野原通信~スローライフ・ピースライフ

スローでハッピーでピースな暮しと社会を目指したい私の記録と、ココロを動かすできごと・情報をお届けします。

安倍政権閣僚の言動に注目!

2007-01-30 10:27:25 | 社会
タガ緩む安倍政権 不規則発言乱発、波乱含み国会幕開け(朝日新聞) - goo ニュース


今、ものすごーく体調がよくないんですが、書かずにいられません。
これは怒りでしょうか。

柳沢厚労相の
女性を出産マシンにたとえる発言なんざ、言語道断、ついいい間違えた、なんて
大嘘をよくつきます。普段考えていることが、ぽろっと出るものです。

“「本来、大変高い見識をもった方ですし、今後職務に専念して頂くことで本人の
人柄についてもだんだん国民の皆さまに理解して頂けるだろう」と語った”
などと発言する安倍ぼんも同等。高い見識をもった方はそんなこと、うっかり
いい間違えたりなさいません。
この一言でお人柄は十分十分、わかります。

職務に専念しなくていいから、出家でもして修行していただきたいわ。

対して、下村博文官房副長官の教育関連3法案成立柔軟発言は、支持したい。
国の基本をつくる法案を、十分な審議もさせず無理やり通してどうすんの!
と言いたい。がんばれ、下村さん!!

久間防衛相の米政府批判も応援したい。
どういう経歴の方かまだ調べていないのですが、議論したうえで共同戦線を
張るならまだしも、他国のポチになっている日本は諸国から笑いものです。
きちんと対等に主張してくれる大臣がいるなら心強いもの。
がんばれ、久間さん!!(って、こんなに単純でいいのかな?)

余談ですが、自衛官を退役された方に最近、聞いた話です。
制服組は、自ら進んで戦争に参加したいわけでは決して無い。
なのに、外務省は防衛庁になにかというとすぐ前線へ行けと言う。
もちろん、必要なときには出て行く覚悟はあるが、
外務省がアメリカにいいかっこするために出て行くのはごめんだ、
自分たちは行かないくせに、簡単に言うな、というのが制服組の本音だそうです。

私は、防衛庁が省に昇格したことを不満に思っていましたが、もしも
きちんと武力行使について見極める人たちがしかるべきポジションで議論できるなら
外務省と対等に張り合える防衛省に昇格したことは、実は多少の希望はあるのかも
しれません。

そのための、市民の声を届ける活動がますます重要に思えます。

ああ、早く体調を戻して、またがんばろう。
休んでなんかいられません。


思いを伝える

2007-01-26 09:10:35 | 平和
昨夜、たまたまテレビをつけたら、ある女優さんがロンドンでマイムのレッスンを受けているシーンだった。
課題のひとつで興味をひいたのが、「思いを伝える」レッスン。
単に伝えるのではなく、言葉を使わず、目だけで伝える、という課題。

やり方はシンプル。
まず、3人が横に並んでイスに座る。
3人は、正面を向いて座る。
片方の端の一人からスタート。
たとえば、最初は「楽しい」という感情を伝える。
端の人が真ん中の人のほうに顔を向けて、目で「楽しい」という思いを伝える。
受け取った真ん中の人は、次に反対側の人に目だけで伝える。その人は一度受け取めてから、また、真ん中の人に返す。
真ん中の人は、最初の人に返す。

  A>>B>>C>>B>>A>>B>>C

こうやって行ったりきたりさせていると、楽しさがだんだん増幅され、しまいには
3人ともげらげら笑い出してしまうし、テレビのこっち側も思わず笑ってしまう。
これにはちょっと感動!もちろん、見る人の状態によるけど、でも、楽しさってやっぱり伝わることもあるんだ、すてき!

さて次は「悲しい」という気持ちを伝える。
これも最初は、静かに悲しいんだ~という気持ちを目で伝えることで始まっていくのだが、
3往復目には3人とも、泣き出してしまうほど悲しみが増幅されている。
とてもシンプルで、わかりやすい。

そうなんだ、人間って言葉がなくても伝わるものはこんなに豊かに備わっているんだ、とあらためて感動した。

より多くの人が、人と共存できるように環境に気を配って暮らす、お互いを大切にできる、
そんな社会の実現を夢見ている私だが、私の伝えたいことを伝える、
私の思いをあきらめずに大切に発信することで、ひょっとしたら少しずつ伝わるかも!なんて、ちょっとうれしくなった。


お茶のたのしみ

2007-01-21 14:03:17 | 暮らし
私は、いわゆる「お茶好き」で、一日、飲み物が欠かせない。
今の職場がいつでも自由にのめるので、デスクの上にふたつきのマグを置いて飲みながら仕事をする。実は日中は「カフェイン中毒」と言ってもいいぐらい、コーヒーが欠かせない。
安い1カップのドリップコーヒーを職場の仲間と大量購入して、一日3~4杯のペースで飲み続ける。おかげで、コーヒーを飲んだら眠れないということは全くない…。

コーヒーは生産国のアンフェアなトレードや、児童労働などの課題が多い飲み物だ。その話しは今度にすることにして、先日知人の家にお邪魔したらとてもおいしい日本茶をだしてくれた。

もともとお茶好きな私。以来、朝晩、家にいるときは日本茶をせっせと飲んでいる。といってもとりあえず買い置きがあった番茶なんだけど…。でもこれは、有機無農薬栽培のお茶だから、中味も○。
日本茶にはビタミンも豊富とか。丸ごといただくお茶だから、中味の安心には心を配りたい。

夜中にお茶を入れると、なんだかほっとします。

丁寧に暮らすって、なかなか難しくて理想どおりにはいかないけど、そうやって部分的に、一瞬、心がほっとする時間をつくるって、きっと大切なんだろうな…。

社会奉仕活動の義務化

2007-01-18 09:07:25 | 社会
高校で、社会奉仕活動が義務化される話しがまたもや浮上。
安倍首相が意地でも通したいらしい。

1月15日の毎日新聞の記事
「教育再生会議:高校で社会奉仕活動必修化、明記の方針」

公の概念を学ぶ機会は確かに必要だし、きっかけが多少強制的でも効果あるケースもある。だけど、それはきちんとフォローしてくれる環境があってのことだし、下地に、そういう感覚でもいいからもっていることが必要だろう。

中身を考えずに、必修だけ決まってしまっては、体育の苦手な生徒がいやいやグランドを走っているようなものだ。時間が過ぎればとりあえず単位はもらえるが、そこからはなんの学びも無い。

市民が支えあって社会をつくる、課題を見極める、きちんと議論する、多様性を受けいれ、ともに生きるとか、今の教育改革論には、そういう希望がちっとも見えない。教育再生会議って、どこへどう再生したいのか。

こんな国の方針にのっとって教育がすすめられるぐらいなら、義務教育なんてこどもに受けさせたくないし、高校教育だって、考えるわよ。
留学なんて、エリートの考えることだと思っていた時期もあるけど、ひょっとしたら「まともな人権感覚」「まともな国際感覚」を身につけるには日本じゃだめだってことかもしれないと思う今日この頃。

ひとりぶーぶー考えていたら、知人の佐藤さんはブログCWS privateできちんと書かれています(1月16日分、ちなみに15日もおすすめ)。


学校の授業といえば、
体育が苦手だった私は、いったいなんのために学校の授業で体育があるのか、小・中・高の12年間、さっぱりわからなくて、本当に体育が嫌だった。運動会とか体育祭なんて、拷問に等しかった。
楽しさを教えてくれたのは、大学の教養科目だった時間である。点数やできる・できないはまったく関係なく、体を動かす楽しさや必要性を実感させてくれたのは、「スポーツって楽しいんだよ~」と全身で伝えてくれた大学の担当教官だった。なんだ、そういうことか。どうして今まで学校では教えてくれなかったんだ、あの苦痛と屈辱に満ちた12年間はなんやったんや・・・と私は思ったものだ。

たとえが長くなったけど、つまりそういうことではないかと。

阪神・淡路大震災から12年

2007-01-17 05:24:08 | 社会
あっという間だったような12年。
関西に住んでいると、このところ新聞は震災を振り返る記事が多いけど、他の地域ではきっとそうではないんだろうな・・・。
もう12年、まだ12年。
あの年に生まれた赤ちゃんは、今年小学6年生か、中学1年生。
小学生ぐらいだった人たちは、亡き人への思いを胸に、社会人になったり、専門の学校やそれぞれの進路に進む。

私は・・・大きくかわったわけではないけど、少しずつ進む方向を見つけているような気がする。

昨夜、あのころまだ生まれていなかったこどもに、あのときの人の優しさ、支えあう力、命の大切さを話す時間がもてた。
いつか、社会の中で迷うことがあったときに、思い出してくれたら、と思う。



竹中平蔵氏の功罪

2007-01-06 12:46:00 | 社会
日経ビジネスオンラインというウエブサイトで、竹中平蔵氏の
インタビュー記事2007年を斬る: 竹中平蔵からの直言 貪欲なまでに「成長」を追求する気迫を忘れるな!が掲載されている。
(全文読むには会員登録が必要です。登録は無料)

「小泉内閣の終焉とともに国会議員の職を自ら辞して野に下った竹中平蔵氏──。日本経済を復活させた男は、自身の功績を語ることを潔しとせず、あえて日本の将来に苦言を呈した。貪欲なまでに「成長」を追い続けること。その気迫と覚悟を失った瞬間に、日本は没落への坂道を転がり始めると警鐘を鳴らす。2007年、日本はその岐路に立つことになると予言する。」

というリード文にはやや懐疑的に思いつつ、やはり小泉改革を強力に推し進めた竹中氏の言い分は読んでみたくて、目を通してみた。

経済にはからきし弱いので、細かいことは言えないのだけど、まず経済的な「成長」ありき、という前提からしか社会を見ようとしないのは、経済専門家ゆえなのか。
経済成長の影はいちいちかまっていられない。強者になるしか生き残れないから、「貪欲」に「成長」を追い求めること、すべての政策はそこがベースという考え方は、未来が語れないと私は感じる。

このページには読者からのコメント投稿欄がある。
そこにはやはり、中小企業をはじめとした社会的弱者といわれる層が実は改革の犠牲になり、そのことは社会的にも共有されている認識のはずだが、竹中氏がそのことには触れようとさえしないことに懐疑的な意見など、竹中氏には共感できない部分がある、との意見がいくつか掲載されていた。

私も同感。
社会的なセーフティネットの整備がほとんど未着手のまま、構造改革が推し進められ、成果があったと喜んでいるのは強者だけ。
負けるほうが悪い、成長意欲がないだけさ、と切り捨てるかのような社会にこのまま進めたくはない。

日経ビジネスオンラインのようなサイトの読者の中には、ちゃんとこのような反応をされる方が結構いる。他のページでも、共感できるコメントをいくつか見受けることがあるからだ。

そういう点では、「希望」があります。
多くの人が多様な人・生命との共存・共生を望み、平和を求めているにも関わらず、社会全体がそういう方向に動いていかない。
この歪んだ状況にめげずに、私も歩みたい。


お正月の過ごし方

2007-01-04 18:02:24 | 暮らし
お正月は、実家に帰省。
久しぶりにゆっくりした。
両親が庭先でちょっとした家庭菜園をやっている。
親族のこどもたちも一緒に、大根やにんじん、
ラディッシュを収穫。

天気予報は雨だったけど、結局一滴も降らない、
穏やかなお正月だった。