晴れた日のオルガン

オルガニストの日記

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ようこそ

2013年11月27日 | Weblog
ようこそ!

このブログは2010年まで、3年ほどオルガンのことを書き綴りました。
話題には断片的なものもたくさんありますが、お気軽にお読み下さいね。

また、現在はMomoyo's Organ Journalでブログを書いています。現在進行中のブログを読んでみたい方はそちらもどうぞ〜!!

国分桃代より

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メロフォン・サイトのお知らせ

2013年09月16日 | Weblog
お久しぶりです。
新しいサイトを(まだまだ準備期間ですが)始めることになりました。
メロフォーンCD&スコアです。
よろしかったらそのサイトのBiography→Momoyo Kokubu→ブログ、の順序でそちらでのご挨拶などもお読み下さい。
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オルガニストの、「きょうは晴れた日」。

2010年09月30日 | Weblog
やっと晴れました。

きのうも、くもりのち雨だったので…

いろいろなことのあったあと、新しい出発をする日には晴れていると嬉しい。

雨降って、土かたまる。

(そのためには、晴れなければならない。
ベルギーみたいにしとしとと降り続く国に住んでいると、「土はいつ固まるんだ!」と思ってしまいますが)



さて、そんなこんなで心機一転、10月からブログのお引っ越しをして



「おるがにすと・クロニクル」
http://momokokubu.exblog.jp/

を始めます。

きょう9月の最終日に、「晴れた日のオルガン」最後の頁を書きたいと思います。
テンプレートも第一回当時のものに復旧させて…(覚えているのはわたしだけか)

でも、これまでの頁は、当分は引き続き閲覧していただく事ができます。



いままで読んでいただいて本当に有り難うございました

これからは「おるがにすと・クロニクル」を読みに来て下さいね





きのうはラジオ録音の日でした。
月1回なのですが朝9時半からだったのでやっぱりあたふたしてしまいました。


話したのは「アントワープカテドラルのオルガンの話」。

1888年に「これで大オルガンを購入しましょう!」と、15万ベルギーフランを寄付した教会員の女性がいました。彼女はオルガンの制作についてうるさい趣味は持っていなかったようで、それには口は出さず、アントワープ大聖堂オルガニスト、カラールトなど関係者がビルダー選定の投票をすることに。

フランスの、(無く子も黙る)カヴァイエ・コルは「その予算なら、4段鍵盤76ストップのオルガンが作れます。」
ベルギーの、(イクセル生まれ、生粋のブリュッセル人)シェイヴェンは「俺なら4鍵盤87ストップ。」
110ストップの案を出したドイツのヴァルカーは何故か最終選考に残らなかった。

カヴァイエ・コルの方がストップ11本分少ないけれど、当時最高のビルダー。カヴァイエ・コルの大オルガンを夢見るカラールトが「11本のストップを無料で付けてくれたら…」とかけあった話は有名らしいけれど、これはつまり少なく見ても「605本のパイプをおまけしてくれ」と言っているようなもの…

カヴァイエ・コルは「それは無理じゃ。」ということで

5人の審査員の投票の結果、3対2でシェイヴェンの勝ち。

と、いうわけで現在

「アントワープ大聖堂のおばあさん」

と親しみを込めて呼ばれている大オルガンが、1657年製のバロックオルガンのケースの中におさまったのでした。

やさしい、いぶし銀のような音色の楽器です。
費用を献金したのが女性というのも珍しいけれど、一応フラマン語では中性名詞であるオルガンが「おばあさん」と呼ばれているのも、その縁なのでしょうか?

もし、これがカヴァイエ・コルだったら今(アントワープのオルガン界は)どうなっていたかな?たられば、を言ってもしょうがない事だけれど。





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新しい季節と「オルガンの小さな学校」

2010年09月12日 | Weblog
少しご無沙汰してしまいました。

夏はオルガンコンサートの季節でした。ことしもいろいろなところに弾きに行ったり…

中でも、旅行中の方々も大勢聴きに来て下さった、自分の教会での月曜日コンサート、Lundi d'Orgueは、ぶじに500回目のコンサートを終えることができて、11年目に突入しました。

毎週毎週月曜日の12時45分から午後1時半まで、ブリュッセルの中心地にいらっしゃる機会がある方は、Neuve通りのフィニステール聖母教会へ、昼の無料オルガンコンサートをどうぞ気軽に聴きに来て下さいね!

このようにしてコンサートの回数をプログラムに書き続けて来たのは、ほかでもない、「続くのかな?」という恐る恐るの気持ちがどこかにあったからかもしれないと思います。数える事で、勇気をもらうというか。しかし439回目とか、492回目とか書いてあっても、「きょう何回目だったかな?」と思い出せる人は既にいないように感じるので、きっちり500回目を終えた後、来週からはカウントするのはやめます、と宣言。

したはずなのに、501回目担当だった、2000年のオルガン修復を指揮したジャン・フェラール先生は、
「楽しみにしてたんだから、501回目弾くの。ちゃんとカウントしてよね!」
と言うので、プログラムには501回目、の文字が。

次の月曜日に弾いた夫も
「ま、いいか。」
とそのまま502回目、と表記。

そのつぎの月曜日に弾いた私は、言い出しっぺは自分だし…と思い、思い切って
「11年目」
の文字に変更。ちょっとプログラムの表紙がすっきりしました。
(上は500回記念パーティーの写真です)

♪♪♪

さてそんな8月も終わり、9月に始まるいろいろな活動に、秋の新学年はいつでも忙しくも楽しい日々。
ところがわたしが引き受けていた今までのアカデミーでの仕事がいろいろあって終わってしまったので、急に新しい人生設計を構想する事を余儀なくされました。

オルガニストが教える学校がなくなるということは、教えるオルガンがない、ということになります。
自分の教会では「教えも練習もしてはいけない」令が出ているため、まずは

「移動オルガン教室」
(つまりいろいろなところにオルガンをお借りしつつレッスンをする)

を開催しつつ、貯金して家にオルガンを入れる以外ない、ということになりました。一家で話し合い、計算して、数年計画でのオルガン購入を目標にすることになりました。

「靴屋さんは一番ぼろぼろの靴をはいている」

という仏語の喩えがあるように、オルガニストで自分のオルガンを持っている人はほとんどいない。他の楽器奏者で自分の楽器を持っていない人というのはあり得ないので、オルガニストは普通じゃないのですが、自分のオルガンぐらいいつかは持ちたい。と常に思いこそすれ、その楽器を使ってコンサートをするということはできない(家にホールのような大きさ・音響の部屋がない限り)。そこで、練習とレッスンが主な使い道になります。

差し迫った理由がないことも手伝って、なかなかその費用を貯められないままに、しかし夢見る事は無料なのでこれまで何度「うちにオルガンを入れるとしたら。」という話を夫婦でしてきたことでしょうか。そのたびに、「第1鍵盤の8フィートはプリンシパル。」と片方が言えば「いやいやモントル。」「第3鍵盤はガンバ?」「サリショナルのほうがいいよ。」

一つの鍵盤にひとつのストップ以上あるオルガンを作ろうとしても、こんな町中では騒音公害で近所迷惑になって結局使い切れないだろうし(自宅の壁は厚いけれど、オルガンはとても音が通る。)、パイプが増えすぎたら部屋が全部オルガンになってしまう。ということで一つの鍵盤につき「たった一つの音色」を選ぶというのが、楽しいというか難題というか…

そういう話を15年してきて、この秋、オルガンを購入する必然が本当に浮上してきた。
オルガンの小さな学校、という体裁を取る事でレッスン料は特定の口座に貯める。半額はローン。そしてそれでオルガンの設計を依頼する。出来上がって来るのは2−3年後。

どうしよう。

うまくいくのでしょうか?

最終的にローンも返済するまで6年間の節約生活。

人生って極端…でも遠回りして来た人生がだんだん中心に向かっているんだと信じて、夢に飛び込んでみたいと思うこのごろです。6年間…あっという間にすぎるのでしょうか?500回の昼コンサートがいつの間にか続けられたように。

と、いうことで、「オルガンの小さな学校」、

La petite école d'orgue de Bruxelles(仮名)

は随時入学可の、「フィットネスクラブ」の10時間チケット制のような体裁で来週から始めます。ダンスを習う様な気持ちでオルガンを習える教室にできるといいなと考えています。





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忘れっぽいオルガニスト

2010年05月08日 | Weblog
オルガニストの人々は一見まじめそうに見えます。
眼鏡をかけている人がほとんどといっていいし、
たいていやせ細っています。


しかし、そのまじめそうな反面。

マフラーや、手袋や、帽子、水のボトル、ハンカチ、…
どの人もみんなよく忘れるようなのです!
教会に忘れたり、道で落としたり。

わたしはコンサートのあと、駅に楽譜を置き忘れて長距離列車に乗ってしまいました。
電話したら見つかりましたが。

知り合いの、若いJ-P君は、練習のあと道で知り合いに会ったので鞄をそこにおろして話していたら、気がついたら鞄が消えていました(これは盗難)。そのあとでこんどは楽譜を電車においたまま降りてしまったそうです。

ものすごく几帳面な人なので本当に意外です。

自分の周りに親しく居るオルガニストの人たちは、身近なためそういうところが見えすぎるのかなあとは思いますが、なぜ、そうしょっちゅう忘れ物をするのでしょうか。

考えてみたのですが、オルガニストは週の間は教えの仕事、週末は教会の仕事、練習は教会が閉まってから、など、生活が規則的に不規則です。

今日はなんだっけ!と、あせって、朝早く目覚めてしまうことがよくあります。

そう簡単には覚えていられないようなリズムの中で「楽譜全部あるかな?靴も持った?食べるヒマなさそうだからお弁当とお水も持って。そんでもって何時きっかりにあそこに到着しないといけないし…」と朝から考えている訳です。

そして、それぞれの用事が終わってほっとするたびに、なにかひとつぐらい忘れてしまうのではないか…

そんなの言い訳にすぎないのですが、わたしが携帯をなくしたのは、2回とも、レッスンの帰りでした。
もう閉まっている教会に次の生徒が着いたら、オルガンを弾いていると呼び鈴が聞こえないので、ポケットでバイブレーションを感じたらドアを開けに行くシステムなのですが、その回数が多いので、最後に終わって帰るとき、ほっとして落としてしまったのか?


月曜日コンサートを弾きに来てくれた人が、

楽譜のポストイット表示もばっちり。
弾く時は鍵盤変更ひとつ忘れない。
ストップの出し入れも完璧。
演奏も最高。



でも、コンサートのあと、オルガン台に手袋ひとつぽつんと忘れておいてあったりすると、

「うん、そうなんだよね,何故か…。」

とつぶやいてしまいます。



オルガニストのことを周りの人は「偉いんだかダメなんだか、わけわからん人種」だと、きっと思っているのではないか。
と最近の事件を通して、思いました。そして、オルガニストも、自分のことに必死すぎて、まわりの人にコミュニケートするつもりもなかったりします。結局お互いにわからない。

自分のしている事にあまりにも必死すぎる人たちが集まると、いろいろ大変ですよね。
だれが面倒を見るのじゃ!
という状態に。

おとといのブログにメッセージを下さった方々、本当にありがとうございました。
ここにはコメントとしてあげませんが、「仲間」がいるんだと思える事は幸せです。

Chrétien は仏語でキリスト教徒のことで、Crétinは馬鹿者ということばなのですが、日本人の耳にはとても似ているように聞こえます。夫にそう言ったら、「考えた事なかったけど、本当に似ている。やばいね。」と言っていました。

い)良い人、人のために動ける人、明るい人、意見をはきはき言える人、そんな風になりたいな、と思うのだけれど、

ろ)素敵なオルガンリサイタルが弾ける人、ミサでばっちり徹頭徹尾完璧に奏楽出来る人、オルガンのレッスンに於いても良い先生である人でもあろうとすると、

は)自分なりにキリスト者的でありたいという理想の前に破綻が。

ということがあります。素敵な演奏をするという事は愛情のこもった行為なのでキリスト者らしい。とも思うのですが、良い人になろうとすると、素敵な演奏はできません。不思議なのですが出来ないのです。



そこんとこもっとわかってもらいたい、でも自分にもよくわかりません。
クレティエンでいたいのだけれど、きづいたらクレタンになっている日も多い、オルガニストです。






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