7年ぶりくらいに、昔の同僚に会った。
彼女は10年前にニューヨークに行ってしまい、
そのあと大病をしたとメールがあったのだが、
手術うんぬんという話と前後して連絡が途絶えてしまっていたのだ。
どこに住んでいるのか、生きているのかどうかさえ
わからないままになっていたので、
突然携帯にメールがあったときは本当に驚いた。
(ダメもとでメールをくれた彼女も、
私の携帯のアドレスが変わっていなかったことに驚いていた)
私たちが働いていた職場のすぐ近くで待ち合わせ、
なつかしい笑顔に会えた。
生死を分けるような病気だったので心配していたけど、
彼女は今もニューヨークで働いていて、
術後の回復もよく、時々検査をするために帰国しているという。
まだ彼女が東京で私と一緒に仕事していたころ、
彼女は、仲の良かったお医者さんと雑談しているとき、
「あなた、いつまでもそんなふうだと、大きな病気するよ」
と言われたことがあったのだそうだ。
彼女はヘビースモーカーだったので、
「やっぱり煙草やめたほうがいいですか?」と尋ねたら、お医者さんは
「いや、煙草はべつに、一生吸っててもいい。
そりゃ体に良くはないけど、僕がやめたほうがいいと思うのは
ぜんぜん違うこと」と答えたのだとか。
なんだろう、とあれこれ考えたが思い当たらない。
お医者さんは、そんな彼女にこう言ったという。
「それはね、がまん。」
その話を聞いて、胸が痛かった。
そのお医者さんが、彼女のどんな話に反応して
そう言ったのかはわからないけど、
がまんばかりしていて、それがクセになってしまうと、
病が侵入してきてしまうのだ。
「ストレス」とかいう表現じゃないところが
なんだか泣かされた。
きっと、そのお医者さんに「がまんはやめたほうがいい」と
言われてもなお、何年もの間、彼女はいろんなことを
がまんしながら生きていたのだろう。
難しい話だ。
大人だって子供だって、社会で生きている中で
がまんしなくちゃいけない場面はいっぱいあるもの。
「がまんしないでね」と言われたところで、
それがいいことなのか本人には判断しづらいところだ。
だから、「自分を抑えつける」のではなくて、
「自分をコントロールする」能力をつけていくことが
大事なんだと思う。
思い通りにいかないとき、
自分の中にある欲望や願いをつぶすんじゃなくて、
それをもっと気分のいい、違う方向へ、違う形へ、導いていくちから。
もちろん、それはそう簡単な作業ではないけど。
彼女と連絡先を交換した。
地球のどこにいても、たったひとつの文字の羅列で
相手につながるって、あらためてすごい。
どういうわけだか、この1年くらいの間に、
「○年ぶりに再会」というのがやたら続いている。
それも、私が積極的にコンタクトをとっているわけではなくて、
何年も連絡のなかった人から突然メールや葉書がきたり、
今までなぜかお互い行き違いになって会えずにいたのが
急にタイミング良く会えるようになったりとか。
そしてどの人とも、「会えたのが今で良かった!」と思えるような時間になる。
おととしくらいまでの慢性的に体調不良だった時期は
こんなことは一度もなかった。
いろんなことが落ち着いて、体の調子も安定してきてからだ。
この8年の間に、私は3回も引っ越ししていて、
パソコンのメールアドレスも変わっているのに、不思議だなあ。