はい、では後編。
前編でも述べたとおり、ちょっと説教臭い上に鬱っぽい内容です。
まず、上の画像をクリックして見ていただきたい。
これは『やえかのカルテ』の第3巻の内容で、
やえかの親友の芹奈が留学の意志を固めるために
国内研修を志願する。
その研修先は『畜産研究所』。
つまり、衛生的な食肉を作るため研究をする場所。
彼女は一流の獣医を目指していることを先に言っておく。
ここに来た理由は、
『一般的な獣医と食肉を作る研究をする獣医との違い』
を知る為・・・
だが、芹奈はここで厳しい現実を知る。
画像の台詞にも書いてある通りだ。
動物のために環境を整え、診察し大切に育てていく。
そこまでは一緒だが、ここから大きな分かれ道となる。
それは目的。
診察しながら大切に育てる努力は『生かす』為ではなく
『肉を作る』為・・・つまり『殺す』為にあるのだ。
全ての獣医が動物の命を救うために診療しているわけではないと知った芹奈は、獣医になる自信を無くしてしまう。
最終的にはやえかとの会話でその現実を受け入れる決意をする。
「辛い半分があるからこそ幸せな半分がある。」
「何かを得ようとすれば何かを失う。それを切り離すことは出来ない。」
「前進するのに痛みはつきもの。」
という言葉を、その意味を胸に抱き、芹奈はイギリスに留学して物語は終わる。
ストーリーはここまで。
んで、こっからが本題。
この漫画を通して知ったことは『生きるということ』の答え。
といっても、それが全てじゃないよ。
生きるということの答えは一つじゃないと俺は思うからね。
今まで俺は
『生きることは食べるということ。だから食べ物に感謝しなければならない。』
と思っていた。
なぜなら、人間は飯を食って生きているからだ。
しかし、『やえかのカルテ』はもう一つの答えを教えてくれた。
それは『生きるということは生かされるということ。』
飯を食う為に多くの命が犠牲になる。
つまり、犠牲になった命に生かされているのだ。
だからこそますます食べ物に感謝しなきゃいけないんだよ。
「いただきます」って言葉は命をいただくからそう言うんだと聞いたことがある。
昔の人はみんな知っていたんだ、そのことを。
ベジタリアンだから関係ないなんてのは通用しない。
植物もまた生きているからだ。
だから、このブログを見ているみんなも
少しでいいから食べ物が持っていた命というものを考えてほしい。
また、教育者を目指している人はいつか子どもにそういう事を教えてあげてほしい。
長ったらしくなったけど、
俺が本当に言いたかったのはそういう事なんだ。
すごく心に響く言葉でした・・・
古本屋で見つけたときは是非3巻だけでも読んでみてください。ちょっと泣けますよ。