「難波宮って?」 古代史のんびり散歩

時間だけは、タップリある定年団塊世代が、ズート気になっていた
古代日本史を素人の感性でゆっくり探訪します。

平成29年夏、飛鳥探訪+グリコ森永事件雑想

2017年08月20日 | 日記
中臣鎌子の、出自、関連場所を探るのをメインに、ぶらぶら。
                   平成29年8月3日~5日

8月3日(木)晴れ、酷暑
 阿武山古墳 藤原鎌足の古墳 散策

  京大阿武山地震研究所 裏手
  ナビの不備不勉強、探すのに大苦労
  ナビに従って、愛車LIFEで運転して行くと。
  「この先、阿武山古墳へは行けません。」の看板。
  引き返し、ナビを見ながら、ウロウロ。
  ローソンがあり、トイレを借りて、ジュースを買い、
  地元の人なら詳しいだろうと、レジの美女に、
  「あのー、阿武山古墳は、どう行けばいいか、ご存じでしょうか?」
  「えっ! 古墳ですか?」「阿武山古墳?そんなん在るんですか?」
  「地元のレジの子を呼びます。」

  地元の、レジの美女が代わりに話を聞いてくれた。
  「この奥に、古墳があるのは知っているんですが。地元なのに、
  あまり興味が無くて、詳しくは知らないんです。」

  「確か、京都大学の、地震研究所が在るそうで、そこで発見された
  そうなんですが。」

  「京都大学の研究所でしたら、分かります。」
  「バイクで行ったこともあります。」
  「そこに、どんな古墳があったんですか?」

  「話としては、藤原鎌足の古墳と言われていますよね。」
  「へぇー、大化の改新の時の中臣鎌足ですよね、興味が湧いてきました。」
  又バイクで行ってみようかな。」

  その後、スマホを使い、グーグルのナビで、場所を、教えて貰いました。

   愛車のホンダLIFEで、坂道をクネクネとグーグルを見ながら。
   登っていくと、在りました。京都大学 地震研究所
  歴史ハイカーと直ぐ分かる、グループが、気軽に、ゲートから
  何人か入って行かれたので、一緒に入っていきました。
  研究所の建て屋の手前に、阿武山古墳の
  案内板がありました。

  案内表示に導かれて、歩いて進んで行きました。
  周囲を金網の柵で、取り巻かれた、古墳? が在りました。
  写真を撮っていると、高齢の、歴史ハイカーさんから、
  声をかけていただき、古墳の事を詳しく教えて頂きました。
  戦前に、京大の研究所を建造中に、この古墳にブツカり、何も考えずに
  掘り起こし、石棺を見つけ、その中に遺骨もあり、古墳と分かり、
  やんごとなき方の、墓ではとなり、そのことを知った、軍部から
  至急埋め戻すよう指示があったため、元の状態に戻した。
  と教えていただきました。
   また、「日本書紀に記載されている、鎌足が病床を重くしているとき、
  大錦の冠を賜ったと、書かれている物と思われる、冠も見つかり、
  遺骨の肋骨が折れており、これは、天智天皇と、狩りをしたときに、
  落馬して骨を折り、それが元で床に伏し、死を迎えたと言われている、
  故事とも符合しますので、藤原鎌足で間違い無いんじゃーないでしょうか。
   それ以前は、この近くの「将軍塚」だろうと言われていたんですが。」

   本当に詳しく、教えていただきました。
  「ありがとうございました。」





 グリコ森永事件散策
  摂津市鳥飼 安威川沿い 地元治水組合水防倉庫探索
   安威川に架かる、府道15号線から、上流の中州
           府道19号線から、下流の中州に見えます。




    (JR鳥飼車両基地) ←中州の一本道← (捕まっていた倉庫)
   この倉庫から、グリコ社長必死で脱出、JR鳥飼車両基地へ逃げ込む。


   事件発生当時の、倉庫捜査状況

  「難波の宮、散策」とは、なにも関係ないのですが、私の心のトゲとして、
  30年以上残っている、
  「あの人、キツネ目の男、かい人21面相と
  よく似たはったなあー??」
  「まさか、そんな、平凡を絵で描いたような人生を送っている、
  少し男前の私が、小説みたいな話に、接点なんて無いよな?。」

  と言う、この事件への思いをブログにしておこうと思います。
   実は友人に、このモヤモヤを、ブログにする話をしたら、
  「止めとけ! ブログが炎上するぞ!」
  諫められたのですが、トゲを抜きたくて、それにもう30年以上経過し
  その人、本人の名前も、所属の会社名も忘れてしまっているし。
  ジャンル違いの、この歴史ブログにのせば、大丈夫かなと、
  書き込みを始めてしまいました。
  これ以降は、老人の只の世迷い言と思って下さい。

  グリコ森永事件の概要は
   ウキペディア「グリコ・森永事件」に詳しいので、
   そちらを参照ください。

 1984年(昭和59年)3月18日 
   グリコ社長宅に、誘拐犯が進入し、
  入浴中の江崎社長を裸のまま拉致誘拐したことから、始まりました。
  このとき、一緒に入浴していた、誘拐しやすい筈の長男や、
  次女7歳の女児を無視し、江崎本人だけを無理やり拉致し、
  大阪府摂津市の、水利組合防水倉庫に、閉じこめる。

 3月19日 早速誘拐の翌日、段取りよく計画された如く。
   大阪府摂津市に自宅があった、江崎グリコの取締役宅に
  誘拐した社長の身代金(10億円と金塊)要求の手紙投函される。
  しかし、受け渡し指定場所に、犯人現れず。

 3月21日(誘拐発生3日目)
   江崎社長自力で、防水倉庫から脱出、JR鳥飼車両基地に
  助けを求める。(服は犯人グループから古着を与えられていた。)
  無事救助 目出度し目出度し、とは成らなかった。

 4月 2日 
   それ以後数回に渡り、江崎グリコ宛に、現金要求の脅迫有り。

  4月10日 グリコ工場放火。

  5月10日 青酸ソーダ入りグリコ菓子を全国に配ると脅迫あり。
   指定された、数度にわたる、身代金受け渡し場所において、
  警察捜査員は、犯人に数回遭遇しているにも関わらず、稚拙なミスで
  取り逃がす。
  その中には、無関係の一般人が、誘拐犯(かい人21面相を名乗る)に、
  デート中に、彼女を拉致され、脅迫されて、犯人の代わりに
  受け渡し場所に行かされ、犯人と誤認され捕まえられるという、
  余りに、ミステリー小説もどきの、ストーリーまで、犯人は準備した。
  しかもこの時、身代金受け取りの計画は、失敗したけれど、
  拉致されていた、女性は無事犯人から解放され、解放される時
  タクシー代として、2千円を渡されたそうです。
  卑劣な誘拐犯罪者の、誘拐された女性に対する気遣いの対応。
  理解できない落差です。

 6月26日
   犯人グループからマスコミに、「江崎グリコ許したる。」
  の挑戦状が届く。
  これ以後、グリコへの脅迫は終焉した。

 これにて、事件の終焉かと思われたが。

 6月22日 ~ 1985年昭和60年8月12日まで
   大阪府高槻市 丸大食品に脅迫状が届く。
  「グリコと同じ目にあいたくなっかたら、5千万円用意しろ。」
  企業に対する、脅迫事件は終了していなかった。
  その後、大阪市 森永製菓
  ハウス食品(指定受け渡し場所、京都市伏見区)
  不二家、大阪梅田の百貨店の屋上から、2000万円ばらまくことを要求。
  その他、駿河屋にも現金要求の脅迫状が送りつけられた。

 1985年(昭和60年)8月12日 (発生から1年5ヶ月後)
   犯人グループから。
  「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」の
  終息宣言あり。
  以後同グループによる犯行は終演したとされている。

   この他にも、犯人グループと警察とのやり取り、駆け引きは
  下手な探偵小説や、退屈な、テレビ警察ドラマより、数段興味をかき立て、
  当時、職場や、飲み屋での話題の中心でした。


   私と此の事件との接点は(私がそう思っているだけですが。)
  私が、日本の産業構造変更に伴い、大学卒業後、最初に就職した、
  重厚長大の会社から、軽薄短小の企業に再就職した年が、昭和60年でした。
  新しい会社の業種は、主に、化学会社や、素材メーカーで、
  製品の品質管理、出荷時の性能検査に使用する、検査機器の
  製造メーカーでした。
  私の職種は、営業で、売り上げのUPを期待していただいていました。
   入社した昭和60年当時はまだ、自社の製品を覚えるのが、精一杯で、
  技術員がユーザーに納品された、製品の修理や、年に一度性能検査を
  させていただくために、ユーザーに出張するとき、一緒について行き、
  自社製品の勉強と、ユーザーとの顔繋ぎをさせていただいて居りました。

   そうです、もう勘が働きましたか?

  その中の1社に、大阪府北摂地区(茨木市、高槻市、摂津市)で
  化学素材メーカーで老舗、中堅の、GーM社(仮名 グリコ森永から)が
  ありました。
   技術員に同行し、毎年の年度検査に訪問しました。
  GーM社の検査室に、検定器具を持って、入らせていただきました。
  そこで初めて、お会いさせていただいたのが、GーM社の検査担当者の
  真田さん(勿論 仮名)でした。
  メガネをかけて居られ、温厚な印象で、受け答えも好印象でした。
  中肉中背、少しガッシリとした体型で30才代後半で、
  私と同世代かなと記憶しています。
  試験器の検定を手伝いながら、検査室の備品や、シッカリと
  鍵のかかった薬品棚が有り、試薬を大事に管理されているんだ
  なあと、感心して眺めていました。

   また勘が働きましたか?、もう少し待って下さい。

  今は書類を作成するときは、PCやワープロを使うのが
  当たり前ですが、30年以上前の、昭和60年当時は
  英文タイプライターや、和文タイプライターを使って
  時間をかけて作成するか、又は、出入りの、町の印刷屋さんに
  印刷を依頼するのが、一般的でした。
  転職した会社にも、和文タイプライターはありましたが、
  当時従来からある、レバーを持って打ちたい字を拾って
  打つタイプでした。新しい機種は日本パンライター製で、
  とても文章が作りやすいと聞いていました。
   その日本パンライター製の、和文タイプライターを、
  真田さん(繰り返します、仮名です。)は自分の机の横に置いて、
  アザヤカにタイピングされていました。
  GーM社発行の、検査成績書を制作されておられるようでした。
  日本パンライター製の、和文タイプライターは随分便利だと、
  真田さんの作業を、感心して見ていました。
   検定作業が終わり、真田さんに検定作業終了の挨拶をして、
  GM社を後にしました。

   その時の訪問させていただいた時点では、
  まだキツネ目の男の顔写真も、脅迫文が日本パンライター製の
  和文タイプライターだという情報は、それほど重要とは、
  思われていなかったと、認識していました。
  それより気になったのは、犯人が、製品に、猛毒の、
  青酸ソーダを混ぜると言って脅し、実際、スーパーなどに
  「どくいりきけん」と言う、日本パンライター製の
  和文タイプライターで印刷された、ラベルを表に張った毒入り飴を、
  置いて回っていたことに、驚きと恐怖を持っていました。




   お菓子に張られた、脅迫文


  ちなみに、此の事件以後、食料品をフィルムで密閉ラッピング
  するのが一般的になりました。
  青酸ソーダなんて、一般人が、簡単に手に入る物ではないし、
  先日見てきた、GーM社の試験室のように、化学薬品は
  鍵をかけて、厳重に管理されている物だと思っていましたから、
  もし、持ち出したんなら、直ぐに犯人とバレていまい、足が付いて、
  直ぐに捕まるんだろうと、思い込んでいました。


   キツネ目の男のモンタージュ写真や、その男が、毒入り飴を
  スーパーマーケットに置こうとしている写真(ピントがボケている)
  などが、テレビ、新聞、雑誌に大々的に紹介されていました。



   私は、営業の担当地区が決まり、私の担当地区外の、
  GーM社とは、それ以後疎遠になり、当社試験器の、年間検査も、
  毎年訪問している、当社の技術者と、他の営業者が同行訪問
  していました。

   2年ぐらい経過してから、毎年訪問している、担当技術者の
  上田さん(仮名)に軽い気持ちで、
  「今年も、検定でGーM社に行ったんやろ。」
  「ええ、毎年行っています。」
  「ところで、あそこの試験室に、日本パンライターの
  和文タイプライター在ったよね。」

  「あなたと行った、翌年までは在りましたよ。」
  「今はありません、今はワープロを使っておられますよ。」

  「担当者の、真田さんはお元気。」
  「お元気で、大変よく対応していただいています。」
  「真田さんて確か、メガネをかけておられて、少しメジリが
  上がり気味だったよね。」

  「・・・・・・。」
  「何が言いたいんですか?」
  「真田さんが、キツネ目の男やと言いたいんですか?」
  「そう言う冗談は、言わない方がいいですよ。」

  「まだ何も言うて無いがな。」
  「そう言うところをみると、かなり疑ってるんと違うか?」

  「メジリが上がっている人なんて、何処にでも居てはりますよ。」
  「日本パンライターの和文タイプライターを使っている人も。」

  「グリコの社長が監禁されていた倉庫は、北摂の摂津市だったよな。」
  「会社は北摂ですけれど、その倉庫は本当に付近に住んでいる人で
  倉庫利用者の関係者でないと、使えないはずでから、
  GーM社からは、遠すぎますよ。」
  「グリコの社長を、その倉庫に監禁したんだから、
  常時監視していなければならないし、食事も用意
  しなければならないんですから、よほど近くに
  住んでいるか、拠点が(会社など)無いと駄目でしょ。」

  「確かに、工場がもっと倉庫の近くに在れば心配やけどな。」
  「何が心配なんですか?」
  「やっぱり、こんな大事件なんやから、君から警察へ、連絡せんと。」
  「勘弁して下さいよ。日本の警察は世界一優秀ですから。
  直に犯人を捕まえてくれますよ。」

  「まあ俺たちが心配することないか。」
  「あの試験室に、試薬棚があって、シッカリ鍵がかかってたけど、
  あの中に、青酸ソーダ入りの試薬瓶があったりして?」

  「又心配さして、来年校正検査に行ったときに、見てきますよ。」

   数年後、上田君に、キツネ目の男の事を思い出し。
  「キツネ目の男まだ捕まれへんなあ。」
  「試薬棚の中見るの、忘れてましたわ。」
  「何やそうかいな、でもたとえ青酸ソーダが、試薬棚に有っても、
  我々が何かをすることは、できへんよな。」
  「だって、我々の会社のお得意様のことを、軽々と、警察に
  連絡なんか出来へんよな。」
  「警察への通報は、何千件もあるけれど、確かのものは、ほとんど
  無いと、前にテレビで言ってたよな。」

  「その内、優秀な警察が、私たちが心配しなくても、
  犯人を捕まえてくれますよ。」

   それから何年かたち、グリコ森永事件が時効になったと、
  テレビで、報道していました。
  「上田君、グリコ森永事件、時効になってもたなあ。」
  「警察はいかに頼りないかですよね。」
  「まあこれで、私たちの世迷い言も時効と言うことですね。」


   それから十年以上がたち、パソコンで、地図が見える様になり、
  会社の名前を入力すると、住所と、地図が表示できるようになりました。
  何気なく、本当に何気なく、GーM社を検索してみました。
  「あれ?知っている本社の住所と、分工場が在ってその、
  もう一つ住所、此の住所ナンヤ!!」

  そこに摂津市の、あの倉庫に近い、本当に近い場所の住所が表示され
  ていました。


   ブログでこの話を公開でき、これで私の、
  長年の心のトゲは、取れました。
  会社名も、住所も、担当者名も加齢健忘の性で
  詳細な記憶を、喪失してしまいましたが、
  心のモヤモヤが、無くなり、ホッとしています。

   「えっ? このブログを読んだ者のモヤモヤは
  どうなるの?。」
   それは、このブログに来られたのが、運が良かった、
  もしかして、運が悪かったと言うことで。(^_-)

            29-08-20 加筆校閲中



 談山神社 藤原鎌足の菩提寺 お参り
  午前中に、藤原鎌足の古墳、阿武山古墳散策を終え、
  藤原鎌足の菩提寺、談山神社(たんざんじんじゃ)に
  お参りしました。





   藤原鎌足繋がりで参拝さして貰いました。
  後から、調べて驚いたのですが、この談山神社の裏山で、
  中大兄皇子、中臣鎌足等が、当時の政権実力者の
  蘇我入鹿を、暗殺する計画を立てたと言われており、
  その相をしたと言うことで、談山神社の名があるそうなんです。
  この因縁の地に、唐へ、仏教の留学に行っていた、
  藤原鎌足の長男 定恵が、摂津の国 阿威山から、遺骨の一部を
  多武峰山に改葬した。とされています。
   と言うことは、午前中に見てきた、
  高槻市の阿武山遺跡から、古墳を掘り起こして、
  自分の父親、藤原鎌足の遺骨を持ってきたんだ。

   戦前に、京大が地震研究所建設時に、知らずに、
  藤原鎌足の古墳を、掘り起こしてしまった、その以前の、
  1300年前に、既に一度掘られ、遺骨の一部を
  持ち去られていたんだ。
  
            29-08-20 加筆校閲中

8月4日(金)晴れ、酷暑
 八幡宮 大和郡山市筒井
  よくある、村の鎮守様の様なお宮様
  前日の夜、毎回、飛鳥探索の時には、お世話になっている
  大和郡山の居酒屋「おねえ」で、隣席の歴史ハイカーさんに
  面白い、仏像があると教えられ、早速、拝観お参り。
  「何でこんな立派な仏様が、こんな小さな祠に、治められているの。」
  と思えるほど立派で、作りのしっかりされた仏様でした。

   場所は、近鉄 筒井駅から、東へ、300m程にありました。


   入り口の、鳥居を入った右側に、小さな祠があり、その中に
     おいでになりました。

   とても穏やかなお顔で、等身大ぐらいのお造りでした。
   仏像に詳しい方なら、お名前も直ぐお分かりになるのでしょう。
   でも素人にも分かるんですが、お背中の光輪が欠けてしまっており、
   お姿の彩色も、剥げて、お寂しそうでした。
   お納めされている、祠が雨風をシッカリ防いでいるとは
   思えませんでした。
   文化財として、お納めされて居ないようでした。
   祠の上の方に、この仏様の、由緒が書かれていたと思える、
   炭筆の後があったのですが、ほとんど消えてしまって、
   読めませんでした。
   どの様な、ご経過が、おありになられたのでしょうか。

   その隣の祠に、お坊様の座像が在りました。

   此方も、由緒など分かる物は、見当たりませんでした。
   お隣の、仏様以上に、風雨に耐えるとは思えない、祠に
   安置されていました。


   経緯を知らない余所者ですので、寂しくなってしまいました。
  地区地区で、文化財を管理することの難しさを、
  思ってしまいました。

 都塚古墳 蘇我稲目の古墳
  石舞台古墳 蘇我の馬子の古墳の南すぐ、探索。
  石碑が露わに見えていました。







 くつな石 恐ろしい石に誘われて、迷走探訪。
  都塚古墳のそばに、とても興味の湧く、恐ろしい石の案内板。
  ナビ使用不能。スマホ地図探索で、迷走。
  祟りに怯えています。










 岡寺 草壁皇子 岡の宮跡に創建 お参り









 亀石 再訪問
  中学の遠足で来たときと、周りの風景が大きく変わっていました。




8月5日(土)晴れ、酷暑
  高安城跡 探索
  私が、興味を持つ程、認知されてないようで、行くのに
  大苦労、蚊の大軍と、暑さに、へとへと。
  近鉄 西信貴ケーブル利用 40分に1本 がらがらでした。
  高安山駅 から、徒歩15分 暑かった。
  気象庁生駒レーダー監視所の直ぐ側でした。








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  ーーその1 へ戻るーー




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◎ 難波の宮 古代史 年表 2017年作成 (追記校閲中)


◎「白村江の戦い」 の なんで? <本編 -その1->


◎ 「白村江の戦い」 のなんで? (前振り)へ


 ◎ 百済 白村江を求めて 韓国へ ーその1ー


 ◎ 百済旅行プラン ー旅行予定ーその2ー 




 ◎ 古代史 のんびり散歩    


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 ◎ 「難波宮ッテ?」 古代史感のすれ違い    メイン ブログです。




  すみません。私は、理系出身で物を知らないド素人の定年組みです。記載内容に、非常識な内容、不快な表現等があるかと思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。ご指摘頂けましたなら、早急に訂正変更いたしますので、ご指摘、ご指導お願いします。 記載内容に多少の大袈裟や、特に会話記載に省略や脚色を加えております。老人の戯言と、ご容赦下さいね。


 

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