補習校の卒業式では式典の後スピーチコンテストが行われる。
子ども全員が対象だ。内容の良かった子どもに投票もする。
これを楽しみに、また我が子に投票するため?保護者も全家族集まる。
隣に座ったサリー姿の母親はネパール人らしいのに日本語を流暢に話した。
彼女はグルン族という日本人に良く似た民族の人だ。
一人娘は補習校では1年生で平日はイギリス系の学校に通っていた。
我が家はイギリス系の学校の隣だった。
彼女はNGO(援助)関係の仕事をしていた。
大学生の時、国費で日本に留学した。
その時に知り合って結婚した日本人の夫は日本米の販売や妻が考案したキャラメルコーンを店に卸したりしていた。
ほどなく家族ぐるみのお付き合いが始まった。
彼女と娘は日本語、英語、ネパール語の3ヶ国語を自由に使えた。
シャープな頭脳を華やかな笑顔で包み、誰に対しても穏やかで愛情を惜しまない。そんな人だった。
彼女と出会ったことで私のネパール生活が素晴らしく輝いたものになった。
また娘さんは、次女の素敵なお姉さんになってくれた。
会えば、ネパールのこと、日本のこと、子どもの教育のこと、料理など話はつきなかった。
料理は抜群に上手で彼女の家ではよくご馳走になった。
珍しい料理も教えてくれた。
取り出したヤギの肺に水で溶いた豆のスープを流し込み煮込んだものを薄くスライスして油で揚げて食べる。
豆のスープを流し込むところは見せられたものじゃないそうだが美味しかった!
こんな母親に育てられた娘さんもアイディアマンで次女は一緒に遊ぶのをとても楽しみにしていた。
庭に生ったボゴテ(ザボン)の、実を取った後の皮を帽子に改造したり、弓矢を手作りしたり、創作ダンスを2人で披露してくれたりした。
そして何より、ネパール語しか通じない庭師とガードマンたちとの通訳をしてもらえたのがありがたかった。
メイドには私の片言の英語が通じたが、それを更にネパール語で伝えてもらうとうまく伝わらないことがしばしば起こった。
契約とか契約書の概念が無いので何か問題が起こると、人によっては使用人を簡単に首切りすることもよくあることだったが、そんなことはなるべくしたくなかった。
問題が起こった時に、親友となった彼女は使用人たちにじっくりと、時々教訓も入れて話をしてくれた。
我が家で働くことで仕事の知識が増して付加価値が付けば次も仕事に就ける。
こんな我が家の考え方も理解してもらえた。
夫は仕事の7、8年目のプロジェクトに携わっていて、これ以上は自国の者だけで運営していくことが大切という考えだったので後任は来ない。
使用人さんたちは次の仕事を見つけなければならなかった。
娘さんの友人や従兄弟たちも遊びに来るようになった。
娘さんがいることでそれぞれの国の言葉を話す子どもたちとのコミニケーションには困らなかった。
3ヶ国語を手繰る娘さんに頭の中では何語で考えるの?って質問したことがあるがやっぱり3ヶ国語で考えるそうだ。想像がつかない。
出会いは素晴らしい!
子ども全員が対象だ。内容の良かった子どもに投票もする。
これを楽しみに、また我が子に投票するため?保護者も全家族集まる。
隣に座ったサリー姿の母親はネパール人らしいのに日本語を流暢に話した。
彼女はグルン族という日本人に良く似た民族の人だ。
一人娘は補習校では1年生で平日はイギリス系の学校に通っていた。
我が家はイギリス系の学校の隣だった。
彼女はNGO(援助)関係の仕事をしていた。
大学生の時、国費で日本に留学した。
その時に知り合って結婚した日本人の夫は日本米の販売や妻が考案したキャラメルコーンを店に卸したりしていた。
ほどなく家族ぐるみのお付き合いが始まった。
彼女と娘は日本語、英語、ネパール語の3ヶ国語を自由に使えた。
シャープな頭脳を華やかな笑顔で包み、誰に対しても穏やかで愛情を惜しまない。そんな人だった。
彼女と出会ったことで私のネパール生活が素晴らしく輝いたものになった。
また娘さんは、次女の素敵なお姉さんになってくれた。
会えば、ネパールのこと、日本のこと、子どもの教育のこと、料理など話はつきなかった。
料理は抜群に上手で彼女の家ではよくご馳走になった。
珍しい料理も教えてくれた。
取り出したヤギの肺に水で溶いた豆のスープを流し込み煮込んだものを薄くスライスして油で揚げて食べる。
豆のスープを流し込むところは見せられたものじゃないそうだが美味しかった!
こんな母親に育てられた娘さんもアイディアマンで次女は一緒に遊ぶのをとても楽しみにしていた。
庭に生ったボゴテ(ザボン)の、実を取った後の皮を帽子に改造したり、弓矢を手作りしたり、創作ダンスを2人で披露してくれたりした。
そして何より、ネパール語しか通じない庭師とガードマンたちとの通訳をしてもらえたのがありがたかった。
メイドには私の片言の英語が通じたが、それを更にネパール語で伝えてもらうとうまく伝わらないことがしばしば起こった。
契約とか契約書の概念が無いので何か問題が起こると、人によっては使用人を簡単に首切りすることもよくあることだったが、そんなことはなるべくしたくなかった。
問題が起こった時に、親友となった彼女は使用人たちにじっくりと、時々教訓も入れて話をしてくれた。
我が家で働くことで仕事の知識が増して付加価値が付けば次も仕事に就ける。
こんな我が家の考え方も理解してもらえた。
夫は仕事の7、8年目のプロジェクトに携わっていて、これ以上は自国の者だけで運営していくことが大切という考えだったので後任は来ない。
使用人さんたちは次の仕事を見つけなければならなかった。
娘さんの友人や従兄弟たちも遊びに来るようになった。
娘さんがいることでそれぞれの国の言葉を話す子どもたちとのコミニケーションには困らなかった。
3ヶ国語を手繰る娘さんに頭の中では何語で考えるの?って質問したことがあるがやっぱり3ヶ国語で考えるそうだ。想像がつかない。
出会いは素晴らしい!