ミノティカ宝箱

ヴィジュアル・コミュニケーター、「ミノティカ」の制作日記やニュース等。

AUG.31,2008

2008-08-31 | Weblog
●オールディーズ好きの僕は、今日雨の日はThe Whoなんか聴いていて、なんとカッコいいんだと思っていたけど日本では当時ほとんど話題にならなかったとか。え~。
 で、ピート・タウンゼントをYOU TUBEで観ていたら体型つながりで加藤和彦に飛び、サディスティック、そしてフォー・クル(アンガールズみてえ)、そして何故か70年代日本歌謡へ飛んで陳美齢(アグネス・チャン)へ。彼女が歌うジョニ・ミッチェル作の「サークル・ゲーム』、幼少の頃僕はカセットで何度も何度も聴いて、「ああ、外国にはなんて美しく切ない感じの歌があるんだ~。」とか思っていました。で、「妖精の詩」(なんと加藤和彦:曲)「美しい朝がきます」(井上大輔:曲)この辺、「なんてグっとくる歌があるんだ~。」と思っていました。ヒットとしてはちょっと低いと言う感じのが好きみたい。透き通る高い声なんだけど、エコーが曇り空の草原、みたいな、ちょっと淋しく切ない感じで、恋することは結構心が痛むんだろうな多分、なんて、気持ちだけはマセていた小学生の僕はアルトリコーダーを振り回しながら登校していたものでした(そして先が飛んでガラスが割れ、教頭先生に怒られた)。

AUG.30,2008

2008-08-30 | Weblog
●昨夜は1830頃雨量図を見て、この様子だと2時間程で集中豪雨に見舞われるのではと書き込んで仕事先を後にしたが、はたしてその通りに2030、杉並に着いた頃ポツポツと降り出し、夜中まで窓が揺れる大音響の雷と土砂降り。
 今朝も図を見ながら「おお、くるぞくるぞ。」あんなに晴れて暑かった空があっという間に暗くなり、パピパピパピ、プパラプパラプパラ、ババラッババラッババラッ、ザーーーーーーーーー。
 雨が止んだ。グラフの雨量分布が北へ移動した。

AUG.29,2008

2008-08-29 | Weblog
●「人を助ける」ということをいろいろと考えていた。アフガンのやりきれないニュースとか。あれ、周辺の一般住民で「俺たちの所には水を引いてくれないのか」とかって、逆に恨まれたりして、武装団体に協力したりするんだってね。真偽はわからないけど、ラジオで言ってた。お前らそれでも人間かって、人間だからそういう奴もいるんだよね。
 で、今日は香川県の海でペットボトルのイカダを引っ張って泳いで行って溺れている2人を助けた中学生の話があって、市から表彰されてみんなから感謝されているんだよね。
 どちらも命がけですよ。なんなんですかね、人の運命って。
 でも「助けてあげてる。」って意識を持ってるとダメですね、心に距離がありますよね。「無我夢中」これです、これです。夢中でやってると自分が消えるんだね。しかし。なにかに突き動かされてやらずにはおれない状態っていうのは、何がそうさせるんだろう?

●1830頃、東京の空は晴れて明るいのだが、北の空は絶え間なく稲光がまたたき、相当量の雷雨がもたらされているものだと思われる。こんな時、東京電力の雨量情報は非常に興味深い。雨量の分布図の変遷を見て行くと、あと2時間程でここも集中豪雨に見舞われるかもしれないなどと予想がつくのだ。天気は西から移ってくるというのがよくわかるのだ。
 落雷情報も解りやすく、先ほどの稲光は東松山から坂戸の辺りに集中して落ちているので、僕がいる水道橋からは約44~5km離れていることになる。この感覚を掴んでおけば役に立つこともいろいろあろう。おそらく昔の人々は体験的にもっと自然の変化に敏感で、大被害に遭う前に「自己責任で」対処していたことだろう。       
 おっ、奥多摩周辺の雨量が64~128mmの赤色(8段階の上から2番目)になってる。すでに都心の空も黒雲が厚く覆っているなあ。
 てなわけで、ダイヤが乱れぬうちに杉並に帰ろうと思います。2005年の9月4日、杉並区下井草で1時間雨量が112mmを記録しました。あの日のことはよく覚えています。興味本位で川を見に行ったりしちゃ絶対にだめだよ!

AUG.28,2008

2008-08-28 | Weblog
●代理店の営業さんと昼食を食べていると、いろいろと落ち込んでいるので「さあ、そろそろ明るい今後を考えて、すでに自分はそういう状態にあるんだという気持ちになりましょう。希望のある人間にはそういう未来が少しずつやってくるのです。僕がそうでしたから。」みたいな話をすると、「何か売りつけようとしてないですよね?」と笑われる。少し元気になったようだった。いやしかし、先のことを悪い方に想像を膨らませると、本当にそうなるよ。だってそう望んでるとしか思えないもの。「最悪の事態を考えると。」じゃなくて、「最高の展開のためにどうするか。」ですよ。そうすればどんな事態になっても、「で、最高の展開のためにどうするか。」ってしぶとく生きるんだよ。最悪から少し逃れることばっかりやってちゃ、人生の課題がそれしかなくなっちゃうから増々元気なくなるんだよ。
 自分の中では、もうすでに最高の場所に立つ自分がいるんだ。最高で~す。(何に入信している訳でもありません。くれぐれもよろしく。あえて言うなら「自分めでたい教」かな。)

AUG.27,2008

2008-08-27 | Weblog
●ホテル関係の仕事をしてたりもするからか、「銀河鉄道の夜」のラジオドラマを聴いたからか、今朝見た夢は金沢駅前という設定。実際とは全然違うのだが。駅の建物からフランク・ロイド・ライトのように滝が流れ落ち、それは大きな川に注ぎ込んでいる。駅の周りは結構な都会なのだか、街が形容しがたいほど美しく、街路樹の紅葉が上品な対比を構成していてとても心地よい。僕は坂道を歩いて宿へ向かっているのだろうが、かなり寒く、布団を蓑のようにかぶっている。行き交う人々が、何かウケでも狙っているのかこいつは?ってな感じで少しニヤっとする。ああ、ここはいいなあなんて思っていると目が覚め、窓が少し開いていて朝の空気は実際かなり冷たかった。

AUG.26,2008

2008-08-26 | Weblog
●やっぱり雨ですね~。仕事先のモワ~ッとした空気、暑い。コンピュータがギッシリ並んでいるのも温度上昇の原因であろう。
 
 今日もコンビニでおにぎりとか買ってきてすませたのだが、お昼がね~、何か食べたい物がないんですよ。どこも揚げ物&ご飯みたいなランチばっかりで。タルタルソースのエビフライ&ライスおかわり付って、オエッ。何でも飯でかっ込むなよ!おっさんたちはそんな昼食をめちゃめちゃ早く食い終わる。なんか寂しい。まだおいしいサンドイッチとかの方がいいや。
 まあ、大戸屋みたいな和食チェーンはまだましかな。でも僕は昔ながらのシンプルなおかず&ご飯の店を探したい。ガラスケースにいろんなおかずがあって、ごはん&みそ汁と合わせて選ぶ所。ああ、周りにはないけど、銀座とか空港とかに和食バイキングの店があったなあ。1,800円はちょっとなあ。毎日は行けないか。美味しかったけど。

AUG.25,2008

2008-08-25 | Weblog
●長い雨だ。気温も低い。なのにガンガン冷房効かせてる乗り物や建物がある。
 やっぱり忙しくなってきたので昼食をコンビニものですませて集中する。考えなくてもいいような仕事はどんどん片ずくのだが。そりゃそうでしょ。でもね、レイアウトしながらこっちを動かしあっちを動かしするのも結構これで体力使うで~。

AUG.24,2008

2008-08-24 | Weblog
●終日雨が強く降る。部屋でノートにいろいろと描き綴っているとあっという間に時間が経つ。だけども僕は子供の頃からノートに何かを書き付けている時が一番和むのだ。ノート一冊持っていれば、どこに行っても自分の部屋があるようなものだ。ノートを開くと僕の内側への扉が開く、そんな感覚なのだ。だからノートのサイズや質感などにはこだわる。どこへでも持って行くからだ。電車の中で立ってる時でも書き付けられるもの。といって手帳サイズでは考えを展開しにくかったり、ものを貼ったりできないのである程度の大きさは必要なのだ。いくらでも追加したり更新したりできればいいけどなあ、ってそれはノートパソコンでしょ?ちゃうねん、アナログぢゃなきゃだめなんだ。ではバインダーでしょ?う~ん、見開きで使いたいんだ。全てを満たすことは無理ですよ。うんそうだね。20年いろいろ試して来たけど、結局普通の無地ノート使ってるんだよ。

●今日はスター・ウォーズ/エピソード1を観た。スター・ウォーズ全作はつまり「アナキン・ストーリー」なんだよね。改めて1作目のアナキンを観ると切ないね~。クワイとオビワンとアナキンの3人の関係がやっぱりアメリカっぽいな~と思いました。

 アメリカ人の、子供が何人もいても養子を受け入れる感覚っていうのはどういうことなんだろうって思っていましたけど、大人になって年を重ねると、わかってきたような気がします。

●子供の頃流行った、海外放送を中心にラジオを聴く趣味「BCL」の神様と言われた先生、山田耕嗣氏が19日亡くなったとのこと。今日、なんか名前が浮かんで検索したらなんと。葬儀は昨日だった。19日はちょうど中野のまんだらけで高値が付いている彼の著作が店頭から無くなっていて、売れたんだな~と思ったところだった。子供の私にその後も強い影響を与え続けているワクワクを教えて下さってありがとうございます。万博に始まった私の外国への憧れをラジオという宝箱で手許に引き寄せ、そのイメージをグラフィックデザインという手段で定着させることを憶えた私が今このように生きています。

AUG.23,2008

2008-08-23 | Weblog
●午前中はアート教室。

●雨が降り出した午後、「E.T.」をDVDで観る。今観ると宇宙人がどうとかどうでもいい。一つの家族ドラマとして考えさせられる話。もう25年以上経っている。今の子供達は映画館で観てないわけだ。実は僕はE.T.に出て来るいろんなことに影響をうけている。細かいこといっぱい。生活スタイル、人間関係.....。多感な時期にあの映画をスクリーンで一人で観たことは大きかった。ルーカス、スピルバーグ作品で一人で観たのはあれだけかな。

●今日は仕事が全然はかどらなかったというか、やる気が起きなかった一日。なんかものすごく疲れた。ただ、準備と言うか、いろいろと考えたり書いたりはしていたので、ボ~ッとしていたわけではない。実は状況はまためっちゃ忙しいのだ。だけど自分が取り戻せていない状態が少々憂鬱。

AUG.22,2008

2008-08-22 | Weblog
●午前中、代理店担当者と車で埼玉の奥へ行き、クライアントと打ち合わせてすぐに僕だけ電車で帰京。「駅弁でも食いながら帰ってくれ。」と言われたが、通勤シートでぜ~んぜんそんな雰囲気ではなく、ひまなのでずっと寝る。その後水道橋で仕事。スタッフから電話があり、しばらくアホ話を発展させて笑っていると、彼も気が重いクレーム対応に元気が出てきたという。そうね、笑うというのが一番良いよ、ストレス発散には。あははいひひうふふえへへおほほ。
 
 昨夜は一時ものすごい雨で、列車内で幌から漏れた水がバラバラ降ってきたよ。夜中は寒くて、久しぶりにタオルケットを出して寝たよ。今日も一日涼しかったよ。(先生あのね か。)
 ああ、そういえば北海道で1.5℃とか。100年ぶりの低温記録とか。

●映像関係のスタッフを大至急紹介して欲しいと連絡あり。直接はあまりいないが、「この人はそういう人脈がいっぱいある」という人は数人知っているので、全てに連絡してもらうように頼む。僕のメリットがある訳でもないのだが、適材適所と言うか、「ああ。そんなことだったら連絡してくれれば良かったのに。」ということになるのは嫌なので、少しでも関係ありそうな人にはすかさず打診をするのが僕のやりかた。こういうことにもっと特化するのも実は俺に合ってるかも、とか思う今日この頃です。

AUG.21,2008

2008-08-21 | Weblog
●仕事先の営業チーフと色々話していたときに、僕の「果てしなくつながる、広がる縁」の話をすると強い興味を抱いてくれたようだった。「いや~、僕には全然そんな話はないな~。」「意識してないだけで、多分みんなあるんだと思いますよ。」「う~ん。あ、そういえばそんな話とは違うかもしれないけど、何故かお地蔵さんの前を通ることが多くて、心の中でお辞儀をしたりお礼を言ったりしてしまうなあ。歩いていると結構いくつもお地蔵さんに出会うんですよ。」「おっ、なんか縁があるんですよきっとそれは。」「かもしれませんねえ。ちょっとこれからいろいろ意識してみようかな~。」「今日から何かが変わるかもしれませんね。」「ははは、そうかも知れません。」って、何を煽っているんだ俺は。
 その直後、ふと頭に浮かんだ人に電話してみる。電話して良かったと思える、短くても楽しいひとときだった。

AUG.20,2008

2008-08-20 | Weblog
●昼、出張友達と食事。コーヒーを飲んでいると打ち合わせ要望の電話等バンバンかかってくる。会話がとぎれとぎれで何回同じ話をしてるんだって感じ。
 あら~、またまた7月的な忙しさか~?ただ今回は二の舞はしない。体調が戻るのにかなり時間を要したからなあ。

AUG.19,2008

2008-08-19 | Weblog
●帰りにブロードウェイに寄って4Fを中心に見る。今日は70年代ものを丹念に見て行くが、「パンチOh」というペーパーバックサイズの雑誌が面白い。旅する列車の中等で(当時は若者は夜行列車に乗っていたから)読んだりするのにピッタリだったことだろう。外人のヌードグラビアもあったりして大人の男性向けの内容です。が、そんなに下品な記事はない。
 
 芸能系の書籍なんかも見てみる。当時のタレントで僕がやっぱりこの人でしょうと思うのは岡崎友紀!もちろん他にも歌手の人とかいっぱいいますよ。だけどあの明るさでどことなく「本当はこの人逆なんだろうな」と思わせるところが70年代っぽい。実は全然おしゃべりじゃなさそうな感じが。今、ああいうタイプの人って誰だろう?またまたYOU TUBEで「カリキュラマシーン」を観ていると、彼女のなんというか戸惑いも出ていますね。当時はまだまだアイドルがそんなにお笑い系なことしませんでしたしね。「今はこういう番組に出ているから」という、8時だよ全員集合の合唱隊で何かやらされてるような、ああいう感じね。
 しっかし、その関連でゲバゲバ90分とか観ていると、なんとま~昔のTVってのは大人の男向けだったんだね~。飲み屋だよ、飲み屋。ノリが全部。タモリ的だね。

AUG.18,2008

2008-08-18 | Weblog
●紙芝居講座の打ち合わせで吉祥寺へ。終わって食事をしながら60代のおじさんたちに万博当時の話を聞く。「ゴルフ」がいかに重要な社交だったか、出世のための取り入りなど。40代が最も良い、50代を過ぎると気力も衰え始め、60代になるとだんだんと「あと何年」という気になってくると言う。おじさん達に「わけ~な~、わけ~な~。」とうらやましがられて変な感じ。

●打ち合わせに向かう30分前、通りかかった武蔵野吉祥寺美術館で、小磯良平、萩原英雄の展覧会を観る。入場料100円です。アニメ映画も良いですが、こういう機会を利用してお子様にお手本となる作品をいっぱい見せたほうがよろしいかと存じますよ、奥様。

AUG.17,2008

2008-08-17 | Weblog
●ふとしたきっかけから、南青山の岡本太郎記念館へ。僕の中でまた万博の想い出が鮮明によみがえって来た。太陽の塔の内部をエスカレーターで上がって行った時の、あの夢で観たような不思議な感覚。夜間にサーチライトのように光る塔の目。
 両手を大きく広げたあの塔は「反博」の表現だと知った。「対決」により調和が生まれる、己を押さえて調和したつもりになってもそれは違う、というメッセージを込めてあのアトリエで制作していたのだなあ、と、今改めて胸を打つものがある。 
 やっぱりねえ、多分僕(当時3~4歳の人)が万博体験を憶えている最年少だと思うけど、ここまで強烈に心をとらえるお祭りには二度と出会えないんじゃないかなあ。
 オリジナル曲まで作った嘉門達夫(当時6年生)や、河内家菊水丸(当時幼稚園)の膨大なコレクションをTVで観たけどその気持ちはよくわかる。「あの記憶を残しておきたい」と思うもの。
 僕は太陽の塔の背中側にある黒い「過去の太陽」が今でも大好きです。実際に塔の下に立って見上げると、何ともいえない気持ちがこみ上げてきたのです(当時)。「恐れ多い」というか、ご神体に抱く気持ちのようなものかも知れません。

 塔のミニチュアが売っていましたが、出来が悪いので、改めて再現度の高いレプリカでも見かける機会があったら買うかもしれません。が、多分太郎氏は、いつまでもそこにこだわるよりも今、生きている我々がこの世界に何を挑むのか、その表現を作れと言うことでしょう。