「和」に目覚めた侍
ボリショイ最終幕:岩田守弘の新たな挑戦/4 真の「侍」目指して
9月中旬、モスクワ市内のスポーツ施設で、はかま姿のロシア人と一緒に日本刀を構える岩田守弘(41)の姿があった。数年前に始めた居合術の一派「易水(えきすい)館」の稽古(けいこ)だ。日本から出張指導に訪れていた若浦次郎館長(62)は「練習量は少ないが、体の軸がしっかりしているから突っ込まない」と、岩田のバランス感覚に感心していた。
若浦宗範十段
岩田は約10年前から合気道にも取り組んでいる。ソ連バレエにあこがれて単身モスクワへ渡った日本人ダンサーが、異国で「和」に目覚めたのは、自分のバレエ作品がきっかけだった。
2000年に岩田は初めて日本文化をモチーフとした演目「富士への登攀(とうはん)」を振り付けた。創作の動機は「話題を集めて自分が主演する公演のチケットを売りさばくためだった」と言う。興行主と打ち合わせていくうちに、日本文化への関心が高いモスクワなら、日本を前面に出した作品が話題を呼ぶのではないかと判断した。
岩田初段
その後も武士の自己犠牲を描いた「魂」など、日本をモチーフにした計5作品を発表してきた。昨夏にモスクワで上演した「通りゃんせ」では、世界的な和太鼓奏者、林英哲と「共演」した。これまでロシアで日本をテーマにしたバレエ作品がほとんどなかったことから、新風を吹き込んだ。
岩田と20年近く親交があるロシア国立バレエ・モスクワ指導教官のナターリャ・チェーホフスカヤ(51)は、「どの作品も入念に準備されているし、モスクワで日本を描く作品を鑑賞できることはとても貴重」と評価する。
もともとはバレエ作品のために日本文化を学び始めた岩田だが、今では文化そのものへも入れ込んでいる。最近は日本に一時帰国した際に、ちゃぶ台や座椅子を持ち帰る。舞台で「サムライ」を演じていたダンサーは、真の侍を目指し始めたようだ。
サムライ展館長アイストロフ・ユーリー四段
ボリショイ最終幕:岩田守弘の新たな挑戦/4 真の「侍」目指して
9月中旬、モスクワ市内のスポーツ施設で、はかま姿のロシア人と一緒に日本刀を構える岩田守弘(41)の姿があった。数年前に始めた居合術の一派「易水(えきすい)館」の稽古(けいこ)だ。日本から出張指導に訪れていた若浦次郎館長(62)は「練習量は少ないが、体の軸がしっかりしているから突っ込まない」と、岩田のバランス感覚に感心していた。
若浦宗範十段
岩田は約10年前から合気道にも取り組んでいる。ソ連バレエにあこがれて単身モスクワへ渡った日本人ダンサーが、異国で「和」に目覚めたのは、自分のバレエ作品がきっかけだった。
2000年に岩田は初めて日本文化をモチーフとした演目「富士への登攀(とうはん)」を振り付けた。創作の動機は「話題を集めて自分が主演する公演のチケットを売りさばくためだった」と言う。興行主と打ち合わせていくうちに、日本文化への関心が高いモスクワなら、日本を前面に出した作品が話題を呼ぶのではないかと判断した。
岩田初段
その後も武士の自己犠牲を描いた「魂」など、日本をモチーフにした計5作品を発表してきた。昨夏にモスクワで上演した「通りゃんせ」では、世界的な和太鼓奏者、林英哲と「共演」した。これまでロシアで日本をテーマにしたバレエ作品がほとんどなかったことから、新風を吹き込んだ。
岩田と20年近く親交があるロシア国立バレエ・モスクワ指導教官のナターリャ・チェーホフスカヤ(51)は、「どの作品も入念に準備されているし、モスクワで日本を描く作品を鑑賞できることはとても貴重」と評価する。
もともとはバレエ作品のために日本文化を学び始めた岩田だが、今では文化そのものへも入れ込んでいる。最近は日本に一時帰国した際に、ちゃぶ台や座椅子を持ち帰る。舞台で「サムライ」を演じていたダンサーは、真の侍を目指し始めたようだ。
サムライ展館長アイストロフ・ユーリー四段