ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

インコ話

2017-08-29 14:01:26 | 日記
ご近所にインコを飼っている方がいて、たまに道で会うとインコ話に花が咲く。

ご近所さん「あら久しぶり。P太郎ちゃんは元気?」

私「元気だよ~。お宅のソラちゃんも元気?」

そんな挨拶から始まって、ひとしきりインコ話をする。

これがワンチャン連れならば、お互いのわんこを愛でながら話もできると言うものだが、残念ながらインコを連れての散歩はしないので、その姿を想像しながらの会話になる。

お互いのインコをめでながらだったら、もっと楽しいだろうなぁとつくづく思うのだが・・・

それにしても、インコの話だけで盛り上がれるのは、やはり鳥好きという共通点がある者同士の楽しみかもしれない。

というわけで、最近あまりブログに書いていなかったP太郎の近況を書くことにします。

9歳になった我が家のP太郎はずいぶん大人になって、悩みの種だったオカメパニックをほとんど起こさなくなった。

今朝は携帯が突然おおきな音で鳴り出したが、まだ布で覆っていたかごの中で、P太郎はバタッと一度羽ばたいただけでパニックになることはなかった。

こんな大きな音が近くで聞こえたら、以前のP太郎ならば驚いてかごの中で血だらけになるほど暴れていたと思うが、ずいぶん大人になったものだと思う。

まるで我が子が成長したかのように、感慨深いものがあったりする。

すこし大人になったP太郎の最近の写真↓



相変わらずテッシュの空き箱と狭い場所が好きで、この日はテッシュの空き箱を新聞紙の中に立てて家を作ってあげたら、しばらく中から出てこなかった。

中で手前の陶器のコップと空き箱をくちばしで叩いて音の違いを楽しんでいた。

色々なものを叩いて音の違いを楽しむというのは、P太郎がよくすることで、時々一緒に叩いて音を出してあげるととても喜ぶ。

「ことりはとっても歌が好き~♪」という童謡があるが、P太郎を見ているとまさにその通りだなと思う。

あまりに中でP太郎が楽しそうなので、そっと新聞紙をめくって覗いてみたら、こちらを振り向いてニヤリとした。
よほど楽しいとみえる・・・







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成長したかな

2017-08-23 18:20:09 | 日記
昨日は久しぶりにどしゃぶりの雨だった。

用事があって外出していたのだが、どしゃぶりの雨の中、工事中の道路で交通整理の仕事をされている方がいた。

横殴りの強い雨で工事は一時中断していたものの、道に工事の機材が置かれている為、片側通行になっており交通整理は止めるわけにはいかないのだろう。

お顔もびしょ濡れになっての交通整理、こんな天候の時は尚更、外での仕事は大変だと思う。

本当にご苦労様なことだと思いながら、誘導していただいて通行することができた。

そして、その日の夜、仕事から帰ってきた長男パインが持ち帰った会社の服は、シャツもズボンも靴もびしょ濡れだった。

そういえば、朝出ていく時に「今日は外回りがある」と言っていたパイン。

パインは今年4月から社会人として働き始めた。

パインの入った会社は、新入社員はまず一年間は色々な仕事を体験させるらしく、たくさんある子会社に出向して、子会社がやっている仕事を憶えるのだそうだ。

子会社の社員に仕事を教えて頂くのはもちろんのこと、パートさんからも仕事を教えてもらう。

そして、昨日の外回りは、パートさんにくっついて、あの大雨の中、一日中外歩きをしていたそうだ。

もちろん昨日が初めての外回りではなく、夏の炎天下でずっと外に立っている仕事、なかなかお金を払ってくれないお客さんの所へ出向いて延滞金を徴収してくるという、(パイン曰く)精神的にきつい仕事なども経験してきた。

疲れた顔をして帰って来る日も多いが、パインの様子から仕事はきついばかりではなく、きっと充実しているのだろうと思う。

「子会社の仕事は大変なことも多いけど、子会社が頑張ってくれているお陰もあって、本社が利益を出すことができているのが分かった」と言うパイン。

パインの顔には、もうドラえもんの「のび太クン」の面影は無い。
すこし成長したかな・・・

「がんばれー」心の中でいつも母は応援している。








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国語力

2017-08-18 12:48:10 | 日記
週に二日ほど、小学生を教えている学習塾へアルバイトに行っている。

私の仕事は生徒がやった問題の採点で、たまに先生が忙しい時には簡単な事くらいなら教えている。

ところが先日、三人いるうちの二人の先生が急な用事ができたというので来られなくなってしまった。

その日は私の出勤日ではなかったが、残った先生から「一人だけでは対応ができない」とヘルプの電話が入り、急遽行くことになった。

そして、休んだ二人の先生の代わりに私が任されたのは「国語」だった。

私の働きに行っている塾は個別対応なので、集団授業をするのではなく、生徒に問題を解かせて、わからない問題だけを指導するという方式になっている。

「国語おねがいします!」と頼まれて、模範解答の解説書もあるので何とかなるだろうと引き受けたのだが、これが非常に難しかった。

そして、さっそく「わかりません」と言ってやってきたのは、6年生の女の子だった。

持ってきた問題を見てみると、かなりの長文問題で「赤のライン線が引いてある文から、著者が何を言いたいのかを読み取りなさい」というものだった。

6年生くらいになると文章もなかなか難しく、一度読んだくらいでは理解するのは難しい。

頼りの解答の解説書も、ほとんど正解そのものがごく簡単に書かれているだけで、生徒が理解できるような教え方が載っているわけでもなく、まったく頼りにならない。

「このラインの部分の前後を何度も読んでごらん」と言って読ませたが、やはり分からない様子。

「作者は何が言いたいのだと思う?」と問いかけるも、生徒は首をかしげるばかり・・・
さて、どうやってわからせたらいいものか・・・私も首をかしげて考えてしまう。

解答は文章部分からの書き抜きではなくて、自分の言葉で考えて書くものなので教えるのがとても難しい。

ヒントになるようなことをいくつも教えて、ようやくわかってくれた時には、私も(冷や)汗びっしょりだった。

ところが、やっとわかってくれたかとホッとしたのもつかの間、「これもわかりません」と言って持ってきた問題集には、何も書いていない解答欄が並んでいた。

このような時、決まった答えが入るものは教えやすいのだが、生徒に自分の言葉で考えさせる答えは、何度も書くようだが、本当に教えるのが難しいと実感した。

どんな言葉で生徒に教えたらわかってくれるのだろう?ということは、教えている間中、ずっと頭の中にあったことだった。

「想像してみて!こういう時、〇〇ちゃんなら、まず何て言う?」と生徒に聞いてみたのが下の問題。

これは学級討論会で、ある問題について肯定派と否定派が意見を言い合う場面で、「あなたが、もしも肯定派なら、そしてもしも否定派なら、それぞれまず最初になんと発言するでしょうか?」という問題だった。

これは「私は〇△に賛成です」とか「私は〇△にした方が良いと思います」など、まず最初に自分が肯定派なのか否定派なのかをみんなに宣言するのが正解で、ごく簡単で当たり前の事じゃないかと思うのだが、これがなかなか出てこない。

今の小学校では、こうした討論会的なことをやっていないのかなぁ。

私が小学生の時は学級会という名で、クラス全体で意見を言い合って物事を決めたような気がするし、「道徳」の時間には、タイトルは忘れてしまったが何か問題が起こってクラスで解決していくような番組をみせられたのを憶えている。

他人の気持ちを思いやること、問題が起きた時に(みんなで)解決していくこと、このようなことは、すべてとは言わないが、国語の力が大切なのかもしれない。

国語力を伸ばすには、まず読書をすることかな。

とは言え、じゃあ我が子はどうかと言えば、長女のチェリーは本嫌いなので、偉そうなことは決して言えないのだけど。

でも教えるのは本当に楽しいし、子どもたちもすごく可愛い。

この歳になって、素敵な仕事に巡り合えたなぁと感謝している。





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野生動物との共存

2017-08-08 17:30:09 | 日記
お墓参りに行ってきた。

お墓に到着してお参りの準備をしていると、急にカラスたちが騒がしくなったので後ろを振り返ってみると、一匹のキツネが道路を挟んだ向こう側の墓地を歩いていた。

市内にあるこの墓地は周囲を木に囲まれているので、まるで森林の中にあるかのようだが、実は木が多いのは墓地の中だけで、実際は山間部に隣接しておらず、墓地を出ると交通量の多い道路がすぐそばを通っている。

「家の周りではよく見かけるけど、こんなところにもキツネがいるんだね」と家族で話しながらキツネを見ていると、そのキツネはちょうど私たちとまっすぐに向かい合う場所まで歩いてきてチョコンとお座りをした。

ちょうど小型の犬のようで、その姿はなんとも可愛らしかった。

私たちから見える場所に座ったまま動かないところを見ると、もしかして餌のおねだりに来たのかもしれない。

すると、そこへもう一台、車が到着して、中から三人の年配の女性たちが降りてきた。

女性たちは「キツネだわ!かわいいねぇ」と言いながら、それぞれが自分のカメラで夢中になってキツネの写真を撮り始めた。

この墓地にお参りに来ると言うことは、女性たちも市内か近郊から来たのだと思うが、その喜びようを見ると、キツネが珍しくない我が家周辺と違って、あまりキツネが出ない場所に住んでいらっしゃるのかもしれない。

女性たちがカメラを構えてキツネに近づいて行くと、キツネは警戒してか小走りで離れて行った。

その時、一人の女性がおもむろにカバンの中から食べ物を出すとキツネに向かって投げた。

食べ物につられて再び戻ってキツネを、女性たちはまた夢中になって写真を撮っていたのだが、その中のおひとりが中腰でカメラを構えて後ろに下がった瞬間、尻餅をついたかと思ったら、なんと後ろ回り(後転)をしながら坂道を下って行った!

まるでマンガのワンシーンのように、きれいに後ろ向きで坂を転がって行く姿は、お見事としか言いようがなく、私たちはただただボー然と見ているしかなかった。

幸いにも、その方はお怪我はなかったようで一安心だが、女性たちの大騒ぎの声に驚いてキツネはどこかへ逃げて行ってしまった。

そのあと、私たちもやっとお墓に向かって静かに手を合わせたのだが、家族全員が先ほどの出来事を思い出して笑いをこらえていた。

私たちがお参りしている姿をうしろから見たら、きっと全員の肩が震えていたと思う。

というわけで、私は何が言いたかったかというと、キツネに餌を与えちゃイカンよということを言いたかった。

お墓に現れたキツネもきっと他の参拝客から餌をもらっているから、人間のそばまで来て待っていたのだろう。

人間から餌をもらうことを憶えたキツネは人間の住んでいる場所まで出てくるようになり、交通事故に遭ってしまうかもしれない。
また人が与える餌、例えばスナック菓子などは、キツネにとっては害のあるものが含まれている場合があり、キツネが病気になるかもしれない。

結局、人間が餌を与えることでキツネがかわいそうなことになってはいけないので、私はキツネを見かけても心を鬼にして餌を与えない。

もちろん人間側にとっても危険で、キツネから感染するエヒノコックス症という怖い病気がある。
これは何年もかけて進行して命を落とすことがある。



こんな看板も立ってます↑

人間と野生動物の共生は、お互いの領域に足を踏み入れないということだと思うが、近年は人間が動物の領域に入りすぎてしまった。

人間として、動物たちには本当に申し訳ないと思ってしまう。






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手入れ

2017-08-03 17:08:19 | 日記
昨日は実家の庭の草むしりに行ってきた。夏は雑草が伸びるのも早い。

実家は街の中にあるので、生えてくる雑草の種類が山の中にある我が家と違って面白い。

山がすぐそばの我が家の庭では名前もわからない草類に混ざって、落ちた木の種が芽を出している。

草はまだしも、そのままにしておくと木の芽は大木に育ってしまうので、小さな葉のうちに抜くようにしている。

ところが実家の庭は木の芽はまったく出ていなくて、雑草というより隣家の庭から侵食してきたツタが幅を利かせていた。
また、我が家では見かけることがないドクダミもたくさん繁殖していた。

こちらの敷地に入った隣家のツタは遠慮なく抜かせて頂いて、ドクダミもあの独特の臭いに辟易しつつ抜いていって、一時間程かかってきれいにすることができた。

父が亡くなり、家主のいなくなった家は時々行って手入れをしないと、不思議なものであっという間に、家の中も外も荒れていくような気がする。

これは住宅に限らず自然も同じかもしれない。

人の手がほとんど入らないで植物が伸び放題になった自然の野山は、一見すると「荒れた」ように見えることがある。
草も木も大きく枝葉を茂らせて、周囲は薄暗くなり、そこへ入って行くにはかなり勇気がいるというのか、気味悪く感じる場所もある。

ただ、このような人間の手が入らない野山は、自然のままに長い年月をかけて、自然界のサイクルによって循環していくから、それはそれでよいのだろう。

問題なのは人と植物が共生している場所で、そのような場所ではやはり植物への手入れは欠かせないものなのではないかと思う。

「手入れ」というのは正直めんどうくさいことで、特に庭の草むしりなどはできることならやりたくないことなのだが、そこに人が関わる以上は、やはりやった方がいいものだと私は思っている。

多くの木々に囲まれて自然豊かな場所に建っている神社が、どうしてあんなに気持ちがよいのだろうと考えた時、それは植物の力もさることながら日々の手入れが行き届いているからだと思う。

手入れの行き届いた神社のように気持ちの良い場所にしたいと思いつつ、汗をかきながら実家と自分の家の草むしりをする日々です。




家の庭から見た森林。

毎日たくさんの小鳥や虫たちがこの木々の中を飛び回り、木の種を食べている。

そして、それを見ているだけで私も癒される。

鳥や虫を育てている木達だが、この家に越してきて12年、木はずいぶんと大きくなり、新しく芽吹いた木がまた育ってきて、森林が薄暗くうっそうとしてきたのが気になっている。

庭に覆いかぶさるようになった木もあって、秋になったらノコギリと鋏を持って、少し手入れをしに森へ入ろうかと思っている今日この頃です。









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