リンドバーグ氏が従軍した時の日記

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

(読者の声1) リンドバーグ著・第二次大戦日記に次の記述があります。
要約です。「翼よ、あれがパリの灯だ」で有名な初の大西洋横断飛行の チャールズ・A・リンドバーグ氏が従軍した時の日記(記録)

「1944年6月21日(水) 偵察隊の一人が日本兵”捕虜”に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた途端に 日本兵”捕虜”の頭部に腕が巻きつき喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで 切り裂かれた」のだった。
1944年6月26日(月) ニューギニア戦線で2000人の日本人捕虜を飛行場に連れて行き 機関銃を乱射して殺害しました。
1944年7月24日(月) そこには1人の日本軍将校と十人~12人の日本兵の死体が、切り刻まれた 人体だけが見せるような身の毛もよだつ姿勢で四肢を伸ばしたまま 横たわっていた。頭蓋骨を覆う僅かな肉片だけが残っている。
1944年8月6日(日) 「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方に 送らねばならなくなった時のことを知っているかね?あるパイロットなど 僕にこう言ったものだ・・・。捕虜を機上から山中に突き落とし ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」
  (或る読者より)

(宮崎正弘のコメント) この記述は有名なものですが、いつしか、日本人は忘れてしまったようです。怨みに報いるに徳を以てなす、というモラルは蒋介石ではなく、戦後の日本人が実践したことです。

リンドバーグの衝撃証言の原本から?

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