瑞穂の杜音楽プロダクション

幕張新都心から数キロの千本桜公園~東大グラウンドと植物研究所の丘に囲まれた瑞穂の杜は地域の音楽文化の発信地です

千葉シニアアンサンブル(CSE)「そよ風コンサート」

2011年04月25日 | Weblog
4月24日県立美術館1階左手の3っつの展示室をぶち抜いた演奏会場は200名弱の聴衆で溢れ、廊下と背面の壁は大勢の立ち見で一杯となった。器楽合奏だけでなく歌や踊り、さらには団員有志による絵画展までお楽しみ満載。昨年7月市民会館で1000名を集めたCSEは千葉市の音楽団体としてその地歩を固めつつある。
演奏の内容は云々できない(言い訳ではないが大震災後練習がほとんどできなかった(^_^;)…が、市民、特に多くのシニア層の求めるものは必ずしも高度な芸術だけではない。しかつめらしい音楽会を敬遠する人達も気軽に立ち寄れるシニアアンサンブル活動。元気なシニアは社会に夢と希望を与えている。
←挨拶の山崎代表。(ご指導の笹森先生、ありがとうございました)


音楽協会の仲間たち

2011年04月23日 | Weblog
4月22日今年度最後の月例理事会を終え、小中台公民館前の「幸楽」で任期満了の団体理事を囲んでの「ご苦労さん会」がつつましく、和やかに行われた。この1年、思わぬことで理事の末席に連なったが、現在音協の運営は組織立って公明なもので、会長以下理事のみなさんの「千葉市の音楽文化を盛り上げよう」という率先垂範のヴォランティア精神は見上げたものだった。
音協に期待されるものは大きいが、できないことをやれと言われてもムリがある。たとえ一歩でも陣容の強化に努めると共に、その陣容でできる範囲でひとりでも多くの市民と音楽の悦びを分かてるように微力を尽くしてゆきたい。

誇り高き縄文人

2011年04月20日 | Weblog
宇梶静江(うかじしずえ)さんは、詩人・古布絵作家・絵本作家・アイヌの解放運動家であり、著名なアイヌ文化の継承者。アイヌは日本列島先住民族縄文人の流れであると。長男は俳優の宇梶剛士。
4月19日、偶々立ち寄った稲毛のおねえさま宅に「エゾシカの刺身持ってきたわよ」と現れ、居合わせた石田皎大先輩や大中夫人と気炎を上げた。先月吉川英治文化賞を貰って副賞の100万円で「やっとデジタルTVが買えた」と喜んでいた。

La Cucina HANA

2011年04月19日 | Weblog
若葉区桜木の51号沿いに一際目立つイタリア風の館がある。わが家のお気に入り「かつ波奈」を経営する早野商事による本格的なリストランテ「ラ・クチーナ・ハナ」。1万平米の土地をふんだんに使っての庭園が素晴らしい。特にかっての森林の一部をそのまま残したという大木が伸び伸びと空に聳える様が感動的。
4月12日、早野商事田口専務から素敵なPranzo(ランチ)をご馳走になった。小倉台のスタジオ"5 Pennies"のオーナーで著名な写真家西村さんのご紹介のお蔭。写真は田口さん(左)と西村さん(右)に挟まれたレオナルド・ダ・ヴィンチの後裔という謎の紳士。(バックの壁面を飾るのは西村さんの作品)

「新しい季節の始まりに…」井口朝子&市毛景子デュオリサイタル

2011年04月17日 | Weblog
4月16日美浜文化ホールで。メインホールが8割方以上埋まる大成功で、ご招待いただいた陽子さんと宗隆氏が大喜び。だが、これはご両親の集客力ばかりでは決してない。
その演奏を聴いて魂消た。「スプリング」(ベートーヴェン)、フランクのヴァイオリンソナタ、ラヴェルの「ツィガーヌ」と続いてその表現力と技巧に圧倒された。アンコールの「チャルダッシュ」はこれまで聴いたどの演奏をも凌駕するものだった。
7歳で黒沼ユリ子さんに就いたのがいい。その後桐朋学園を卒業してアメリカに住み、カンザスシティ・シンフォニーに在籍する傍ら世界中飛び回ってソロ活動を続けている。アメリカ在住の日本人音楽家は一様にスケールが大きくて気持ちいい。

京成ホテル「ミラマーレ」トワイライト・コンサート

2011年04月16日 | Weblog
震災後の再開を待って中川昇子(Sop)・本間亮三(Ten)・本間邦子(Sax)・石井博子(Pf)さんの演奏を聴かせて貰った。森山直太郎の「さくら」から始まって久石譲の「君を乗せて」で終わるまで恍惚のひとときを過ごした。二期会千葉代表の小川裕子先生がお見えで、お弟子の中川さんからご紹介いただいた。「お名前は存じ上げています」と言われたので「まぁテレビや新聞に時々出ていますので」とお応えしてしまった。まるっきりウソではないが、かなりオーバー。(ちなみに、初めてお会いした方には「前にどこかでお目にかかりました」とよく言われる。この容姿は平均的日本人像とは程遠いと思うが…。)
終わって会場で一緒になった「銀蔵」で坂登先生・武田社長と寿司をつまんで一杯が美味かった。自宅まで送っていただいた武田さん、いつもありがとうございます。

どう?もっと!倶楽部

2011年04月13日 | Weblog
堂本さん(前知事)が東北視察から戻ったというので「お話を聴かせてくれませんか?」とお願いしたら「いいわよ」とご快諾。一人で聴いてはもったいないので4月12日西千葉「壁の穴」にあみっぴぃの仲間25名を集めて座談会を仕掛けた。お疲れのところをPPTを急拵え。「これからも使うから」と映像入りで被災地の惨状を生々しく報告いただいた。さすがに持参した慰問品もケタ違いだが、締めくくりは「日本人は太古から自然を畏敬し、共生する知恵を育んできた。(原発事故など)現代人の驕りも反省する点がある」とわが意を得たり。感動した参加者と活発な意見交換があった。
続いて村山・海保の二長老の「救済はこうやろう」との具体的提案に全員異議なし。川又師匠指揮の「ふるさと」の全員合唱はハマちゃんのマンドラと松尾龍馬のギターが伴奏。おまけに徹兄ぃ(伊藤最長老)の宮沢賢治「雨にも負けず」やお得意の「南京玉すだれ」の飛び入り。参加者全員が喜んでくれて、またまた義捐金が箱一杯集まった。

左から「どうもっちゃん」・「仕掛け人」・木村マスター。報告会の様子(2枚)。どうもっちゃん・ナイト村山先輩・Qちゃんの3人。

千葉市国際交流協会「異文化交流展」(佐々木プロダクション)

2011年04月10日 | Weblog
4月9日「きぼーる」のアトリウムで旧友Borrachoのフラメンコ「ブーちゃんアミーゴス」一座のステージを実現させた。Borrachoのカンテはもう押しも押されもしない一家を築いた。キレのいいバイレオーラ3人もギタリスタもハンパじゃない。
その中に敢然と飛び込んだわがパートナーhisayoもなかなかのもの。
会場で"Pardon! Etes vous francais?"(失礼ですがあなたはフランス人ですか?)と声をかけられた。同胞と知ってすぐ仲良しになったDaniel Franc氏(集合写真の前列右から3人目。ちなみに右端はあみっぴぃ仲間のmihorin)。トレードマークのバスク帽と真紅のマフラーに徳利セーターという巴里風の容姿が懐かしかったらしい。

花より女!

2011年04月09日 | Weblog
4月8日、IMCの亀山社長・毛利嬢と日本橋室町の三井不動産で仕事を済ませてから千鳥が淵へ。靖国神社のお茶屋でビールとお酒ですっかりデキ上がって千鳥足。サクラは満開でこの世のものと思えない風景。生きていてよかったなあ(@^^)/~~~

写真は左から毛利はるかさんと/亀山社長と/満開のサクラ/千鳥が淵の絶景/懐かしのIMC三番町ビル(地震の補修中)/東郷公園

Cafe & Galerie NAJA 

2011年04月04日 | Weblog
4月3日土気でライヴ演奏。あすみが丘という街は千葉市内とは信じられない遠方で、その外貌もヨーロッパに近い。外房有料道路を延々と太平洋に向かってひた走ると山野の中に忽然と夢のような都会が出現する。hisayoの住む「モルゲンブルク」(あすみが丘)。そのシャレた街に相応しいカフェ"NAJA"でMRGTが演奏。なまギターにちょうどよい響きの空間だったがロクに準備なしでいきなりの本番はやはりきつい。なんだか目的がよく判らないままに緊張感の欠けただらしない実演になって反省。

本八幡「沙羅」にて

2011年04月01日 | Weblog

何度もお誘いを受けていたシャンソン歌手金丸麻子さんから「あなたの好きな『詩人の魂』をフランス語で歌ってあげるから来てね」と言われた。女尊男卑の上州男児としては、美女にここまで言われると断り切れない。3月31日本八幡まで出向いた。宮薗洋子さん(クリニック経営)とのジョイントだった。ふたりとも極端に細身で腹筋や横隔膜は殆ど皆無に見えるが、その歌唱力はさすが!
リート(Lied)はドイツ語の「歌」。シャンソン(Chanson)はフランス語の「歌」。カンツォーネ(Canzone)はイタリア語の「歌」。カンシオン(Cancion)はスペイン語の「歌」。ソング(Song)は英語の「歌」。ところで日本語で歌うシャンソンは何?…日本語の「歌」の一種の「しゃんそん」(ヘタクソなフランス語で歌われるより遥にマシ)。それにしても日本人は何故こんなに「しゃんそん」が好きなのだろう?
集合写真は居合わせた旧知で(左から)関東ディーゼルオーナーの斎藤さん・麻子ちゃん・千葉銀OB佐々木さん・「成田ゆめ牧場」↓オーナー秋葉さん。右端は怪しげな自称フランス人。
http://www.yumebokujo.com/