love and peace

thank you for visiting*

出会い

2008-11-30 06:22:40 | Weblog
補習校の卒業式では式典の後スピーチコンテストが行われる。
子ども全員が対象だ。内容の良かった子どもに投票もする。
これを楽しみに、また我が子に投票するため?保護者も全家族集まる。
隣に座ったサリー姿の母親はネパール人らしいのに日本語を流暢に話した。
彼女はグルン族という日本人に良く似た民族の人だ。
一人娘は補習校では1年生で平日はイギリス系の学校に通っていた。
我が家はイギリス系の学校の隣だった。
彼女はNGO(援助)関係の仕事をしていた。
大学生の時、国費で日本に留学した。
その時に知り合って結婚した日本人の夫は日本米の販売や妻が考案したキャラメルコーンを店に卸したりしていた。
ほどなく家族ぐるみのお付き合いが始まった。
彼女と娘は日本語、英語、ネパール語の3ヶ国語を自由に使えた。
シャープな頭脳を華やかな笑顔で包み、誰に対しても穏やかで愛情を惜しまない。そんな人だった。
彼女と出会ったことで私のネパール生活が素晴らしく輝いたものになった。
また娘さんは、次女の素敵なお姉さんになってくれた。
会えば、ネパールのこと、日本のこと、子どもの教育のこと、料理など話はつきなかった。
料理は抜群に上手で彼女の家ではよくご馳走になった。
珍しい料理も教えてくれた。
取り出したヤギの肺に水で溶いた豆のスープを流し込み煮込んだものを薄くスライスして油で揚げて食べる。
豆のスープを流し込むところは見せられたものじゃないそうだが美味しかった!
こんな母親に育てられた娘さんもアイディアマンで次女は一緒に遊ぶのをとても楽しみにしていた。
庭に生ったボゴテ(ザボン)の、実を取った後の皮を帽子に改造したり、弓矢を手作りしたり、創作ダンスを2人で披露してくれたりした。
そして何より、ネパール語しか通じない庭師とガードマンたちとの通訳をしてもらえたのがありがたかった。
メイドには私の片言の英語が通じたが、それを更にネパール語で伝えてもらうとうまく伝わらないことがしばしば起こった。
契約とか契約書の概念が無いので何か問題が起こると、人によっては使用人を簡単に首切りすることもよくあることだったが、そんなことはなるべくしたくなかった。
問題が起こった時に、親友となった彼女は使用人たちにじっくりと、時々教訓も入れて話をしてくれた。
我が家で働くことで仕事の知識が増して付加価値が付けば次も仕事に就ける。
こんな我が家の考え方も理解してもらえた。
夫は仕事の7、8年目のプロジェクトに携わっていて、これ以上は自国の者だけで運営していくことが大切という考えだったので後任は来ない。
使用人さんたちは次の仕事を見つけなければならなかった。
娘さんの友人や従兄弟たちも遊びに来るようになった。
娘さんがいることでそれぞれの国の言葉を話す子どもたちとのコミニケーションには困らなかった。
3ヶ国語を手繰る娘さんに頭の中では何語で考えるの?って質問したことがあるがやっぱり3ヶ国語で考えるそうだ。想像がつかない。
出会いは素晴らしい!
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日本語補習校

2008-11-29 15:44:22 | Weblog
土曜日には子どもたちはカトマンズ日本語補習校に通った。
午前の授業はどの学年も国語と算数(中学生は当然数学)が2時間ずつ、午後の1時間は国語、算数になることもあったが、一応総合の時間。
クラスの人数は4,5人と少ないが、子どもによって語学力の程度が違う。
それぞれの親が学校に求める目的は多種多様。
我が家のように帰国前提の子、永住しているネパール人との混血の子。
仕事で住んでいる他の外国と日本人との混血の子。
問題はいろいろとあったが、9学年合わせても30人くらいなので時間があれば子どもたちはまるで兄弟のように一緒によく遊んだ。
日本語で思いっきり話せるので、土曜日でも喜んで学校に行った。
次女もいつもついて行って校庭で遊んだ。
日本語の絵本も沢山あって、20冊、30冊と借りた。
家で延々と絵本を読まされるのは大変だったけど、次女のためにはとても良かった。
総合の時間でユニークだったのが鶏の解剖。
医者と助産婦の夫婦が授業を担当してくれた。
電気関係の援助の仕事の人は自転車をこいで電気を起こす授業。
理科の教師をしている青年協力隊はペットボトルのロケット飛ばしをやって空気の授業。
この授業には次男が痛く感激した。
授業の手伝いで女性の隊員が我が家に泊まっていたのだが、朝の5時から彼女を起こしてペットボトルを飛ばし、学校から帰って暗くなるまではまっていた。
通い始めてすぐに卒業式があった。
卒業式は日本大使館で行われ、近くのホテルで謝恩会。
子どもたちは花が咲き乱れた素晴らしい庭と豪華なバイキング料理に目を見張った。
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私の名前はミサ

2008-11-28 12:23:10 | Weblog
サーブはご主人様の意味。では私を呼ぶ時は?ミン(女)サーブ。早い言い方はミサ。ミにアクセントがある。
ミサこれどうしましょう?ミサお客様です。ミサ!ミサ!私の名前は2年間ミサだった。
新しい生活が始まって1週間後に夫の職場の人を招いた。メイドに手伝ってもらって料理を何品か用意した。
リビング、サンルーム内のシャンデリアやスポットライトを全部点けて乾杯した。誰かがタバコを吸いに外に出て、外のライトを点けたら全ての照明が消えた・・
配電盤がショートしたらしい。その日はろうそくパーティーとなった。
メイドは9時出勤。洗濯、掃除からは解放されたけど、朝は日本にいた時と変わらず早起きして、スナックと弁当作りと朝食の用意をしなければならなかった。
加えて、長い間、家が使われていなかったので換気のために窓を開けなければならなかった。これに30分かかった。
4階にある水タンクをいっぱいにして天然のソーラーでお湯も作らなければならない。
台所にあるポンプのスイッチをオンにしたら3階の外のベランダまでコーヒーカップ片手に階段を上がる。
水があふれてきたら大急ぎでスイッチを切りに階段を下りる。
水がいっぱいになったかどうか台所ではわからない。
食材の買い物はスーパーは何軒かあったが、野菜、果物、米などは売ってない。
ブルーシートをひさしにしていた近所の小さな店らしきものがあったが、はたしてあそこで買うのだろうか、食べられるものだろうかと心配したが、心配したとおりだった。
店の人はネパール語。最初は指差しで、次からメモを用意して野菜の名前を一つ一つ教えてもらった。
次男と一緒のとき「アル」と言ったら「何、日本語で言ってんの?」とたしなめられたが、「アルはジャガイモのことなのよ」
食パンを指差したら、「そっちは古い、こっちがいいよ」と店の人は親切だった。よく見たらカビが生えてる。これってどうするんだろう・・・
ドライバーが連れて行ってくれた市場で野菜を買ったら「サッティ」と店の人が言うので「やっぱ安いわ30ルピーね」とおつりをもらうつもりで50ルピーを出したらナンチャラカンチャラと何か変。
サッティはネパール語で60だった。毎日が冒険だった。
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ネパールの我が家

2008-11-27 00:14:35 | Weblog
大家は家を建てた後、外国に移住したため誰も住んだことは無く、しかも土足。
大理石の床は汚れ放題。
夫は率先して掃除を始めた。
メイドさんはご主人様(使用人さんたちはサーブと呼ぶ)が掃除をするなんてと慌てていた。
私たちは日本人。だれでも掃除はするのよ。
引越ししてとにかく快適な移住空間になるまで自ら手を加えるのが夫流。
とにかく広い。
リビングには暖炉と立派なバーが有り、食堂はガラス戸で囲えるようになっている。
食堂の向こうはサンルーム。
サンルームには後に大きなハンモックを吊るした。
2階は木の床。
ネパールで木の床は贅沢だ。
ファミリールームから始まって書斎、主寝室、ドレッシングルーム(私の部屋)次に日当たりのいい小部屋(次女の部屋にした)次に大きな部屋は男の子たちの部屋。
この部屋の外にブランコのある中庭がある。
男の子の部屋を通り過ぎると、もと来た階段の踊り場に出る。
目的の部屋に行くのについ通り過ぎて何度も迷った。
ファミリールームの奥にもキッチンがあった。暖炉も。
えっこんなところに階段がと思うようなところを上るといくつかの小さな部屋とまた暖炉とキッチンの付いた部屋。
この3階の大部屋はゲストルームとして使った。
長女は1階の玄関から近い部屋。
1階の台所の奥には使用人さん用の小さな家があった。
住んでしばらくは部屋が多すぎて数えるのもめんどうだったし、子どもたちがどこにいるのか探すのも時間がかかった。
家に住み始めた初日、夜にいきなり停電した。
そのころ昼間も4時間の停電が毎日あった。
子どもたちは「お化け屋敷ごっこをしよう」と切り替えが早い。
次の日からお風呂に入ることが出来たが、途中で真っ暗になると怖いので、最初の頃は家族全員でお風呂に入った。これって家族風呂?
家賃は住居手当をオーバーしたけれど、この家を借りたおかげで沢山の出会いと素晴らしい思い出ができた!
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再びネパール

2008-11-26 17:39:55 | Weblog
ネパール到着1週間後から子どもたちはインターナショナルスクールに通い始めた。
次女もプリスクールに入ることが出来たが、雰囲気に怖気づいてか、4才になってから行くと言った。
スナックとお弁当が必要だ。
スナックはお菓子を買えばいい。お弁当は・・・さすがアメリカ系インターナショナルスクール。色んなレストランにオーダーが出来た。
お昼には熱々を運んでくれる。子どもたちの一番人気はピザだった。
家族皆で気に入っていた家がすでに予約が入っていたのがわかり、家探しが振り出しに戻ったため、家を借りられたのがさらに1週間後だった。
とんでもなく大きな家で、リビングには100年前にネパールを治めた将軍様の等身大の絵があった。
2階にも庭があって白いブランコがあった。
3階のまだ上には大きな水タンクの部屋があり、子どもたちはそこを隠れ家として遊び場にした。
大きな家を借りたのは正解だった。
水事情の悪いネパールで井戸が深く掘ってあることは大きな意味があった。
乾季になると水涸れが起こった。
そうなると水を買わなくてはならない。
ゼネラルストライキの時には車が走れないので、水を積んだタンクローリーは来ない。
友人宅ではシャワー、トイレなど一人一日バケツ1杯の水で過ごしたりしていた。
我が家は水に悩まされることは無く、それどころか、庭に2つあった噴水では水遊びまで楽しめた。
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休み明け

2008-11-25 10:31:19 | Weblog
休みの次の日に予定が無いとほっとする。地域の役員の長も担っているので何かと用事や電話が入ることが多い。家事は後回しにして?読んでしまいたかった本を読んだり、こうやってブログに向かったりリラックスタイムを楽しむのが先。夕方子どもたちが三々五々帰ってくるまでが今日の私の時間。明日からは役員関係とボランティアの用事が続く。
ブログやりたいな・・と言ったら、長女がすぐに設定をやってくれた。子どもってありがたい。長女が幼稚園の年少の時に次男が生まれた。その時長男はまだ1才。3才、1才、0才を車に乗せ、幼稚園に通った。30代半ばだった私は体力だけはあったが、とにかく眠かった。いつもいつも眠かった。お風呂にはたいがい夫が入れてくれたが、服を脱がした子どもたちを渡すとその場で眠った。たった10分くらいのものだけど。懐かしい。夢は一人で買い物がしたいということだった。
そのころ、年の離れた友人がいつも「今が一番いいのよ」「今が一番幸せよ」と言って私を支えてくれた。夫の実家の近くに住んでいるその友人には年に1回の帰省の時にはどんなに忙しくても、たとえ1時間しかなくても必ず会う。
子どももありがたいけど友人はもっとありがたい。
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主婦は・・・

2008-11-23 16:27:09 | Weblog
3連休。やはりブログが止まる。主婦は何かと落ち着かない。
今はカンボジアに住んでいる、ネパール時代に仲良かった家族からメールが来た。
気になっていた親友のネパール人が幸せに暮らしていることがわかって、とてもハッピーになった。
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大学受験生

2008-11-21 09:06:24 | Weblog
カトマンズのインターナショナルスクールの4年生に入った長男のクラスでは国語(英語)の筆記体の練習が始まっていた。「何、このくねくね字!」って文句言いながら練習帳に向かっていた。それが今は花の?受験生。私から家族に受験生特別扱いを宣言した。勉強している時はオーディオの音量を下げること。って普通だと思うけど、長女は音楽無しではいられないタイプ。音量は半端じゃない。誰がいようがお構いなし。数ヶ月の期限付きだし、浪人という選択肢はうちには無いからとお願いする。もう一つ。長男の部屋に電話の子機を置いた。私の営業時間中(つまり起きている間)は飲み物の注文をしてもいいよと。さっそく注文があった。「アップルティー」受験も2人目になるとだいぶ私も慣れてきている。来年は3人目の受験。次男も大学に行くと言う。慣れるのはいいけど家計はどうなるの・・・
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カトマンズ

2008-11-20 13:19:12 | Weblog
英語の発音はカトゥマンデゥ。
Kathmanduと時々呟くと胸が痛くなる。
懐かしい。帰りたい。
赤いレンガ造りの家並み。カリフラワーを山と入れた背負子の女性。
荷物が大きいので後ろ向きにバスに乗る。
道端で店開きしている散髪屋。肉屋の店先に並んでいるヤギの思慮深そうな顔。
そして何より、あのミルクで煮出した紅茶。
チヤと呼ぶ。チャではなく。
1杯10円足らずでガラスのコップになみなみと注いでくれる。
道端に座り込んだおばさんが作る。小さい店先で子どもが作る。
どこの家に遊びに行っても、銀行に用事で行ってもまずチヤ。
家でもメイドさんやコックさんにしょっちゅう作ってもらった。
料理で砂糖を使わないためか、チヤにはたっぷりの砂糖が入っている。
「砂糖を少なくして」とよく注文した。
今でも懐かしくて時々作る。
クローブ、シナモン、カルダモン、ジンジャーを加えたチヤは家族全員好きだ。
でもこんなにネパールが懐かしいのはネパール人が温厚な人柄で、目が会えば笑顔で接してくれたからだと思う。
帰りたい。一緒に暮らした皆に会いたい。きっと、子どもたちが大きくなった事を喜んでくれるだろう。
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寒い日はおでん

2008-11-20 08:48:03 | Weblog
昨日からいきなり冬になった。夕食はおでんにした。ネパールでは食べられなかった。海が無いから魚介類が無いので練り物が無い。
おでんのレシピ:熱効率の良いステンレスの鍋使用
大き目のお鍋に水を張り、だし昆布を入れる。
大根、じゃがいもを大きく切って入れ、火にかける。
沸騰して10分煮る。その間にゆで卵を用意する。
ちくわ、がんも、さつま揚げなどにはお湯をかけ油分を抜く。
塩(粗塩が美味しくて体に良い)小さじ2杯、日本酒、みりん、醤油を大さじ4杯ずつ入れ、具を加える。イカ下足、ベーコン、こんにゃくなど好みのものを入れる。
30分くらい煮込み、火を止め、あとは余熱で1時間以上たてば大丈夫。
食べる前に暖める。
きょうも寒い。でも今夜はカレー。残りご飯が沢山あるし、夕方、子どもの送り迎えがあるから、セルフサービスで食べられるものにする。楽チン
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