01:00:37 | Weblog
          第153日 坂の上の雲

 実は昨日十日ぶりにベッドをたたんだ。ずいぶん長いこと寝ていたし、だらしのない生活を送ったものだ。まあ睡眠時間をけずって勉強していた時期もあったから帳尻は合っている。バシャール君もヴァカンスでどこかへ出かけているらしく、明日のエションジェは中止と相成った。久々にフランスのバカロレア試験問題に挑戦してみたが、難しい。東大の2次試験クラスのレベルだろうか。それとも頭がぼけているのかしらん?というくらい解けない。幸いなことに解答がついているので、少し見ると方針は間違っていないが、やはり問題文の仏語の意味を取り違えていることが多かった。しばし反省。
 飽きたので、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を読み始める。心配なことがある。一巻から四巻まではあるのだが、五~七巻までなくて八巻の最終巻しかないのだ。でも面白い。明治ののんびりした中に慌ただしさがまぜこぜになった雰囲気がよく描けている。
 今日も外出は無し。少しからだが怠けているので、柔軟体操から基礎トレーニングをひさびさにやった。そこら中が悲鳴を上げる。このギシギシという音は何?と心配になる。部活に顔を出していた頃は、生徒と一緒に体操も付き合ったし、外周も走った。あの頃は若かったね。でも顔つきは今の方が少し若返ったか。
 昨日チェッカ先生にいろいろ聞いてもらってずいぶん気が楽になった。チェッカは「まさかノゾミじゃないでしょうねぇ?」と最後まで疑っていたが。ノゾミは無事に日本へ帰っただろうか。久々に麻雀ができると喜んでいたが・・。返す返すも送別会を開いてあげられなくなったことが悔やまれる。僕の方は若くて美人の女の子と堂々と酒を酌み交わす数少ないチャンスを自ら失ったのだからちょっと痛い。
まあこのヴァカンス中はのんびりしよう。予定では1月18日まではオフである。少し数学教育の本を読み進めなくては・・。大晦日に、またもやチェッカから「勉強しようよ」と提案が出た。二つ返事でOK。願ってもない。この年末年始はもうチェッカ大先生に頼りっきりである。

第152日 カルト・ドゥ・セジュール

2007-12-28 03:52:31 | Weblog
       第152日 カルト・ドゥ・セジュール

 昨日に引き続き県庁に並ぶ日だったが、昨晩寝付けず三時半にうとうとしたと思ったら、またもや八時半。すっ飛んで行ったが、九時にやっと到着。デニスさんがにこにこして待っていて下さった。一言もない。
 さて長い列の後ろから並んだが、昨日より順調で三十分ほど待って言われたことは「八番窓口に行け。」だけである。黒澤明監督の「生きる」ではないが、お役所仕事は何処も同じである。八番窓口で前の娘さんが悪戦苦闘しているのを見ながら待つこと十五分。やっと番が来て言われたことは「へ~え。まだお知らせが届いてないの?今作って上げるから・・。」と十秒待たされて、「この知らせの紙を持って午後二時に出直せ。」『おりゃ~!』と思ったが、「わかりました。」と係のお嬢さんにおべっかを使って帰ることにする。午後は一人で大丈夫とデニスさんに告げて家に向かう。途中、サロン・ド・テで珍しくモーニングを摂ったが、紅茶が普通のリプトンでがっくし。でも三ユーロなら仕方がない。その後、前から気になっていた、中国人経営の雑貨屋に立ち寄ったら、中に何処かで見た夫婦発見。なんと進藤夫妻でした。風邪が治った旨を伝えて、買い物。ドライバー、トランプとざるを購入。
 帰って「段丘」の原稿にいよいよ取りかかるが、あまりいい出来ではない。そそくさと身支度して再度県庁へ。思ったより並んでいて十五分ほど待ったがやっとカルト・ドゥ・セジュール(滞在許可証)を手に入れた。これで来年の十月までフランスから追い出されないことになった。健康診断・予防接種・県庁もしくは郵便局の怠慢にもめげずにやっと手に入れることができた。ほっとした。そしてとても嬉しい。フランス国に抱いていた疑念が少しは晴れた。おおげさかも知れないが、いつ退去させられるかとビクビクしていた日よ、さようならという訳だ。
 たまたま一緒になったミサト(彼女は健康診断・予防接種ともに受けていない)もすんなりもらえて、トラムまでジュリーの話をしながらもどった。彼女も友達とスケートに行くと言ってメリアデッキで別れた。いつもこの子は元気いっぱいである。
 さて急いでシージャに向かう。チェッカ嬢とのエションジェだ。二人とも少し遅れたのでちょうど良かった。せっかくクリスマス・プレゼントを買ってあげるというのに固辞された。お互いに極貧だとわかっているからかな。僕がまたわがままを言って結局クイックへ。今日は大失敗。ホットドッグを頼んだら、信じられないくらい小さい。「これって小人(こびと)用?」と思わず尋ねたくなった。チェッカは横で「だから言ったじゃない」と言いたげな顔をして大爆笑。
 チェッカはオレンジジュースのみで早速勉強開始。いよいよ敬語の練習に入ったようだ。恩師への依頼の手紙を書く練習だ。まだ尊敬・謙譲・丁寧の区別がついていないので具体的に説明したが、忘れていて困った。チェッカが作った対話文もけっこうめちゃくちゃで面白かった。「ご飯」が『ごは』になっていたり、『わたしわ』とか書いたりしていたので、「これだと十歳レベルだ。」とバカにしたら「私そんなに若いの?」とボけて喜んでいる。ついでに「敬語は確かに難しいけれど、うまく使えないと『高校くらいしか出ていない。』と日本では見透かされるんだ。」と教えてあげた。
 彼女の勉強が一通り終わって、「実はまだ仏語の勉強をする気にならないんだ。」と告げたら「いけませんねぇ~」と日本語でのお叱り。そして「悪いけどもう一つの失恋話を聞いてくれる?」と尋ねたら大乗り気で聞いてくれた。やはり「アガトゥとの失恋話をしたらその子も大爆笑だった。」と言ったらバカ受けしてました。途中チェッカの質問攻めにもあったが最後まで話を聞いてくれた。チェッカの意見をまとめると「その子は自分自身しか見えていない。」というけっこうシビアな意見だ。「まああなたの行動にも多少問題はあるけれど・・。」と釘も刺されたが・・。「向こうから謝ってくるまで無視を続ければ?」とアドヴァイスされたが、「もう和解のための手紙を書いておそらく届いているはずだ。」と伝えたら、「返事は?」と訊かれたので「もうヴァカンスだし、返事なんて来ないよ。」と説明したらちょっとチェッカは呆れていた。「気持ちを切り替えて新しい彼女を探しなさい。」と言われたので「日本の諺に『言うは易し、行うは難し』というのがあるよ。」と言ったら、仏語にもまったく同じものがあると教えてもらった。
 このチェッカとの勉強は筆談を用いている。話すだけだと自分の間違いを直せないので、話しながらノートに同じ文をどんどん書いていくのである。書き終わったら、チェッカ先生に直してもらう。ときどきチェッカ先生「う~ん」と唸るので、文法的に誤っているのか、内容が理解できないのかわからなくて心配である。最近文法の間違いには手厳しい。今日も代名詞の順序で四苦八苦。何となく理由もわかるのだが、すらすら書けるにはまだ時間が必要だ。おかげですごい特訓になった。満足してトラムに乗り、トラムで綿飴を舐めている子供発見。綿飴も教えてもらった。チェッカに感謝して別れた。

第151日 霧にむせぶボルドー

2007-12-26 22:09:16 | Weblog
        第151日 霧にむせぶボルドー

 今朝も県庁でデニスさんとランデヴー。予想通り夜眠れない。昼間読書しながらうつらうつらしていたせいか。それでも2時間ほど眠って県庁へ。朝7時半をすぎたというのに真っ暗である。パリのクリスマスを思い出した。県庁までトラムも順調で、三十分も早く到着。入り口を教えてもらってデニスさんを待つ。
 デニスさんも気になったのか十五分も前に来て並んでくれた。まずゲートが開いたのが三十五分。この五分が冷や冷やでした。第一関門突破。
 次に窓口に並んで待つこと二十分。この間に勉強に対する愚痴を聞いてもらって善後策を練る。やっと順番が来て尋ねたら、何やら担当の女性は一所懸命探している。どうも通知は送った模様である。でも届いていない。昨日クリスマスだったせいか?ともかく「明日もう一度来い。心配するな。」とはっきり聴き取れたので一安心。明朝同じようにランデヴーをする。
 デニスさんとはオーシャンで別れた。何と8時15分からやっていた。バナナを買ったが、重量を量り忘れて大失敗。食料を買い込み、結局歩いて帰宅。
 霧の立ちこめたボルドーもなかなか様になる。今日は五百メートル先がちょっと怪しいくらい立ちこめている。あまり人もいないし、とてもミステリアス。雨に降られないうちに部屋に戻った。まだ午前十時二十分である。

第150日  読書三昧のクリスマス

2007-12-26 03:54:08 | Weblog
         第150日  読書三昧のクリスマス

 昨日日本館で借りてきた本を読んでいる。まず昨日2時間ほどで清水義範氏のコミカルな小説「スシとニンジャ」を読了した。無性にスシが食べたくなった。アメリカの田舎青年が日本でカルチャーショックを受けながらも、人脈を作って活躍するというストーリーである。おそらくちょっとした思いつきから得た着想でここまでの小説を書いてしまうのは大したものです。おかげで、不思議な日本語ばかり目にして痛快でありんす。「七人の侍」を見ておいて良かった。かたじけない。
 今日は陳舜臣氏の「風よ雲よ」を読んでいる。上下巻ものだがもうすぐクライマックスである。大坂方で敗れた浪人虎之助と鄭成功のオヤジ鄭芝竜の二人を中心とした、大明国滅亡の壮大な歴史小説である。懐かしいねぇ。陳氏の文体。面白いです、とても。ボルドーでの一回限りのクリスマスが、読書三昧とは・・。でも良かったのかも。いつもは五月蠅い通りもまったく車が走らないし、みんな家にいて休んでるんでしょう。明日、明後日と外出の予定があるからね。

第149日 クリスマス・イヴ

2007-12-25 00:55:47 | Weblog
       第149日 クリスマス・イヴ

 今日は待ちに待ったクリスマス・イヴ。でも期待されているような出来事はない。まず朝のランデヴーに寝坊した。8時半の待ち合わせのはずが、40分頃かかってきたデニスさんからの電話で起こされる始末。でも今日は窓口がお休みということで無駄足に終わるところであった。
 午前中は休養の続き。さすがに寝るのにも飽きたので外出した。一週間ぶりである。まずコピー屋で必要書類をコピーする。今日のサン・カトリーヌは比較的大勢の人出で賑わっていた。ぶらぶら歩いて日本館へ。読み終わった本を返し、新たに6冊ほど借りた。これで退屈はしのげそうだ。お客さんがけっこうたくさん入っていた。二週間日本語教室はお休みだそうだ。体調を気遣ってもらった。
 パリの本店にはよく行くギャラリー・ラファイエットに入った。チェッカへのクリスマス・プレゼントを買おうと思ったのだ。結局やめた。めちゃくちゃ高い。フライパンがオーシャンの十倍!
 歩いてオーシャンへ。フライパンを買ってトラムに乗ろうとしたら、十分待ち。またもや歩いてオテル・ド・ヴィルへ。仮設アイススケートリンクが出来ていて、子供達は大はしゃぎだった。しかし狭いところに大勢が滑っているので危険きわまりない。見るだけで通り過ぎた。ヴィクトワールで預金を下ろし、カプサンのアジア食材店でお米とうどんを購入。今日は混んでいてお店の娘さん達がレジを手伝っていた。とても親切だった。さて食事の後は静養。ボルドーでのクリスマスもこれが最初で最後。言われていたとおり何もないクリスマスだ。

第148日  退屈 12月23日(日)

2007-12-23 23:55:42 | Weblog
     第148日  退屈 12月23日(日)

 元気であれば、今晩ノゾミさんを始めとする、帰国する人達他、美人女性をわが家に呼んでウドンパーティを開く予定であった。柄にもないことを考えたせいか、はたまたけしからんことを企画したせいかは知らないが、とにかくこのざまである。O先生経由でマダムから見舞いのメールが届いた。見舞いというより、キズの舐め合いのようなものである。さすがのマダムもテンションが低い。それに甘えてまた愚痴ってしまうほど僕も弱っている。結局今日は一歩も外出せず。本を読む気にもならないので、さすがに退屈している。トイレに立つか、食事・薬の時だけ起きる。よく考えると、入院患者はずっとこの調子だ。死んだ方がましだね。とは思うが、生きていればこそいい目も見られるのだから、もう少しだけ我慢かな。

第147日 ヴェトナム人ドクター

2007-12-23 00:46:52 | Weblog
       第147日 ヴェトナム人ドクター

 早朝と言っても九時ではあるが、突然デニスさんから電話が入った。今日の午前中にお医者さんへ行っておいた方がよい、なぜなら滞在許可証の件で月曜日の午前は県庁へ出頭する必要があるからだ。急いで身支度をして、十時半に部屋を出る。メールでは病院と言っていたので少しびびっていたが、歩いて3分ほどの内科医であった。笑顔で向かえてくれたヴェトナム人ドクターはとても親切だったが、やはり頭がぼーっとしているためかよく聴き取れない。デニスさんが通訳をしてくれてやっと診察。保険の紙も丁寧に書いてくれた。体温は問題ないらしい。処方箋をもらい、お礼を言って薬局へ。薬を五日分購入した。デニスさんと月曜日の打ち合わせをして、郵便局へ。土曜日とあって激混み。しかし小包はすぐに出してもらえた。昨日連絡があり、炊飯器がK先生から届いていたのだ。
 さっそく部屋に戻っていったん荷物を置き、買い出し。薬を飲んで少し落ち着いたかな。明日も一日静養の予定。月曜日に寝坊しないようにしなければ。