”レイキのめぐみ。”の日常

嬉しい偶然、思いがけない幸運、驚きの贈り物を一緒に見つけませんか?

祈ること

2021年09月22日 | Weblog
何年も前から、朝晩に祈っています。私がお祈りするのは5人(人?)の神様にです。

最近、神様がお二方増えました。ある方にその神様と、そのご真言を教えていただいたので、心の中で唱えることが多くなりました。

小さなことにも気がつくようにと心を澄ましていると「あ、助けてもらっている」と分かる時が増えているように思います。こんな話がまっすぐ通じる友達にこのことを話すと、私の感じることを肯定してくれる返事が来ました。「あ、やっぱりそうなんだ。些細なことでもキャッチする状態でいることが必要らしい」と納得しました。

このブログでも何回か書いていますが、祈る内容は今日一日の自分と家族、親しい友人、その時々で応援したいと思っている友人たち、そしてそれぞれの友人に繋がっている、大切な人たちの幸せです。幸せと祈るのと同時に、感謝もします。「私が祈ったことは既に叶うことになっているので、もう、先に感謝もしちゃうんだ」と思っているからです。


最近になって、リアルに感じたことがあります。

誰かの幸せを祈ることは、自分の心が満たされることなんだと気がつきました。

自分にとって大事な友達の幸せを祈ることで、自分が満たされて、さらにそれが自分を支えているんだと気がつきました。もちろん、自分が祈ることで本当に友達の何かの時に助けになるかどうかは、分からないことです。

そうであっても、自分が祈ることによって、ほんの0.001%でも、幸運がその友達に味方するかもしれません。

誰かの幸せに自分が微々たる力でも貢献しているかも・・・・そう思うと、自分がいて価値があるのかもと思えるのです。

以前読んだ中野信子さんの本(『脳科学からみた「祈り」』)に、そんなことが書いてあったのを覚えています。その時にはただ知識として”誰かの幸せを祈ることは自分の幸せにつながるらしい”と覚えていました。

ですが、なぜかこのタイミングで、自分の実感として「あーそうなんだな。本当なんだ」と気づいたように思っています。

こんなことに気づくことも幸せだ。


近所の金木犀、もう花が落ちています。香りを楽しめるのは本当に短い時間ですね。
今までは「いつの間にか香りに気づいて金木犀を見つける」でしたが、今はマスクをして歩いているので、意識して目で探して、見つけたらマスクを少しずらして香りを楽しむ・・・になっています。

そんな日々も、また愛おし






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