68回目の見たり聞いたり

2014-10-27 11:55:18 | 日記
68回目の見たり聞いたりです。

書店のビジネス本のコーナーに行くと、「ビジネスで成功」の類の本が非常に多く見えます。成功は大事ですね。しかし成功した人とそうでない人との格差はますます拡大する傾向にあります。でそれがどのような意味を持つかは、豊な生活を送る、人生の成功以外に示唆される部分はほとんどありません。グローバルの中で個人と個人、国と国との間にも同じような格差が生まれています。世界を俯瞰したときに15%が豊か、85%が貧困となったらどうでしょう。15%が85%全体といわないまでも、40%の貧困をカバーできるスキームを作りだすことができるでしょうか。ITや数学、物理を知らなければこれからは成功しないと言われても、確かにそうかもしれません。その本質は知識を使い、額に汗するのではなく、楽をしてお金を儲けることの重要性が中心にきます。しかし豊かさ持つ意味が個から全体を見据えたものでなければ、貧困の中には望ましくない考えや思想、宗教が生まれ、それがやがてテロにつながるような気がします。当然、貧困にあえいでいる人たちは、自分の努力が足りないとはほとんど思いません。なぜ私はこんなところに生まれたのか、なぜこんなに貧乏なのか、世の中の仕組みが悪いという恨みしかうまれません。そこですがるのが過激な宗教であったり、革命やテロでしか世の中を変えることができないという思想です。そしてそれが実際に現実になってきているように思われます。すこし成功している人たちが、自分の成功が世の中の平和にどのように資するのか、少し考える時代がきても良いと思います。したがってビジネスで成功する本では、少し紙幅を割いて、成功したのちに自分が行うべきことについて示唆する部分があってもよいような気がします。

67回目の見たり聞いたり

2014-10-24 16:00:01 | 日記
67回目の見たり聞いたりです。

来年の就職もほぼ決まったことと思います。社会人になるにあたり、その心構えとして以下のようなことをお伝えすることがあります。
会社に就職したら
1) 行動
仕事をする、また何か行動すると何らか結果が生じる。したがってその結果に対し常に責任を取るようにする。それだけでなく、その結果が他に及ぼす影響についても責任が取れるかどうかを常に考えるように心がける。これは精神的なもので心構えみたいなもの。しかし必ず新たな仕事や研究機会が生じることがあります。そのときにこのことを忘れないでいることが重要だと思います。
2) 業務日誌
自分だけの業務日誌を作る。日記ではない。形式は、たとえば入社1年目の4月1日と、2年目の4月1日、3年目の4月1日が一度に見られるように工夫する。日誌は3つのセクションに区分して記載する。
① その日にしなければならないことをまとめる(第1セクション―業務内容)
② その遂行状況及び結果をまとめる(第2セクション―達成度)
③ その日に出現した新たな問題点や課題(その解決の道筋、予定を検討し今後の仕事にどのように反映させるかを記入)(第3セクション―課題)
ポイントは自分で考えてまとめること
3) 形而的発想
常に問題を探す。たとえばなぜここに信号があるのか(なければどうなのか)、ここの入り口はなぜここにあるのか(他の場所に移したらどうなるのか)。論点はなんでも構わない。それを効果、費用、規制(法令)の側面から検討する癖をつける。一定期間が経過した時点でそれが仕事における発想及び問題識別・解決に寄与することになります。
4) 会社における責任
3年目まで-社内の業務に関する専門技術知識を身につける(自己の責任)
その後-チームとして成果を出す(自己の責任+他との責任の共有)
さらに-チームの成果に対し責任を負う(自己の責任+チームに対する責任)
部長クラス-会社の責任を共有(自己の責任+部の成果に対する責任)
経営者-会社の責任と日本経済に対する責任(自己の責任+会社の責任+日本経
済の責任)
このように一定周期で責任が重くなるにつれて周りの景色が変わっていきます。

66回目の見たり聞いたり

2014-10-23 11:52:37 | 日記
66回目の見たり聞いたりです。

アメリカの小説に、「お金のない夫婦が、夫が大事にしている時計のくさりを買うために妻が自慢に思う髪を売ってくさりを買う、夫は自分の大切にしている時計を売って妻のために櫛を買う」というのがあります。同時に親が、息子が彼女との時間を少しでも多く取ることができるようにと、お金を使って交通渋滞を引き起こす話しもあります。前者は相手を思いやる気持ち、後者はお金でなんでもできるというように捉えることもできますが、息子のことを思いやっていなければ生じないことだと思います。日本にも「親が経済的に苦しくて手放した子がぐれ、火消しになる。その一方で親は商売で成功し、息子に会いたい一心で自宅に付け火をし、その家事を火消しの息子が消しにきて、そこで再開するという」話しがあります。こちらはお金の力には一切言及せず、息子への気持ちだけが前面に表現されています。
同じような行動でも見る角度によってその人に訴える意味が変わることがあります。人の気持ちに関係する言葉の意味を多くの機会を捉え発信していくことも、日本の場合には特に重要かと思います。世界で十分理解されていない、日本の文化の基礎になるものを的確に表す表現がまだまだたくさんあると思います。たとえば「かわいい」「うまい」「いただきます」「恥じ入る」「人情」「もったいない」「お天道様がみている」「思いやる」など、たくさんあります。それぞれに考える意味を外に向けて発信していけば日本に対する理解がさらに増すかもしれません。

65回目の見たり聞いたり

2014-10-22 14:30:16 | 日記
65回目の見たり聞いたりです。

学校での英語教育とかが盛んに議論されます。それほど大きな問題ではないかもしれません。1980年代はじめにワープロが登場して、必要な人はキーボードの位置を覚えるためにタイプライターと教本を購入して勉強したりしました。企業は、その従業員のほとんどがワープロを扱えなく(数年たてば使えるようになっていきました)、派遣サービスの花形としてワープロオペレータの派遣を求めました。それがパソコン、スマホがあたりまえの時代の今では誰しもが問題なく入力をこなします。英語も昔と環境が異なり、英語の音や会話があふれています。英語で深く理解するということは別として、いわゆる英語でコミュニケーション程度であればそれほど難しくないような気がします。方法としては小学生等であれば楽しい音楽やビデオ等を何度も聞く(10回程度)。それを聞いたままにカタカナでいいから書き写す。歌詞カードを見て、オリジナルのカタカナと照らし合わせ、確認する。そしたらそれを見てさらに聞く。そして空で歌えるようになったらそれで終わり。次の歌に移る。ビデオでもいいし。こうした勉強は大半がスマホで可能です。昔であればそうした題材を探すのは一苦労(今の政治家や上の先生たちにとって)。今は題材に恵まれているから、好きなものを探すのも簡単。CDが付いている本でも大丈夫。高校生くらいであれば音だけを何度も聞く。書き写す。照らし合わせる。映像と一緒に英語を繰り返す。暗記する。110ワードくらい(1分間程度)を1単位とするだけで十分。この方法でトイックが500点台前半から2ヵ月程度で600点台後半になった人もいます。はじめて受けたトイックで800点以上を記録した人もいます。ただし英語で深い内容を理解する、深い議論をするには読み理解する、という勉強が不可欠。これがすごく大変。これはこの方法とは異なり従来通り読解力を身につける勉強をしなければなりません。それを効果的にするのが日本語の読書。本当に内容の濃い歴史書や文学評論を最低4回程度読む、そして辞書を引き、インターネットを調べその内容を細かく理解するという習慣をつければ、英語の勉強も問題なく進むと思います。そうした本の推薦とは社会がすべきことかもしれません。基本は国語力、そして内容を理解する力だと思います。小学生でも読書を十分にすることでその先の勉強も効果的に進むはずです。すべてが国語力からはじまります。

64回目の見たり聞いたり

2014-10-20 15:53:51 | 日記
64回目の見たり聞いたりです。

既成事実に屈服すると言われることがあります。単純に言えば「まわりがしているから、自分もする」ということです。まわりに引きずられて何かを行う。この場合には権利の主張のみが先にくるような気がします。権利は義務との一体ではじめて成立します。たとえば子供にも当然権利があります。しかし義務に関しては子供自身では果たせないことが多々あります。そのときの義務は誰が履行するのか。当然それは親と社会です。したがって親は子供の義務を履行できる権利を有し、それと同時にその権利を行使する義務が生じます。親の判断で誤っていると感じることを厳しく注意するが、それに当たると思いますが、少しなぜ叱るのかを考え、それを説明し、子供は分かってくれたと考えるのではなく、なぜ叱るかを説明した上で実際に叱った方が、その義務をより良く履行できると思います。それは親だけでなく、子供の権利に対する義務を負う地域社会も同じだと思います。人権が権利と義務の一体化で成り立つことを理解することが大切であり、「まわりがしている」は権利の主張以外なにものでもなく、そこには義務が考えられていないことが多くあります。義務を考えずに権利を主張することは、一定の人々には非常に都合の良いことで、権利の制限に向けて大きな力が働くきっかけを与えることになります。日本は明治になったときに欧米から様々な制度を輸入しました。海軍や陸軍、空軍の仕組み、制度はすべて異なる国からのものです。官僚制度もそうですし、教育もそうです。この側面は今なお続いており、そこに権利と義務のひずみが生じているように思われます。教育に関して言えばすべての人が勉強すべき科目が縦割りの非常に狭い分野に押し込められています。たとえば哲学は文学部哲学学科など、一般教養に入ってこない。技術者や経営者、その他専門家が哲学や歴史その他の教養部門を深く学ぶことなしに専門分野にのみ係ることは、狭いが深い分野で活躍することになり、まさに「うちの組織では」が説得力を持つ世界を作り出し、普通に考えればおかしな権利と義務の関係が生じ、社会自体が誤った方向に進むのではないか、と考えます。