なにとはなしに

気の向くまま手の動くままに、書いていけたら良いです。
造語を使っていることがままあるかと思いますので、要注意

希望と絶望隣り合わせ

2006-04-23 13:46:25 | 
今日の始まりから歩いていると
三叉路に出会う
黙考 熟考
意識が吸い寄せられてやまない道を進む

昼が来た お天道様はやわらかい
また三叉路だ
快い勢いを信じて光って見える道を進む

夕暮れ時だ からすもかりも皆家路を急ぐ
道は二つに分かれていた
暖かくくるんでくれる夕日を浴びて
一日の終わりを
かすかな光と共に 物悲しくも受け入れる

赤く輝く太陽がまぶしすぎて
どちらの道でもよくなってしまった

大事な人々へ

2006-04-22 11:54:31 | 
忘れるということは 本当に恐ろしいことです
ですから
決して忘れたくないことは
決して忘れてはならないことは
小さな紙切れでも結構です なにかに書いておいてください
「忘れるはず無いからそんなことをする必要は無い」
なんておっしゃらないで

ライト イット ダウン  プリーズ

どんなに強烈な印象を伴って刻んだ言葉も、風化する運命にあるのです
だから時を見ては紙切れの束とにらめっこなさってください
これはなんのことやら、と思うようになる前に
未熟者ながら申し上げます




私が忘れっぽすぎるのかもしれませんが、本当によく忘れるので困ります。どうでもいいことは覚えていたりするのに、とても大事なところをころっと忘れるから「信じられん」と思います。強烈に頭に刻んでは忘れ、忘れたことを思い出しては自分に失望する、人生であと何回経験するのだろう。あまり経験したいものではないので、私は上のようにしようかと思います。「忘れちゃならんノート」でも用意しようかな。

今は白か黒しかない

2006-04-19 03:14:13 | 
焦りと怒りと軽蔑と空虚 くり返しくり返し
内は見えない 外も入れず
この壁は登れるか 登る気はあるか 登れる力はあるか
脳内のみで展開される現実の世界
心はあちら 生身はこちら

はてさて


考えるだけ無駄とは、まさしくこの事でありましたか
思考とも呼べぬ連続を この爪が断ち切って差し上げましょう





絵は違う場所で描いたので、小さくなりました。この詩の出だし一行は、似たようなのを別の場所で書いた事があります。いや、だからなんだと言われたらどうしようもないのですが(弱いね!)
爪の攻撃力にびびりました。凶器が両手の指に付いておりました…

何のせいだ

2006-04-11 13:34:57 | 
どうしてみてもかなしくなった
むなしくなっただけかもしれないけれど
どうしてみても気持ちは下がる一方だ

外は雨降り 空はどんより

突然の落とし穴ではないけれど。

朝の雨 青い空から降る様が
シャワーみたいで嫌いじゃなかった




これは詩ではない、日記だ…いいんですいいんです。最後は音数が短歌だ…(あくまで音数のみです)
繁雑な作業にぶち当たると大抵「めんどくせー」とすべてをほうり出す傾向にあります。そして最後に焦る。夕方からも学校行かんとなー…晴れろ晴れろー!

題無し

2006-04-09 13:14:26 | 
おっとっと
な 感じで
綱渡り 宙ぶらりん
笑って済む場面 では御座いませぬが
それでもおどけてみせましょう
今こそ この 私のみのステイジ、と呼べる場所で
魅せましょう
一生
お客様の心に絡まり続ける ショウの始まりで御座います




打ってた時に心に浮かんでいたのは某ハンバーガーショップのド●ル●でした。道化のイメージなんだな…

はあ

2006-04-08 20:13:55 | 
なにがどうとか、そういう決まったことで
悩んでいるわけでも傷ついているわけでもないんですが
空しいとも違うし
なんて言うんでしょう

分からなくて考えて今日も日が暮れる





心って一生かけても分かる気がしないなあと思います。

無題

2006-04-08 12:18:37 | 
人の外にある孤独
人の中にある孤独


人の中に在っては人は決して生まれたままの自分たり得ない
その場では生まれたままの自分と分かり合うことは不可能である
生まれたままの自分では納得出来ない行動に走る
己の核からはじき出される
だから人は人の中に在って孤独である

人の外に在ればそこに居るのは自分という存在のみである
他による自分という存在の認識 存在の許容
あるはずもないから
人は人の外に在って孤独である






昨日河原をブラブラしている時に書いたものです。少々手直ししたけれども、何だか中途半端な言葉遣いになった気が。
そしてこれは似たような元があるはず。…多分。

すき

2006-04-06 15:10:38 | 
不為也。非不能也。(しないのだ。できないのではないのだ。)
高校の時、漢文の授業で配布されたプリントに載っていました。「かっちょえー」と思った一番好きな文句です。が、今の自分が言うとただの負け惜しみになるので、何かしたいと思います。…思います。今年サンタクロースがいらっしゃるなら、「まことのかっこよさ」とでもリクエストしたいです。打ちながら大河ドラマ『利家とまつ』の「真実(まこと)の男とは」の回を思い出しました。利久兄…!
大脱線です。何かします。

このネタを前に書いた事があるような…気のせいですかね。気のせいにしてしまおう。

ちょっと語る

2006-04-01 22:47:19 | Weblog
文字を見ると涙が出たりするんですけれども、その反面どこか形骸化している気もします。それは専ら自分で考えることに関して言えます。

こうするためにはああしなければならない、とか考えるのですが、それは頭の表面に文字がばーっと張り付いている感じで、自分の真情なのかどうか、よくわからない。思ってはいるけれど実行する気が足りない、ゼロに近い、んです。多分。

あ、でも、ここにのっけている詩や文章は、ハリボテではありません。と信じております。形ばかりになっているのが外側から色々引っ張ってきて出てきた文字なら、ここに載せる詩やらは、自分の内側から引っ張ってきて出てきた文字です。

なんだかよく分からないことを言ってしまった気もしますが、言えてすっきりしたので、よしとしよう。