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日常をつらつらと書き綴ります。2023年こそ、目指せ毎日更新!

初東京記

2006-12-27 | Diary
 色々とバタバタしていて書く時間がなかったが、やっと落ち着いたので過日の東京旅行の記録を書きたい。


・1日目

 朝5時に起床し、母に車で某駅まで送ってもらう。着いてしばらく待っていると、今回の苦楽をともにするS君(以下、S)が来た。駅舎にいる客は、私とSの二人だけだ。

 私「おはようございまーす」
 S 「あれ、来たんだ」
 私「……帰ろうか
 S 「うんそれがいい」

 最初からやる気なしの状態だった。その後、まだ暗いホームで電車が来るのを待った。
 6時発の電車(特急の始発)に乗り込み、車中でも私達はまだ帰ることばかり話していた。

 私「博多でさぁ、折り返すじゃん、この電車」
 S 「ああ、それいいな」

 こんな会話ばかりしていた。
 途中の駅で顧問が乗り込み、電車は8時過ぎに博多へ到着。地下鉄で空港まで行く。
 この空港でまず事件が起こった。飛行機に乗るのは修学旅行以来だが、まあ2度目だし…と油断していたところ、やってしまった。
 空港の手荷物検査で、出てきた荷物を持った係りの人が「このお荷物、もう一度通してもよろしいですか」と訊くので、ええどうぞと答えた。この時まだ、私は検査に引っかかるものを入れてきていたことに気付いていなかった。
 2度目に通した後、係りの人が「お荷物の中にはさみやカッターなどありませんでしょうか」と言われた。その時やっと、筆箱をそのまま持ってきていたことに気付き、慌てて取り出した。言うまでもなく、はさみもカッターも機内持ち込み禁止の品である。ということで、一時預かり品として手続きをしてもらい、何とか検査を終えた。写真は面白いので撮った、手荷物一時預かりの紙である。

 客のトラブルとか、荷物の中に電源が入った携帯電話があったとかで、福岡空港発の飛行機は30分ほど遅れて出発した。修学旅行の時ほど揺れず、いったん飛び立ってしまえばかなり静かだった。しかし離陸時のあの揺れというか音と言うか、あれを体験するたびに私の飛行機に対するイメージが壊れていく。もっと優雅に飛び立てないのか。
 携帯に入れた音楽を聴こうと思ったが、イヤホンを上の棚に入れてしまったので、仕方なく機内の放送を聴いていた。どうでもいいが、このとき乗ったのはB747-300だった。

 2時間弱で羽田空港に到着。予定ではモノレールで浜松町まで行き、山手線に乗り換えることになっていたが、私がどうしても京急で行きたいという希望に顧問が折れ、京急で行くことになった。京急蒲田で快特に乗り換え、品川まで。車内はそこそこ込んでいた。
 品川から山手線外回りで新宿まで。11時を回っていたので座れはしなかったが空いていた。新宿から小田急の各停で参宮橋まで。国立オリンピック記念青少年総合センターを目指す。12時を過ぎていたので、昼食を採ることにした。
 参宮橋から国立オリンピック記念青少年総合センターまでの道で店を探していると、顧問は以前にも来たことがあるらしく、「この辺にラーメン屋があるはずなんだけど…」と言ってラーメン屋を探していた。そして件のラーメン屋は程なくして見つかり、狭い店内に私達は入った。
 店は2人の店員で切り盛りしているようだった。1人が中国かどこかの訛りがあった。私はたまごレタス炒飯を頼んだ。Sも何かご飯系のメニューだった。
 私のが1番に来た。味は今まで18年間生きてきた中で食べた炒飯の中でもベスト3に入るぐらい、美味しかった。スープもついて本当に満足した。今度参宮橋に行く機会があったら(あるのか?)是非またここで食べたいと思った。残念だが店の名前を失念した。"豚"が店名に入っていたと思う。

 今更、という感じがするが、私達が何故佐賀の田舎からわざわざ東京まで来たのか、それを書いていなかった。今回は『第8回高校生文芸道場総合大会』で来たのだ。まあこの催しは研修会みたいなもので、私は九州大会にも出たことがあるが、総合大会、つまり全国大会は初めてだった。文芸誌部門で出たが、私の役は誰でも良かったらしいので、他のやつを行かせればいいじゃないか、と思った。まあ今思えば、東京観光もできて満足しているが。

 昼食後、国立オリンピック(以下略)に入り、カルチャー棟小ホールへ。まず始めに全生徒が集い、講演会があった。講演をしたのは、小説家の浅田次郎氏。私は『鉄道員』などを読んだことがあるが、この本の中の『うらぼんえ』は泣ける話だ。音読して泣かなかったことはないというくらい泣ける。まあ、それは私の中の祖父の記憶がダブるせいだと思う。あとがきでも書かれているが、『鉄道員』はリトマス試験紙のような本なのだ。
 話が脱線したが、氏に「読むこと 書くこと 生きること」という題で話を聞いた。内容は自身の経験などから、小説家になるために重要なこと、そして小説の書き方など。筋道立っていた話ではなかったが、とても面白く、また興味深く、最後まで飽きずに聞かせていただいた。
 その後、科ごとに分かれ、分科会があった。流されて座ったところは結構正面から近いとことろだった。全員座ったところで、自己紹介と部誌の紹介をした。私は1人で、部誌も持参していなかったのでつらかった。他の学校ま皆B5判のデカい部誌で、「本かよそれ」と言わんばかりだった。私のところはA5のブックレットみたいな薄っぺらいものだが、やっぱり自分のところの部誌が一番だと思った。講演でも浅田氏が、「パソコンで文章は書いちゃいけない。文に無駄な部分が増える」と言っていたが、最近の部誌は皆パソコンで文章を打って書いているので、厚くてデカい文芸誌が増えているのだと思った。
 長崎で行われた文芸道場の時、講師の印刷会社の人がB5判とA5判を見比べて、「A5の方がいいですね。こう、さっと取って読める気軽さがあります」と話していた。全くそのとおりだと思った。B5はでか過ぎる。ま、B5で部誌を出しているところがA5にしたら広辞苑みたいな厚さになってしまうと思うが。

 分科会を終え、私達は再び合流し、小田急で新宿まで帰った。夕食は高島屋の中のにんにく料理の店で食べた。私はトマトソースのパスタを食べた。美味しかったが、ふんだんに乗せられていたにんにくのせいでにんにく臭くなった。Sと私は帰りに「ブレスケア」を買おうと意気投合した。
 夕食を取った後、ベスト電器に行き、顧問が息子さんにプレゼントするとかでiPodを買った。予算が15000円で、「とにかく曲が聴ければいいのよ!」と言っていたので、shuffleを買った。

 顧問とは夕食後に分かれて別行動を取っていた。shuffle購入後、東急ハンズで携帯ストラップを買い、紀伊国屋でマンガを買い、近くのコンビニでブレスケアを買った。そのあとしばらくはさ迷い歩き、地下道を歩いて都庁近くのビジネスホテルへ帰った。ちなみに、普通なら国立オリンピック(以下略)の宿泊棟で寝る予定だったが、「そんなのやってられっか(顧問談)」ということでキャンセルしたらしかった。

 顧問は先にホテルへ着いていたらしく、夜10時までのジュースのタダ券を使おうと誘っわれた。荷物を置いて、レストランに行った。
 そこで私達3人は文芸誌や小説について熱い議論を交わした。私とSはリンゴジュースを頼んだのに、出されたのはオレンジジュースで、「だからビジホはさぁ…」と私はビジホをバカにした。ビジホに泊まるのは4度目だが、その中で1番部屋が広かったのが余計ムカついた。その余裕でユニットバスをでかくしろ。
 前回の投稿でイヤホンが無いと書いたが、実はあった。私のバッグの一方のポケットが開いていて、てっきりそこから落としたものとばかり思っていたのだが、本当はその反対側にちゃんと入っていた。その夜は「イヤホンがない!」と絶叫し、Sの何気ない一言で見つかり「あった~!」とまた絶叫し、かなり浮き沈みの激しい夜だった。本気でアキバに行って買いなおそうと思っていたので危なかった。


・2日目

 この日は4時の飛行機の時間まで自由行動、ということで、私とSは東京観光をすることにした。と言っても、最初から「アキバ(秋葉原)に行こう」と話していたので、そこ以外はなにも見ていない。
 ホテルから無料のシャトルバスに乗り、新宿駅西口へ。そこでお台場に行くという顧問と別れ、山手線へ。新宿から秋葉原なら、総武線と中央線を乗り継げば早く着けるのだろうが、あえて山手線で30分かけて行った。
 秋葉原で降り、電気街口へ。冬休み最初の日曜ということもあり、10時過ぎに私達が着いた頃には人がたくさんいた。そこから、ヨドバシやら石丸電気やらラジオ会館やら、電器屋を一通りハシゴした。昼は秋葉原デパートの食堂街(でいいのかな)で摂った。チーズハンバーグ定食を食べたが、とても美味しかった。また食べに行きたいが、私達が秋葉原を後にする時、おじさんが拡声器で閉店するとか言っていた。残念だ。
 昼食後、マニアックな店を回ったり、SがminiSDを買うとかで色々店を回ったりした(が、結局買わなかった)。帰る時、電気街口にコートを羽織ったメイドがいて、地図を配ったりしていた。
 秋葉原から再び山手線外回りで品川まで。これで、品川→新宿→秋葉原→品川と山手線を制覇した。ま、だから何だと言われても困るが。
 京急の急行羽田空港行に乗って、空港まで。顧問はまたしても先に着いていたようで、Aのゲート前へ急いだ。
 時間には充分余裕があったので、餞別と言ってお金をくれ、私達の食事代を出してくれたI先生へのお土産と、自分の家へのお土産を買った。買った後、もう2人とも出発ロビーにいると電話がかかり、慌てて手荷物検査に行った。もちろん、また手荷物一時預かりの手続きを踏んだ。
 帰りの飛行機は定刻どおりに出発した。携帯で音楽を聴いていたが、しばらくして寝てしまった。起きた後、テーブルの上に置いていた携帯を客室乗務員に見咎められた。別に圏外だから何もできないし、音楽聴くだけなのになんでダメなんだろうと思った。乗務員の人はいつも笑顔の仮面で本心を隠しているから、裏で何を思っているのか考えて背筋が寒くなった。
 午後6時前に福岡空港に到着。地下鉄で博多まで行き、駅のトランドール(母のお気に入りの店らしい)でパンを買う。列車の券は自由席なので、早めにホームへ向かった。
 博多駅に着いた時点で5分くらい前に特急はでており、次のを待った。私達は並んでいる列の最前列だったので座れたが、鳥栖の辺りまで席は満席、デッキに立っている人もいた。
 途中の駅で顧問も降り、その20分後、私とSは寒空のホームへ降り立った。電車はわずかな客を降ろすと、静かに走り去っていった。Sは30分かけて家へ歩いて帰ると言った。
 私は3セクの列車が来るのを待った。駅のホームには私しかいなかった。


 ……とまあ、こんな感じだ。浅田次郎の言う通り、パソコンで書くとこうも長くなってしまう。まあこれは書きたいことを絞らず、時間軸に沿ってだらだら書いているせいなのだろうが。ビジホの狭い風呂には相変わらず辟易したが、秋葉原や新宿の雑踏、とにかく初東京はあまり悪くなかった。私は東京は空が濁ってて水は汚くて飲めやしない、人も車も無駄に多いところだと思っていたが、そうでもなかった。ま、新宿駅で「何か祭りでもあってんの?」と思ったが。今回の東京では整列乗車とエスカレーターで右側を空けることをマスターした。いい社会勉強になった。何か書き忘れている気がするがこれで終わる。

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