萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

西南九州の旅 番外編 「向田邦子」

2014年04月17日 | その他旅行


城山を登る途中の住宅街で「向田邦子居住跡地」という石碑に目がとまり、思わず立ち止まった。彼女のエッセイ集「眠る盃」や「父の詫び状」などで予備知識はあった。彼女が小学生の頃、転勤族だった父について鹿児島に住んでいたことがあり、心の故郷だと書いてあった。ここが、そうだったのか。確かに城山へ登る途中にあり、桜島も錦江湾も観える。

向田邦子と言えば、小生が中学生の頃夢中になってみていたドラマ「だいこんの花」(森重久弥と竹脇無我の絶妙な会話が楽しかった)や「時間ですよ」(銭湯が舞台のコメディ。主演は森光子。他に堺正章や悠木千帆(後の樹木希林)らが出演。天地真理の出世作にもなった。現在、TBSでやっている堺正章の料理番組「チューボーですよ!」の命名は「時間ですよ」からきているに違いない)「寺内貫太郎一家」(小林亜星、西条秀樹、悠木千帆出演の痛快ドラマ)の脚本家である。

脚本ばかりでなく、前述のエッセイ集も素晴らしいし、1980年には、短篇の連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』で第83回直木賞も受賞している。多才の人であったが、1981年8月、台湾旅行中の飛行機事故で惜しくも51歳で他界してしまった。

エッセイ集「眠る盃」の中の「鹿児島感傷旅行」で約40年ぶりに鹿児島に行って、級友や先生と同窓会をしたことが書かれている。亡くなる2年前のことだ。その文章の最後に彼女にとっての鹿児島の印象をこう書いた。

「あれも無くなっている、これも無かった・・・無いものねだりのわが鹿児島感傷旅行の中で、結局変わらないものは、人。そして生きて火を吐く桜島であった。<中略>心に残る思い出の地は、訪ねるもよし、遠くにありて思うもよしである。ただ、不思議なことに、帰ってくるとすぐ、この目で見て来たばかりの現在の景色はまたたく間に色あせて、いつの間にか昔の、記憶の中の羊羹色の写真が再びとってかわることである。思い出とは何と強情っぱりなものであろうか。」

名文ですナ。特に「生きて火を吐く桜島」という文句は頭に「五月晴れ」「初雪や」「芋食えば」などを付ければ、そのまま、俳句になるようなリズムのいいフレーズだ。存命なら80歳台半ばになるが、少なくとも、もう10年20年活躍していてくれたら、日本のこの分野にもっと厚みを持たせてくれたに違いない。惜しい人を失くしてしまったものである。向田邦子が父のように慕っていた森重久彌が彼女の墓碑銘を書いた。

「花ひらき、はな香る、花こぼれ、なほ薫る」

これも、素晴らしい。
コメント
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