しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「平家物語」敦盛最期  (兵庫県神戸市)

2024年05月19日 | 旅と文学

平家物語には、いくつもの”花”があるが、
「敦盛の最期」も古くから多くの人の心に残る話となった。
近代では歌に映画にドラマに、美少年が歌ったり演じたりした。
古くは織田信長の幸若舞”敦盛”も有名。

神戸の須磨寺にはたいそう立派な二人の銅像が建っている。

 

 

旅の場所・兵庫県神戸市須磨区須磨寺町・須磨寺  
旅の日・2021年11月4日 
書名・平家物語
原作者・不明
現代訳・「平家物語」 長野常一  現代教養文庫 1969年発行

 

 

 

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「平家物語」 熊谷

熊谷次郎直実は、なんとかして平家方の大将に組みたいものと、波打ち際に馬を進めた。
その熊谷の目の中に、大将とおぼしきひとりの武者の姿が映った。萌黄匂い(黄緑色)の鎧を着て、
形打った甲の緒をしめ、黄金作りの太刀をはき、連銭葦毛の馬に乗って、沖の船へ泳ぎ着こうと、
海へざっと打ち入れた武者の様子は、あっぱれ一方の大将軍と見えた。

熊谷は手に持っ扉をさっと開き、
「そこなお方はあっぱれ平家の大将軍と見受けまする。敵に後ろを見せるとは卑怯ですぞ。返したまえ!」
すると相手はすぐに馬の向きを変え、波打ち際の熊谷目がけて引き返してくる。
水を切って上がろうとするところへ、熊谷は押し並べてむんずと組み、どうとばかりに両方の 馬の間へ落ちた。
熊谷は坂東に聞こえた大力無双の豪傑である。
たちまち相手を取って押え、下に組みしいて首を取ろうと、相手の顔を仰のけて見れば、こはいかに! まだ十六、七歳の少年ではないか。 
薄化粧さえした紅顔の美少年である。

「ぜんたい、どこのどなたでございますか。御名を名乗って下さい。お助けいたしましょう。」
「そういう貴公は?」
「名のある者ではございませぬが、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実と申しまする。」
「さては貴公にとってはよい敵だ。ゆえあって自分の名は名乗らぬが、首を取って人に尋ねてみよ。見知っておるであろうぞ。」
少しも悪びれたところがなく、少年ながら、じつにりっぱな態度である。
熊谷はほとほと感心した。


―たとえ、この人ひとりを見のがしても、味方の勝利には変わりがない。
助けてやろう。
熊谷の心には、仏のような慈悲が生じてきた。
ところが運の悪いことに、後ろから源氏の武者が五十騎ばかりかけてきた。
熊谷は涙をはらは と流して、
「お助けしようと思いましたが、あいにくと味方の軍勢が参りました。」
「どうでもよいから、早くこの首を取れ!」
「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ!」
熊谷は小声で念仏をとなえながら、目をつぶってついに相手の首を取った。

ああ、武士ほどつらいものはない、武芸の家に生まれなかったなら、このように残酷なまねはせずにすんだであろうものを。
ああ、むごいことをしたものだ。残念なことをしたものだ。
熊谷はしばらくそこにうずくまったまま、鎧の袖を顔に押しあてて、男泣きに泣くのであった。

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「徒然草」仁和寺にある法師  (京都府・石清水八幡宮)

2024年05月19日 | 旅と文学

数年前に旅行で、北海道の神威岬に行ったことがある。
駐車場から岬まで、歩いて前に進むほどに景観に感動が増してきた。
ついに岬まで行き満足感にひたりながらUターンして来た道を戻った。
行きも帰りも見事な眺めに北海道に来たよかった。
神威岬に来てよかった。そう思った。
旅行から家に帰り復習をしていると、ガイド本と、景観が一致しない。

神威岬の肝心な場所を見物していなかった。
カメラで動画を残していたで見てみると、
約半数以上の人が、同じように、肝心な場所を眺めないまま岬を去っていた。


徒然草の有名な話、「仁和寺にある法師」は、
たぶん誰でも二~三回は、同じような体験があるように思う。

 

(仁和寺にある法師が見た八幡宮)

 

旅の場所・ 京都府八幡市男山  石清水八幡宮
旅の日・2015年2月18日 
書名・徒然草
原作者・吉田兼好
現代訳・「徒然草・方丈記」島尾敏雄  世界文化社  1976年発行

 

 

(仁和寺にある法師が見なかった八幡宮)

 

「徒然草」 

仁和寺にある法師

仁和寺に居た或る法師が、年をとるまで石清水八幡宮に参詣したことがなかったので情ないことに思い、
或る日思い立ってただひとり歩いてお参りをした。
麓の極楽寺や高良社などの末社を拝み、これだけのものと思いきめ、山上の本社には行かずに帰ってしまった。 
さて、仲間に会って、「長いあいだ思いつづけてきたことがやっと果たせて、やれやれだ。
聞きしにまさる尊いものであった。
でも参詣の人がみんな山の方に登って行ったのは何があったのだろう。
自分も行ってみたかったけれど、神詣でこそ本筋と思い、山の上までは行かなかったよ」と言ったという。
些細なことにも先達はほしいものだ。

(第五十二段)


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