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鳥羽相差編その4・相差漁港から展望台への続きです。
相差漁港から約1.4km、
林と畑の中を抜けて、無事到着したのが
こちら「菅崎園地」です。
狭いところを運転してきたせいか、
急に視界が広がって、嬉しい気持ちになりました。
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駐車場も含めると5,000㎡くらいありそうな広い場所に、
上の画像の石碑と石灯篭、海に向かって展望台、
駐車場に屋外トイレが整備されています。
この石碑は、明治44年に、この菅崎の沖で遭難した
帝国海軍の駆逐艦・春雨の犠牲者44人を慰霊するものです。
春雨は、明治36年に竣工した、帝国海軍の国産駆逐艦第一号で、
日露戦争にも参加しました。
この時は、まだ竣工から8年後であるので
バリバリの主力艦でした。
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明治44年11月23日、横須賀から佐世保に向かう途中の
春雨ほか3隻は、嵐のために散り散りになり、
春雨は的矢湾に退避すべく、菅崎と安乗崎の間を航行中に座礁、
乗員たち64人は、沈みゆく艦にしがみついたものの、
荒れ狂う波にのまれて、闇夜の海に投げ出されていったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/4a/7dfe3edb900ded250c05966acb8c9e5c.jpg)
翌朝、相差、安乗からそれぞれ
漁師の若者による救助隊が出され、海に漂う乗員たちを救助したが、
最終的に64人中44人が殉職したのであった。
以来、相差の村人は
毎年11月24日にこの菅崎で、春雨乗員の慰霊を行っており、
海上自衛隊の護衛艦「はるさめ」が、
この慰霊祭に合わせて的矢湾に来航することもあるそうです。
三重県は海に面しているのですが、
ほとんどの港が浅いため、海軍(軍艦)とは縁のない県です。
その三重県で、海軍に関する史跡があるのは珍しいため
ここは、以前から訪ねてみたいと思っていた場所でした。
鳥羽相差編その6・菅崎園地~春雨展望台へ続く
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