美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

鳥羽相差編その5・菅崎園地~駆逐艦春雨受難の碑

2017-01-02 19:15:44 | 三重のこと


鳥羽相差編その4・相差漁港から展望台への続きです。

相差漁港から約1.4km、
林と畑の中を抜けて、無事到着したのが
こちら「菅崎園地」です。
狭いところを運転してきたせいか、
急に視界が広がって、嬉しい気持ちになりました。



駐車場も含めると5,000㎡くらいありそうな広い場所に、
上の画像の石碑と石灯篭、海に向かって展望台、
駐車場に屋外トイレが整備されています。

この石碑は、明治44年に、この菅崎の沖で遭難した
帝国海軍の駆逐艦・春雨の犠牲者44人を慰霊するものです。

春雨は、明治36年に竣工した、帝国海軍の国産駆逐艦第一号で、
日露戦争にも参加しました。
この時は、まだ竣工から8年後であるので
バリバリの主力艦でした。



明治44年11月23日、横須賀から佐世保に向かう途中の
春雨ほか3隻は、嵐のために散り散りになり、
春雨は的矢湾に退避すべく、菅崎と安乗崎の間を航行中に座礁、
乗員たち64人は、沈みゆく艦にしがみついたものの、
荒れ狂う波にのまれて、闇夜の海に投げ出されていったという。



翌朝、相差、安乗からそれぞれ
漁師の若者による救助隊が出され、海に漂う乗員たちを救助したが、
最終的に64人中44人が殉職したのであった。

以来、相差の村人は
毎年11月24日にこの菅崎で、春雨乗員の慰霊を行っており、
海上自衛隊の護衛艦「はるさめ」が、
この慰霊祭に合わせて的矢湾に来航することもあるそうです。

三重県は海に面しているのですが、
ほとんどの港が浅いため、海軍(軍艦)とは縁のない県です。
その三重県で、海軍に関する史跡があるのは珍しいため
ここは、以前から訪ねてみたいと思っていた場所でした。

鳥羽相差編その6・菅崎園地~春雨展望台へ続く

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2017新春企画4「NAGIな... | トップ | 南伊勢町編その4・ハート型... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

三重のこと」カテゴリの最新記事