野原通信~スローライフ・ピースライフ

スローでハッピーでピースな暮しと社会を目指したい私の記録と、ココロを動かすできごと・情報をお届けします。

図書館と市バス~みんなの思いで

2007-10-25 11:37:47 | 暮らし
今朝(2007/10/25)の新聞にとっても気持ちが暖かくなる記事がふたつありました。

地域版なのでwebでご紹介できないのが残念です。
毎日新聞のはんしん版です。
ちょっと長くなるけど、ご紹介したいと思います。

ひとつは、「荒れ放題の中庭が憩いの場に~芦屋市立図書館」です。
せっかく図書館に中庭があるのに、手入れをする予算や人手がなく、背丈ほどの雑草が伸びていたのを、2003年に異動してきた職員の方が「見るに見かねて」草むしりからはじめられたそうです。
図書館を利用する市民の方がボランティアで協力して、「ジャックと豆の木」のナタマメをう植えたり、オリーブや月桂樹などの樹も植えて、今ではすっかり市民の憩いの場になっているという記事です。

関わる人自身が楽しみ、心が潤っていれば、それを利用する人たちもその温もりに自然に触れることでしょう。
それに、図書館にそういう手作りのスペースがあれば、本を読む想像力も膨らみそうです!
そういう雰囲気もとっても大切だなあ、とあらためて思いました。

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さて、二つ目は「くるまいすまいる~ゆりあ絵日記」という連載の記事です。
伊丹市の林やよいさんという方が、車いすを使う娘さんとの日常を、とってもかわいいイラストと供に綴っておられるのですが、今日は、市バスでお出かけするお話しです。

伊丹市はノンステップバスを導入して10年たつそうですが、現在、76%がノンステップバスにかわったそうです。便利ですね!
でも、バスが変わるだけじゃお出かけは難しいんですよね。

「車いすの人がノンステップバスに乗るためには、運転手さんがスロープをとりつけ、乗るのを手伝ってくれて、車いすを固定するまで、乗客全員に待ってもらわなくてはなりません」
ということで、嫌な顔をする人もいるかもしれません。
でも、最近は運転手さんも慣れてきて、手際がよくなっているそうですし、他のお客さんも気持ちよく待ってくれるそうです。
そう言えば、阪急電車で車いすの人が乗るのをよく見かけますが、駅員さんの手際がとってもよくって、ずっと以前のように特別に待つ時間がほとんどないように思います。
JRでも主要駅では、以前と比べるとだいぶスムーズになってきました。

でもでも、「バリアフリー」って設備を整えるだけでは不十分。
林さんは
「人同士が理解して、心で受け入れられて初めて実現するのだなあと思います」
と最後に書いておられますが、本当にそうだと思います。

移動がゆっくりの年配のお客さんが座席にちゃんと座るまで、発車しないで皆が待っていることができるとか、ベビーカーと赤ちゃんを抱えて若いお母さんが乗っても席をゆずってあげられるとか、ありますね。

私も車いすの友人と出かけたり、
こどもが小さいとき、ベビーカーや荷物をたくさん持って電車やバスを利用するのに、とっても苦労したことがあります。
こちらが気を遣っていても、どうにもならないこともあります。
そんなとき、周囲の人がちょっと気にかけてくれたり、嫌そうな顔をされないとか、そんなことのひとつひとつが、ほんとに嬉しいし、励まされます。

そんなひとりひとりの思いが、みんなの生きやすさになるのだと思います。

秋はお芋掘り&スイートポテト&筋肉痛

2007-10-22 00:45:35 | 今日のメニュー
秋はやっぱり芋掘り!

昨年は仕事の予定が詰まっていて断念した芋掘り。
今年はちょうどいろいろな予定が合って、息子と芋掘りに行ってきました。
今回参加したのは、学童保育の保護者の会の芋掘り。
片道30分近くの道のりを自転車で出かけて行きました。
割り当ての4株分は、あっという間にほとんど息子が掘ってしまいました。
大きなおいもがごろごろ!
私は、ちょっと深めだった1株に悪戦苦闘。
なんせ、二日前の雨で粘土質の土が重いしがっちりしてるしで、
やっとこさ堀出しました。

もっと掘りたい!と彼が言うので、喜んだ担当の人が欠席者の分を
掘っていいと言ったもんだから、
うちは芋だらけ、私は筋肉痛・・・・ううう。

さて、掘った芋ですが、今度は上の娘が「スイートポテトをつくりたい!」
というので、さっそく挑戦。
圧力鍋でお芋をふかして、つぶして裏ごし。裏ごしは彼女のこだわりで
しっかりがんばってました。
そのあと、鍋で温めながらバターと砂糖、卵黄を混ぜます。
仕上げはアルミカップに入れて、オーブントースターで焦げ目をつけたら
できあがり!
い~い香りが家中にあふれました。

熱々のスイートポテト!とってもおいしかったです。

疲れたけど、楽しい一日でした。
ああ、でも腕が痛い!


兵士たちの戦争

2007-10-22 00:43:22 | 平和
10月のはじめから、夜中に「NHK 証言記録」というシリーズの番組をやっていました。
気がついたら半分放送が済んでいたので、全部の番組は見れなかったのですが、一部を見ました。
(夜中の0:10からで、翌日の仕事中が眠かったのですが・・・)

証言記録 兵士たちの戦争
「ビルマ 退却戦の悲闘 福井県・敦賀歩兵第119連隊」
「北部ビルマ 密林に倒れた最強部隊」
「西部ニューギニア・見捨てられた戦場」
「中国大陸打通苦しみの行軍1500キロ」
「フィリピン最後の攻防 極限の持久戦」
「満蒙国境 知らされなかった終戦」

私が見たのは、後半の3本。
フィリピンのルソン島での話しはまさに「極限」。
元兵士で、その戦地からかろうじて生還した人の話しですが、
補給がないので、「自活自戦」つまり、補給物資は自分たちで調達して戦え、
という指示だったそうです。

自活自戦といっても現地の人にとっては略奪だった、
それでもどうしようもなかった・・・と話す元兵士の方は、
本当につらそうでした。

そして、敗走の兵を待ち受けていたのは飢えと渇き。

かろうじて戻って来られた、ある元兵士の方は必要最低限以外は
どこにも出かけられないそうです。
「あれだけ皆に死ぬことだけを薦めていたのに、
その自分だけが遊んでいたんじゃいけません。
だから戦争だけはいかんと言うてきたんですが・・・
時代はかわっていくんですなあ・・・」
そう、話されました。

フィリピン3000人の兵
生還したのはわずか220人だったそうですが、生き残った方たちも
つらいつらい思いをひきずりながら、生きてこられています。

そして、最後が
「証言記録 マニラ市街戦~死者12万 焦土への1か月~」

日米の市街戦で無残にも市民が犠牲になり、さらにスパイではないか、
という疑心暗鬼の渦にも巻き込まれ、最後の砦に避難した市民をも犠牲にした
激しい戦闘。悲惨な1ヶ月を初めて知りました。
今のイラクも同じではないのでしょうか。

証言された市民の女性は涙ながらに訴えていました。
「このインタビューが終わったら、もう話しません」
それほどまでにつらい、最初で最後の証言でした。
それを聞いた私たちには、それを生かす責務があると感じました。

どうしていいのか、なかなかわかりませんが、とりあえず久しぶりに
日記を書く時間がつくれたので、
とっても遅ればせながらアップしておきます。