やっとお聴聞が始まるんですね。私もお聴聞が始まって間もない身ですが、一緒に聞こうね。
われとなえわれ聞くなれど南無阿弥陀仏 つれてゆくぞの親のよび声(原口針水和上)
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
「一劫といふは、たかさ四十里ひろさ四十里の石を、天人の羽衣をもつて、そのおもさ、銭一つの四つの字を一つのけて三つの字のおもさなるをきて、三年に一度くだりてこの石をなで尽せるを一劫といふなり。これを五つなで尽すほど、阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘と申せしとき、思惟してやすきみのりをあらはして、十悪・五逆の罪人も五障・三従の女人をも、もらさずみちびきて浄土に往生せしめんと誓ひましましけり」(正信偈大意)
この「正信偈大意」のお言葉は、第8代宗主蓮如上人が、親鸞聖人の『教行信証』「行巻」の一番最後に置かれる「正信念仏偈」の文意を簡明に解説されたものであります。
その中で、「五劫思惟之摂受」という言葉を釈したものであります。阿弥陀さまが私を助けるために、法蔵菩薩という菩薩になられ、本願を建てられんとして、五劫の間思惟されたのが「五劫思惟之摂受」という言葉の意味であります。
この「五劫」とは、いかなる長さでありましょうか?これを、蓮如上人はこのように説明されておられます。
一劫とは『大智度論』には四十里四方の石を、百年に一度ずつ薄い衣で払って、その石が摩滅しても劫は尽きないといわれておりますが、とてつもない長さですね。
さらに、阿弥陀さまはその願を実現されるために、兆載永劫の間、ご修行なされました。
そしてその願が成就して、十劫の時が経っています。
つまり、我々の想像し得ない長きにわたり、阿弥陀さまは私たちの往生を願っておられるということです。
私事で恐縮ではありますが、私が初めて
「南無阿弥陀仏」
と称えたのが、10代の前半でありました。
以前より、如来さまに促され、後生の問題に疑問を抱いたとき、小学校の図書館で借りてきた学習まんがに親鸞聖人のご生涯が書かれており、そこに、
「南無阿弥陀仏と称えなさい。必ず救われます」
という法然聖人のご教示が吹き出しであったわけですが、それに触発されて、
「南無阿弥陀仏」
と称えてみたわけですが、暗い心に変わりはありませんでした。
それから種々のお育てがあり、阿弥陀さまのご本願の通り、南無阿弥陀仏と称える身にさせて頂きました。10代の頃からの南無阿弥陀仏への疑問に阿弥陀さまがお答えを示してくだされたたわけです。
しかし、よくよく省みれば、「我は10代」と偉そうな顔をするはるか昔より阿弥陀さまは、私に飽きもせず、今日は参るか、明日は目覚めるかとあの手この手で私を誘引しておられたのだなあ。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏