タイ・バンコクの庶民の生活に迫る!

~タイの庶民の生活とは? 一歩でも近づくために~

20111123まだ水は引かない

2011年11月23日 | わが家族のこと
まだ水が引く様子がないSai-mai地区。補償の話など出ているようだが、とにかく家に帰れるようにしてほしい。
今日もいつもの大学近くの洗車+Coffee屋さんで、ネットをいじりながら、時間をすごす。
窓際に席を陣取る



窓の外を見るとかなり上り方面は渋滞してきたので、市民生活は正常に戻りつつあるのだろうか?


今朝のNewsでわが借家の近所のHome Garden分譲住宅の住民がまったく水位が引いておらず、改善が見られないので、行政裁判所に訴え出る動きを見せている。
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11月18日~21日、バンコク~コンケンのたび

2011年11月21日 | わが家族のこと
11がt18日、仕事をそこそこにアジアシードの河合先生とのお約束があるので、ラーンナームの軸所へ急ぐ。大学から11番のバスに乗り、ラッチャプラロップからは歩く。
4時にはAsia Seedに着いて、秘書のサリカーさんにブツ(なぜか注射器)を渡して、河合先生の電話でお礼を。Mister Donutsの箱をお土産に下さった。田舎に帰るのにとってもいい手土産になりま食べられるので、これにすることにした。
した。河合先生ありがとうございます。

アスッサワリーまで歩き、509のバスに乗って、モーチットまでたどり着く。
5時にはバスステーション「モーチット」に着いた。六時までには予約したバスチケットを発券するので来いと言われていたのだが、一時間前にこられたわけだ。何なくチケットを手に入れて、7:00PMの出発まで待つことにする。
普通お昼ご飯を耐えてきたら、あまり夕方おなかがへらないのだが、まだ六時だというのに、ばかにおなかが減ってきた。ちょっとステーションの中を歩き回ってみるが、昔気に入っていた、Coffee Shopはもう無いようだ。
いろいろ調査した上で、3Fの食堂で何か食べることにする。
最近大学の近くでも、なかなか30Bで食べられるところはなくなってきている。
3Fの食堂ではまだカオカームーが30Bで売っているので、これにすることにする。
発着めでたく腹ごしらえができたところで、出発まで待つことにする。」
19:05になったので、5番プラットホームまで言ってみることにする。バスの発着するところも「プラットホーム」というのだ。

まだ19:00初のバスがプラットホームで待っている、乗客らしい人が後ろのあるバスに乗客を連れて行っている。どうやらこれが私の乗る、VIPバスらしい。
 バスはほぼ定刻通りに出発。
バスターミナルを出て、すぐ高速に乗る。左右はまるでゴーストタウンのような真っ暗で、水に浮かんだ。地球温暖化で死滅した町のようだ。まるで、映画を見えいるような光景。高速の上ではあるはずの無い、テント、物売り、キャンプのテント。見物人など、いいようの無い光景だ。
バスは順調に走って、途中給油などして、夜半におかゆ休憩、午前3時頃に無事にPhu-Wiangのバス停に着く。
私の実家はもう少し、Phu-Wiangの街から行ったところにあるので、しばらく街から言ったところで行ったバス停でもない所で無理にバスを停めてもらって降りて、徒歩であるいて家に着く。
午前3時半なので、家は真っ暗。砒素利していた。無理に歌人を起こすこと間ないと重い、門をよじ登って家に入る。弟のメーオが起きてきてくれた。

 









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家族とは、家とは、仕事とは

2011年11月21日 | わが家族のこと
家周辺が水没し、家に帰れない状態が今日ですでに21日になる。10月21日朝3時に家を出て、日本に行ってからを数えると31日間も家に住んでいないことになる。10月30日に意を決して家の状態を見るために、また一人で留守番している犬を救出するため帰っては見たが、家にいたのは30分。周辺の環境は住める状態ではなかった。


 いつも行っているセブンイレブンも、カオパットを頼んでいるお店も、好きだった喫茶店もみな水に半分沈んでいて、あたりはさながらゴーストタウンになっていた。
とても悲しかった。
でも、そんなものは感傷に過ぎない。考えてみれば我が家が台無しなどと思っていたが、「我が家」と言っても借家だ。
家族とは離散になってしまった。息子と最愛の家内はコーンケンの田舎暮らしで、だんだん都会生活の私とはギャップが生じてきて悲しいと思ったが、これも単たる感傷に浸っているだけで、考えてみれば、子供と家内にとっては空気のいいところに住んで昼間は田んぼで稲刈り。早寝早起きは体にいいし、バンコクにこだわっている理由もない。
土日私が帰ってリラックス、月~金までBKKで仕事して土日週末は田舎で稲刈りなんて悪くはない。
 もっと言ってしまうと、田舎に引っ越したって言い訳だ。家は借家だし、いまの仕事にそんなにしがみつく理由もないかもしれない。(半分以下の給料で田舎暮らしのほうが幸せかもしれないい)。
第一この後(特に来年は2012リスク)バンコク暮らしはリスクがともない、何もいい事が無いかもしれない。洪水もそうだが、社会安定性のリスク(政治、王室)、仕事だってどうなるか分からない。
 そう考えてみると、この「一家離散をもたらした悲劇的な洪水」もいい機会を与えてくれたのかもしれない。
考えてみれば、バンコクにいても決してバンコクの生活を楽しんでいるわけでもなんでもないし、都会的なものに魅力を感じているわけでもなんでもない。日本料理も食べなければ、ホテルのラウンジでゆっくりするわけでも、パブやしゃれた店に行くわけでもない。
そんなものは一時間バスに乗ればコーンケンでもある。(おまけに安い)
そうだ、これは地方都市に越すことを考えてみる良い機会に違いない。神様はそういっている。
この土日帰って、家内と相談してみよう。少なくとも家の契約だけ済ませて、今まで通り、大学にはアパートから通って、土日帰ればいいんじゃないか、メリハリは尽くし、などと考えている。


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