萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

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列島攻略!第6回 『関東』 その1 ~特徴と轍・靴跡~

2009年08月08日 | 列島攻略!


「日本列島轍靴ノ図」の関東の部分>

【特徴】

関東地方の地形的特長は何と言っても、その平野の広さであろう。日本列島という山だらけの島の中にあって、関東平野の広さは際立って見える。この平野は利根川、荒川、渡良瀬川、多摩川などの大河川がもたらしたものとされる。また、人口の密集度も大きな特徴のひとつであろう。日本の全人口1億28百万人の内、関東南部の1都3県(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)に34百万人が住んでいる。日本の人口のほぼ4人1人がこの1都3県の住民票を持っていることになる。この1都3県の人口密度は1平方キロあたり、2512人である。因みに北海道は72人だ。近畿の人口密集地の2府1県(大阪、京都、兵庫)で1145人であるから、その人口密集ぶりは異常とさえいえる。毎日の通勤・通学地獄はこの地の会社や学校に通ったものでなければわからないであろう。

歴史的には鎌倉に幕府が開かれるまでは、平将門の乱などもあり、“坂東武者”“東夷(あずまえびす)”などと都人(みやこびと)からは怖れられており、陸奥の蝦夷(えみし)とイメージ的には同じように思われていただろう。初めて武家政権を打ち立てた源頼朝は清盛に一命を助けられ、伊豆の蛭が小島に流された。30歳を過ぎてから、平氏追討をかかげ石橋山で挙兵した。紆余曲折の末、実権を握った後、鎌倉に幕府を開いた。石橋山も鎌倉も現神奈川県である。

そして、室町幕府を開いた足利尊氏の本拠地は今の栃木県足利市であり、江戸(東京)に幕府を開いた徳川家康は新田源氏系の得川氏(群馬県太田市)の流れだとしている。平将門の乱以来武士といえば、坂東であった。そういう意味では“武家政権=関東”といってもよさそうである。

平安京ができたのが西暦794年、鎌倉幕府が開かれたのが1192年、最後の将軍徳川慶喜が大政奉還したのが1867年である。この節目の西暦から計算すると公家政権は398年間、武家政権は675年間の長きに亘った。

また、家康が江戸に幕府を開いたのは1603年。江戸から東京へと名前こそ変わったが、日本の政治の中心地になって、400年以上の月日が経っている。すでに平安時代の年月を上回っている。今や東京は日本の政治、経済、文化の中心地であり、いいことも、悪いこともすべての情報は東京から発信され、東京に集まる。いわゆる“東京集中”だ。これが“日本”を歪め、偏らせているような気がしている。“東京”は肥大しすぎたのかもしれない。


【轍】

小生は生まれも育ちも埼玉県の大宮なので、関東地方は地元である。都内の大学のサイクリングクラブに所属したこともあり、自転車で出かけた先も圧倒的に関東地方が多い。身近なところでは奥武蔵グリーンラインのいくつかの峠。よく、トレーニングにも出かけた。

当然ながらロングランの出発地点も関東であった。1年の夏の東北方面と2年の夏の西日本一周のロングランの出発点は東京であった。3年の夏の中部山岳方面&北海道の出発点は大宮であった。1年の夏の東北と3年の夏の中部&北海道は以前の「列島攻略シリーズ」で簡単に紹介したので省略するが、2年の夏の西日本一周のコースについては以下の通り。

その年のクラブ合宿は中国地方で「鳥取集合、広島解散」であった。小生はその前後も自転車で走ることで「西日本一周」を計画、完走した。まずは東京から出て、山梨、長野、岐阜、福井の山岳地帯を抜け、日本海の若狭湾に出て、そこから、海岸線沿いに合宿の集合地鳥取に行った。二週間かけて中国山地を走って合宿は広島で解散。

そこからは、山陽道を西に走って、関門海峡から九州に渡り、九州をザッと8の字に回ってから、四国へ渡り、鳴門から淡路経由で大阪に渡って北上、また、若狭湾に出て、日本海を海岸線沿いに東へ行き、糸魚川から内陸に入って、長野、群馬を越えて埼玉は大宮に戻るという、約二ヶ月間のロングランを敢行した。詳細は各々の「列島攻略」で記載予定であるが、一切、自転車以外の乗り物を使わず一回りしてきたのはこの旅だけであった。そして、小生はこの種の旅の虜(とりこ)となったのであった。

また、社会人になってから、旧東海道、旧中仙道を走った。出発点はいずれも東京・日本橋であり、終着点は京・三条大橋であった。


【靴跡】

地元だけに百名山他、結構登っている。関東地方の百名山は全部で18座(県境にまたがっていても、どちらかが関東の県の場合は含む)あるが、未踏の山は「男体山」(栃木)、「皇海山」(栃木・群馬)、「丹沢山」(神奈川)、また、群馬長野の県境ににまたがる活火山「浅間山」の4座である。

もっとも、思いが濃いのは奥秩父単独縦走である。山梨の金峰山から入って、甲武信岳、雲取山を縦走して秩父の三峰口に下りてきた3泊4日の単独テント縦走だ。11月の下旬に行ったので日が短く、日没との競争で毎日が心細かったのを思い出す。それでも、晩秋のなんともいえない枯れた風景や風にざわめく尾根の笹原や時折見える富士山の雄姿に励まされ、なんとか縦走できた。充実した山行であった。

その他、夏山と春先の山スキーの両時期に頂点を極めた巻機山(新潟・群馬)。一人で登って誰も居ない山頂で一夜をテントで過ごした平ガ岳(新潟・群馬)。などが思い出深い。
コメント
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