モリリンチョ その激しくも愉快な日々

つとむーちょが突っ走る!旅とバイクに全てを注ぎ、刺激を求めてまっしぐら!今日も元気にモリリンチョー!!

ナマステネパール 山苦行登り編

2016年04月18日 | 旅人生


カトマンズから往復18時間


しんどい。あたいはとにかく移動がしんどいのよ。
そしてあんなに「もう二度と行くまい」と誓ったパキスタン
景色も道路もパキにそっくりで、なんだか地獄に舞戻った気がしたそんなネパールの昼下がり。



20数年前にお世話になったゴルカのタクルン村。

当時電気も無ければ水道も無い。トイレは村に一個だけ。
土で固めた床の上に木で作ったベッドが置いてあるだけ。
そんな凄い経験をさせてもらったゴルカ。
そのゴルカが今回の地震で相当なダメージを受けてると聞いて
今回見るだけでも取りあえず行ってみようと言う事になって早速早朝にカトマンズを出て
案内役のゴカルナさんと共に長距離バス乗り場へ。

ツーリストは普通のシートに座るのだが、何故か地元民のゴカルナさんは別室へ???
ツーリスト以外(つまり一般の料金が払えない人)の地元民はこのドライバーの部屋?の簡易椅子に座らせられる。
ゴカルナさんの分も俺、料金払ったはずだけどな??(笑)

「えーーーーーー 俺もそっちがいいよ! 見晴らしいいじゃん!」

というわけでドライバーの部屋?飛行機だと機長の部屋?みたいなとこに座らせてもらい
シートもまともではないけれど、周りの人を気にしなくていいし、何より全開の眺めだった。




めちゃくちゃ狭い急カーブの続く峠をトラック達とすれ違う。




あれ?






おや??





これって何処かで見たような‥(汗)

トラックも景色も完全に

パキスタンのカラコロムハイウェイそのもの 

だった!( ̄□ ̄;)!!



途中の山道の動画


蘇る過去の記憶(汗) 流れ出る脂汗。しかしここはネパール。景色は似ていようともやはりそこは平和の国。
衛生面もインフラもかなりいいので快適に進む。面倒くさい検問も無い。
ただ単になかなか着かない。峠がキツい割に交通量がとにかく多く、
まるで釜石の仙人峠を大型トラックと500台すれ違いながら進む感じだ。(岩手の人以外分かんないよ)

渋滞の中ようやくバスを降りて今度はロープウェイに乗りマナカマナというお寺まで行く。
(茉奈佳奈じゃないよ)

そこでなんとゴルカのお婆ちゃん家に遊びに来てたゴカルナさんの息子さん

ヒマラヤ君と合流






めっちゃいい男!!(笑)



実はこの日ネパールの祭日か何かでロープウェイに乗る観光客でごった返し、
乗るのに3時間は待たなきゃならなかったのだが、うちらはお寺が目的ではなくその先の村に帰るのが用事だった為
ロープウェイ会社に交渉して特別に先に乗せていただく




マナカマナ(お寺)は願いを叶えてくれるお寺らしくたくさんの観光客で賑わっていた







ごった返す人々の動画


お寺自体は地震で倒壊してしまっていたが、
願を掛けに来てる人達でごった返していた。そのお寺を後にして先へ先へと山道を歩く。




とにかく足腰が弱ってる現代っ子(昭和四十年代っ子だろ)の僕には山道がキツい。
かなりキツい。ちょうど岩手山を登るぐらいの距離を歩いてる感じだ。
いやーーー しんどい (;´Д`)A


途中の山道


何度も何度も休ませてもらう(おじいちゃんかよ)




ところどころに点在する

ブッダトゥリーと呼ばれる樹

昔インドから荷物を輸入して歩いて来た人達が休む為に植えた樹だとかなんとか言ってた。

歩いて1時間半ぐらいだよ なんて言ってたが結局3時間程歩いてようやくタクルンという村に着く。
以前自分がお世話になった村だ。




この子達はもう成人して街に住んでいたので今回は会えず。



ここら辺一帯だけで1200世帯の家が倒壊したらしく人々はトタンやビニールで作った仮設住宅に住んでおりました。
こちらも相当暑いと思う。









タクルンのご近所さんあちこちにご挨拶しに行く。






竹籠を作るおじいさん



なぜか子供達に人気なのでプレゼントまでもらう★





二十年前の記憶はあまり残ってなくて、そう言えばこんな感じだったかな?
と言った印象。


ゴカルナさんの実のお兄さんがまだこちらに住んでいてお邪魔してご飯をいただく









みなさん山小屋のような家に住んでおります。以前は電気も水道もトイレも無かった木と土で作った家に泊めていただきましたが、
さすがに今回はゴルカ(結構大きい街らしい)の街のホテルに泊まるのだろうなと思っていたが‥

「あなたのベッドはここね」

と言われ、ゴカルナさん親戚家族6人と山小屋共同生活することに(汗)
しかもベッドは3個のみ(汗)


すっかり日本のぬるま湯生活で堕落していた自分には絶妙なスパイス!!!

「う‥うん。も、もちろん嬉しいよ あ、ありがとうゴカルナさん。
とことでゴカルナさんまさか俺のベッドで一緒??」

「いや、わたしは別な家に泊めてもらいますのでヨシダさんはここでゆっくり寝てください」

とのこと、つまり


さっき出会ったばかりのネパール人家族6人の家にいきなり泊めてもらうことに‥。




ちょ、ちょっとだけキツいなぁ~~~~(汗) なんて思いながらも贅沢は言っておられません。
「郷に入っては郷に従え」なんて昔から言いますね。
20年前には電気が無かったこの街に今は電気が通っていまして、もっぱら明かりにのみ活用されていました。

料理の仕方が凄くて土間で薪を燃やし、その上に鍋やらフライパンやら置いて色んな料理を作り出す。
自分から見るとそれは魔法のようだった。




そしてゴカルナさんのお兄さんの奥さんが60歳は超えてるはずだけど、
普段の服が真っ赤なサリーでとてもゴージャスで背筋も真っすぐでスタイルも良く、
気品があってなんだかとてもとても驚きました。




お家の中を見る限りそんな着替えが何パターンもあるように思えない。つまり普段着。
生活に必要最低限な物で慎ましく生きていると言った感じだ。



そして家族みんなで奥さんの作ったダルバートをいただく











なんとこれが

マジ美味い!!



日本人の口に合うと言うか、味付けが日本風というか、おそらく大概の日本人には口に合う美味しさでした。
特に鶏肉が美味しかった。そこら中で放し飼いで元気に歩き回っているので超自然な美味しさでした。
もちろん野菜から何からオーガニック。そりゃそうだ。

そして驚いたのは床に敷いてるゴザとかは乾燥した米の茎?とかを編んだものだし
普段皆が背負ってるカゴは竹で編んだものだし、


必要な物は近くに在るものを使って作る


って常識に驚いた。
きっとお爺ちゃんお婆ちゃん世代にしてみれば「そんなの当たり前だよ」って言われそうだが、
「無い物は買って来る」って生活に慣れ過ぎた自分には結構衝撃的だった。

ゴカルナさんに

この村に住んでる方々の仕事は何なんですか?


と尋ねると‥


みんな仕事はしてませんよ。 と。

どうゆこと??

野菜や果樹、家畜等周りに全部揃ってるのでお金がいらないんですよ。


とのこと!

「で、でも洋服や文房具だったりたまにお金が必要になるんじゃないですか?」
「その時は家畜や育った野菜を街まで売りに行ってそのわずかなお金で買います」

とのこと!!


ずーーーーーーっとこの村で生活してたゴカルナさんに聞いてみた。


Are you happy??


彼の返事は



Off course I'm happy!


でした。



物が少ないこと、収入が低い事を勝手に不幸と思い込む馬鹿な考え。
物に溢れてる事、収入が多い事を勝手に幸せと勘違いしてる馬鹿な俺。

物が無ければ作ればいい。
必要ない物は我慢すればいい。


ここに来るまで自分の頭の中には

iPhoneの充電が切れたらどうしよう‥ だの

Wi-Fi環境あるのかな?‥ とか

バッグの中には必要の無い電池やら着替えやらちょっとしたオシャレなコロンまで(笑)


馬鹿か俺は。


本当に思った。バカか俺は。と。



今の自分にはここの生活で彼等に自慢出来るものは何一つない。
何一つとして彼等に勝っているものはない。
山を歩けば疲れてばかり。すぐにビールが飲みたくなるし、皆が飲んでる水を飲めばすぐに腹を下してしまう。
野菜の種類も分からなければ、鳥一匹サバくことすら出来ない。
村のトイレにはビビってばかり。お世話になる家のベッドのシーツの清潔さにビビってばかり。
何度も頭に浮かぶ‥


バカか俺は‥ と。


今の俺には何一つ揃ってない。
優しい村人達に過保護にされてるだけだ。ここで今震災に巻き込まれたとしても足手まといになるだけなのはハッキリ分かる。

いつの間にか無意識に物が溢れてる事に慣れっこになり、どこかで村人に対して優越感を持ってたバカな俺。
そんなクソ役にも立たないプライドがボキボキに折れて自分はとことん打ちのめされた。


そう言えばボダナート近くのキャンプしてた被災者の方々もこの村の方々も皆一様に明るく朗らかだった。

こちらが勝手に「可哀相で哀れな被災者」というイメージを無理矢理押し付けて
聖人を気取ってただけだった。
彼等からは何も求められていない。こちらが勝手に偽善を自己満を押し付けてるだけだ。



その夜ゴカルナさんと話をして日本から集めて持って来たこのお金をどう使おうかという話をして

ぶっ壊れた小学校の生徒達の文房具を買い揃えよう


ということになった。こんな山奥になるのに生徒はおよそ500人も居るのです。
おそらくみんなこの険しい山道を歩いて通学してくる。
その500人分の文房具を買って寄付させてもらうことにしました。
おそらく来月中頃にこの場所に配達されることになります。



自分の行動が正しかったかどうかは分からないけれど、
確実に小学校の生徒達にしてみれば役に立ったのは確か。
フヌケのヘタレの日本人がようやくここで役に立ちました。


その日の夜は意外に快適に眠る事が出来ました。家の中では皆のイビキやら咳やら話し声やら、
外からは動物やら鳥やらなんやらの鳴き声に囲まれながら眠る事が出来ました。



明日は山道の下り3時間‥(汗)




明日も移動頑張るどぉ~~~~~!!!!


























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