ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

鳥ともだち

2014-08-25 17:30:34 | 日記
最近、「鳥ともだち」ができた。

ご近所の方なのだが、最初は朝のゴミ出しで顔を合わす時に挨拶をするくらいのお付き合いだった。

ところが、たまたまお話をする機会があり、会話の中でその方が自宅でセキセイインコを飼っていると教えてくれた。

それを聞いて私も「うちもオカメインコを飼っているんですよ」と話したことから、鳥の話に花が咲いてしまった。

彼女は私と同年代でお子さんもいるのだが、子供の手が離れてしまったことからセキセイインコを飼い始めたそうだ。

ところが飼ってみたら、これが可愛いのなんのって、もうたまらないそうだ。(気持ちはわかる。。。)

あまりに可愛すぎて、籠に入れずにずっと部屋で放し飼いにしているとか。

だからたまにインコちゃんを籠の中に入れると、そこは自分の居場所ではないと思うのか、糞をするのも水やえさを食べることも、籠の中ではしなくなってしまったそうだ。

「困ったわ~」とおっしゃる彼女曰く、部屋で放し飼いにしていると不用意に窓は開けられないし、事故の心配もあるそうで「最初に変な癖をつけてしまったのが良くなかった」と反省されていた。

確かに放鳥している間は、変なものを食べないようにとか、踏みつけてしまわないようになど、私も気をつけているが、ちょっと目を放した隙に植木鉢の土を食べていて慌てたことがある。

実際に彼女のインコちゃんは、突然えさを吐いて元気が無くなったため、慌てて病院に連れて行ったところ、「金属中毒」だったそうだ。

部屋にあった金属のハンガーをかじったのが原因だったらしい。

「・・・で10日間の入院をさせたの。そうしたら治療費は6万円もしたのよ」

「ひえ~6万円!!ところでインコちゃんはおいくらだったの?」と思わず聞いてしまった。

「そうね、たしか2千円だったかしら」

6万円あれば2千円のセキセイインコが何羽買えるだろうかと、つい頭の中で計算してしまった。

いやいや、お金じゃないのよね・・・この子じゃなきゃダメなのよね。

いくら新しい小鳥をまた買えばいいじゃないかと言われようが、この子じゃなきゃだめなの~ってのは、私も分かるわ。

で、久しぶりにうちのP太郎です。



あいかわらずテッシュ箱が大好きなP太郎だが、最近、もうひとつP太郎の大好きなものが判明した。

それは女子高生。

休日に女子高生の次女ピーチの友だちが数名、家に遊びに来た。

そして、ピーチは友だちに見せるためにP太郎を自分の部屋に連れて行った。

しばらくして部屋の中から聞こえてくる女の子達の楽しそうな笑い声に混ざって、なんとP太郎の笑い声も聞こえてくる。

「アハハハハ」

楽しそうなP太郎の笑い声。

P太郎は女の子達の笑い声を真似ているのだと思うが、お菓子を持って私が部屋に行ったら、女の子たちの輪の中で本当に嬉しそうに笑っているP太郎がいた。

ピーチによると、そろそろP太郎を籠に連れて行こうとしたら、「まだここに居たい」と言わんばかりに嫌がって逃げ回ったそうだ。

仕方がないので、そのまま置いていたら、P太郎が一番気に入った女の子の膝の上にちゃっかりと止まって、くつろいでいたらしい。

P太郎の一番のお気に入りは、友達の中では一番物静かでおしとやかな女の子だった。

P太郎は、いつもピーチに怒鳴られているからねぇ。

「こらっ!うんちすんなー!かじるなって言ってるだろーが!」ってね。

ピーチとは正反対の娘がよかったのね(笑)










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クレープ

2014-08-18 17:20:33 | 日記
お盆が終わり、休みだった家族も職場や学校に行き始めて、やっといつもの日常が戻ってきた。

主婦にとっては家族の休日こそが忙しい。

いつもの食事のほかに間食なども用意したりして・・・

さて、お盆に入る前からず~っとバナナの入ったクレープを作りたいと思っていた。

特に自分が食べたかったわけではなく、家族からも作ってと頼まれたわけでないのだが、なぜかバナナのクレープが頭から離れなかった。

お盆で家族が休みだった日に「今日こそクレープを作ろう」と思い立って、クレープの生地を焼き始めた。

クレープの生地を焼くのは本当に苦手・・・

フッ素加工のフライパンを使っても、最初の数枚は破けてしまったり、焦がしてしまったりしてしまう。

「く~っ、また失敗」とか「おっ、うまく焼けた」など一喜一憂しつつ生地を焼いていた。

フライパンのそばに付きっ切りで、なんとか生地を焼き終えると、今度は生クリーム(うちでは豆乳から作ったクリーム)を泡立てる。

しばらくして生地が冷めたら、泡立てたクリームとバナナをのせて包めば出来上がり。

こうしてかなり無心になってクレープを作っていたら、ふと義父のことが頭に浮かんだ。

義父は三年前に亡くなったが、私が作ったクレープを「おいしい、おいしい」と言って食べてくれた。

そして、食べ終えると必ず「こんなにおいしい物は食べたことが無い。また作ってくださいね」と言われた。

お世辞でも義父にそう言ってもらえると嬉しくなって、また作ってあげようと思った。

でも義父には何度、クレープを食べさせてあげただろうか。

たしか2~3回くらいしか作ってあげなかったのではないだろうか。

もっと作ってあげればよかったなぁと思う。

あの頃も確かにそう思っていたはずだった。

高齢の義父に食べさせてあげられる時間は、もうそれほど残っていないかもしれない。

だから、喜んでくれるものは何度も作ってあげよう。

そう思っていたはずだったが、結局、日常の生活のあれやこれやに流されていくうちに、あっという間に時間は過ぎて義父は亡くなってしまった。

最近、いつも思う。

誰でも生命には限りがあり、いつ別れが来るかもしれないのだから、やってあげたいと思ったことは、できるだけすぐに実行しよう。

義母にも実父にも、夫にも子供たちにも、そして周囲の人たちにも・・・

そう思いながら、出来上がったクレープをひとつ仏壇に供えた。

私が急にクレープを作りたくなったのは、もしかしたら義父が食べたかったからだったりして。

入れ歯をもごもごさせながら、クレープを頬張る義父の姿が目に浮かんだ。










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気分をすっきりさせるには

2014-08-11 16:05:58 | 日記
朝方、風の大きな音で目を覚ました。

昨夜までは静かだったはずだが、台風が通過中の為、外は強い風が吹き、雨が窓に叩きつけるように降っていた。

台風はあまり経験がないので、たまにこのような強い雨風の音を聞くと、なんともいえない怖さを感じる。

しかし、この台風で洪水に遭われた方や避難を余儀なくされた方々を思えば、強い雨風の音くらいは大したことは無いかもしれない。

被害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げたいと思います。

ところで夢うつつで風や雨が吹き付ける音を聞いていたせいか、あまり気分のよくない夢を見ていた。

それは大きな地震が来る夢だった。

このような夢を見たのは、たぶん昨日、実際に地震があったからだと思う。

揺れ自体は大して大きくはなかったが、すこし長かったように感じた。

しばらくの間、横にゆらゆらと揺れるような感じだったが、それ以上大きくならずに済んで良かったと思う。

ここ数ヶ月間、自分の足元が揺れるような気がしてならなかった。

それは今も続いている。

地震はいつ起きてもおかしくないくらい、あちこちで起こっているので、今後も起きた時の心構えだけはしていようと思う。

ところで昨日は、またご近所に住む中国人の知人に会った。

彼女とは会うと、ついつい立ち話をしてしまうのだが、先日はストレスで会社を休んでいるという話をしてくれた。

あの後、彼女は仕事に復帰したようで、元気に出勤する姿がまた見られるようになっていた。

朝の出勤前に会ったりすると笑顔で挨拶をしてくれたので、「吹っ切れたのかな~よかった」と思っていたのだが、昨日あった彼女はやや浮かない顔をしていた。

初めは世間話をしていたが、彼女の方から「じつは・・・」と話をしてくれた。

「じつは今、社内の雰囲気がとても悪いです。ふたつのグループに分かれていて、お互いにとても悪い雰囲気になってます。私はどちらにも入らないで、距離を置くようにしているのですが、最近、とても激しい」

激しいというのは、どのようなことなのか、すこし話をしてくれたが、「それは小さな子供のする事じゃないの!?」と思うようなことを、いい歳をした大人のおじさんたちがしているとか。

つまり物を隠すとかをするらしい。もうびっくりした。

私も何年間か会社勤めの経験があるが、いい歳をした大人がそんなことをするなんて聞いたことがなかった。

それはたまたま幸せな職場にいることができたからで、そのようなことは珍しいことではないのだろうか?

私は部外者なので、軽々しいことは言えず「うんうん」と聞いてあげることしかできなかったが、そのような中にいる彼女が気の毒でならなかった。

職場の人間関係といい、戦争といい、自然災害といい、最近なんとなく嫌な空気が漂ってきている。

こんな時は、やはり感謝想起をするしかない。

今日も掃除をしながら感謝想起をしていた。

トイレを磨いて、不用品を整理したら、すこし気分がすっきりした・・・かな?








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白い玉

2014-08-09 16:03:13 | 日記
今も世界のどこかで戦いが行われている。

一体、いつになったら戦いの無い世界になるのだろうか。

あの炎の下には、戦争など望んでいない人々がたくさんいるのだろう。

そして、たくさんの命が今も消えているのかもしれない。

戦争をしたくてたまらない者だけをどこかの孤島に集めて、気の済むまで戦わせることができればいいのにと思う。

そんなことを思いながらテレビのニュースを見ているとふつふつと怒りが湧き、次に悲しみがあふれてくる。

怒りは戦争をしたがる者たちへ、悲しみは死んでいく何の罪も無い人たちに対してと、爆弾によって傷つけられているであろう地球に対してだと思う。

「地球は生きている。地球には感情がある」

そんなことを思っていた。

ずっと前の私なら、そのようなことは全く思ってもいなかったことだ。

たぶん大自然に対する感謝を続け、神棚を祀って毎朝の参拝を欠かさずにする様になってから、自然とそのように感じるようになったのかもしれない。

今までは毎朝、朝日と窓の外に広がる森林に向かって手を合わせていたのだが、ここ数ヶ月は天と地に別の方法で感謝の想いを送っていた。

このような行為が果たして正しいのかどうかはわからない。

ただダイレクトに感謝を送りたくて、今はそのようにしている。

と言っても、特に難しいことをしているわけではなく、自分の胸の中で天や地球に対する感謝を集めたものを、それぞれに送るだけなのだが。

天へは自分の頭のてっぺんから送っているような気がするし、地球へは自分の両方の足の裏から送っているような気がする。

気がするというのは自分のイメージの世界なので、他人から見ても何をしているのだかまったく分からないだろうし、ただ眠っているようにしか見えないかもしれない。

イメージと言えば、感謝を送り続けているうちに、自分の目の中に、はっきりと送る感謝の想いがイメージとなって現れてくるようになった。

それは白い玉なのだが、その中に自分の溢れてくる感謝の想いを入れる。

最初はぼんやりとした白い玉だったが、先日はそれが初めて白く発光する玉になった。

その玉を天と地球それぞれに送り届けると、いつも安らかで暖かな気持ちになる。

大体、それはほとんど毎日行っているのだが、先日ふと思い出したことがあった。

それは自宅の神棚でお祀りもしているが、数年前に市内にある「相馬神社」を知るきっかけにもなった夢だった。→ちょっと遅い初詣

小さな社の前にいた小さな龍に私が「白い玉」を渡すという、それだけの夢なのだが、渡した後に小さな龍が「ありがとう」と言ってくれた。

その声があまりにもはっきりと、まるで耳のすぐそばで現実に言われたかのように聞こえてきたので、その声で目が覚めた。

だから、今でもありありと思い出すことができる夢だった。

その時、なぜ自分が白い玉を手にしていたのか分からなかった。

「なぜ私は白い玉を持っていたのか?あれは一体何だったのだろう」とずっと疑問に思っていた。

でも、やっと分かった。

あれは「感謝の想い」が入った玉だったのだ。

相馬神社は天之御中主大神をお祀りしていて、天之御中主大神は天地自然、万物の生成発展を主宰する神さまだとか。

ここからは私の妄想?だが、あの小さな龍は天地自然の神様だったのではないだろうか。

もしかしたら地球の神様だったのかも・・・などと考える。

小さな龍は白い玉つまり感謝の想いを、とても喜んで受け取って下さった。

だとしたら、やはり地球には感情があり人間の感謝の気持ちをとても喜ばれるのではないだろうか。

環境汚染や戦争によって傷ついて弱りきっている地球。

一人でも多くの人間が、ほんの少しでも地球に対して感謝の気持ちを持ったとしたら、きっと地球はとても喜んで元気になってくれるような気がする。









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梅干作り

2014-08-06 20:26:15 | グルメ
今年は久しぶりに梅干を作っている。

もうずいぶん前、今はもう枯れてしまったが、実家に梅の木があった頃、父が収穫した梅の実を、毎年みかん箱いっぱいに届けてくれた。

せっかく父が採ってくれた梅なので無駄にしないようにと、大きな漬物樽で梅干を作り、残った梅はジュースやジャムにした。

たくさんできた梅干やジャムは知り合いに差し上げると喜んでもらえたが、量が量だけに、これがけっこう大変な仕事で、梅の時期になると「あ~、またか」とちょっと憂鬱になったものだった。

しかし梅の木が枯れて、父が梅の実を届けてくれなくなってから、梅干も作ることはしていなかった。

ところが、買い物に行った八百屋さんで大きな粒の「紀州南高梅」を見かけた。

「これで梅干を作ったら美味しそうだなぁ」と思い、一キロだけ梅を買った。

さて、今までは大量の梅で梅干を作っていたので、一キロという少量はどのように作ったらよいのか分からない。

そこでネットで調べていたら、簡単に梅干が作れるレシピを見つけた。→みんなのきょうの料理 梅干簡単袋漬け

これはビニール袋で作るレシピだったが、これだと冷蔵庫で保管しなければいけない?かもしれないので、冷蔵庫内で場所を取りたくない私はガラス瓶で作ることにした。

瓶だったら常温でもOKだと思う。



瓶の中に、梅と粗塩とキビ糖を入れるだけ。

な~んて簡単なんざんしょ。

梅干漬けに砂糖を入れるレシピというのは初めてだが、砂糖を加えることでコクのあるまろやかな梅干ができるそうです。

・・・で、材料を瓶に入れるだけで簡単なんですが、早く梅酢を上げる為に、また梅酢が梅にかからないとカビが生えるので、一日に一度は瓶をしゃかしゃか振らなければいけません。

すると翌日には梅酢が上がってきて、毎日量が増えてきて梅が浸るくらいまでになる。

ある程度、梅酢が上がったら、ちりめん紫蘇を加える。



瓶が二つに増えてますが、一キロだと少ないように思ったので二キロほど追加しました。

あとから買ったのは、時期的に遅くて南高梅がなくなってしまった為、収穫されたばかりの地元産の梅(右側の瓶)

やっぱり南高梅の方が美味しそうかな~。

地物はやや小ぶりで固そうなので、固い梅干が好きな人向けかもしれない。

さて、次の仕事は天気が良い日に梅と紫蘇を干すこと。

最近、シベリアの山火事の影響だそうでPM2・5の数値が高く、洗濯物も梅も外で干すことができない。

空気が汚染されているなんて、昔は考えたこともなかった。

なんだか悲しいなぁ。。。

仕方がない、室内で干そう。

それまでカビが生えないように、毎日しゃかしゃか瓶を振っている。

ついでに米のとぎ汁の乳酸菌ペットボトルもしゃかしゃか振る。

しゃかしゃかしながら、梅と乳酸菌の様子を眺めるのが近頃の楽しみになっている。







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検査はしない

2014-08-04 16:41:01 | 介護
先日、父がいつも診て頂いている病院の看護師さんから電話があった。

「お父さんが短期間で急激に体重が増えていたのですが、先生が念のために胃腸の検査をしてはいかがですか?と言っているのですが。
お父さん本人は、検査にはあまり乗り気ではないようなのですが、ご家族の方はいかがでしょうか」とおっしゃた。

胃腸の検査、つまり胃や大腸のカメラということだが、それを聞いて私は80歳を過ぎた父の身体には負担が大きすぎるのではないかと思った。

「今は元気で暮らしているので、検査はけっこうです」と答えると、「でもお年寄りですと、癌が見つかる場合もありますのでやっておかれた方がいいかと思います」と看護師さんはおっしゃった。

確かにもしや「癌」が見つかるかもしれないが、父の場合、逆に見つけてもらわなくてもいいと思った。

下手に「癌がありました」と言われて、手術なんてことになったら、たぶん父は認知症がさらに進み、今まで以上に足も弱り、最悪の場合は寝たきりになってしまうかもしれない。

だとしたら、たとえ何かが見つかっても、なるべくこのままそっとしておきたい。

「いえ、やはり検査はいいです。今、元気で暮らしていますから」と言ったが、看護師さんは「でも手遅れになったりしてはいけませんし・・・」となおもしつこく勧めてくる。

「癌でも手遅れでもいいんです。検査をして弱るより、そのほうがいいです」と、つい強く看護師さんに言ってしまった。

看護師さんは「では、そのことを直接先生に伝えてください」とおっしゃって、先生と面談の予約を取られてしまった。

まるで父が癌になっているかのような話になってしまったが、父はいたって元気で食欲もある。

食欲があるので、間食をし過ぎて体重が増えたのではないかと思っていた。

妹にそのことを伝えると、妹も私と同じ考えで検査をすることに反対だった。

先生との面談の日、今までの父の血液検査の結果を見せられて説明を受けた。

軽い貧血があるが、その他の数値はすべて良いとの事だった。

ただ若い人も年に一度くらい健診をした方がよいのと同じで、父も胃腸の検査をしてはどうか?と言うお話だった。

「だから高齢者の医療費が膨れ上がって、国の財政を一層きびしくしているんだなぁ」

それを聞いて、心の中でそう思う。

無駄な検査をして、たくさんの薬を出す病院。

家族がしっかり薬を見ていないと、老人本人も訳がわからなくなるくらいの薬を出されてしまう。

お姑さんも同居し始めた頃は、「こんなに飲んでるの!」と驚くくらいの量の薬を飲んでいたが、新しく移った病院の医師と相談をして必要がないと思われる薬はどんどん削ってもらった。

今はずっと薬の量が減ったが、何の問題もなく元気一杯で過ごしている。

ところで父の検査だが、やはり検査はしませんと医師にお伝えした。

そして、もしも父が癌などになった場合(たぶん父はならないと思うが)痛みや不快な症状を取るだけで良いですということもお伝えした。

父がもっと若ければ治療をお願いするところだが、もう83歳なので治療はしなくてもいいよね・・・と妹と相談をして決めた。

医師は「そうですか。それも良い考えだと思います」とおっしゃって、紙を出してそれらの事を書き始めた。

そして「この内容でよろしければ、ここにサインをしてください」とおっしゃった。

医師が書いた書類には「身体に負担のかかる検査は一切しない。癌になっても治療はせず、痛みを取るなどの対処療法をする・・・うんぬん」と書かれていた。

父も高齢でいつどうなるか分からないので、医師は家族の意見を聞いておきたかったらしい。

父の部屋へ戻り「検査は断ったよ」と父に伝えると、父はうなずいて「うん、それでいい」と言った。

今が機嫌よく暮らせたら、それで十分と、きっと父もそう思っているのではないだろうかと思う。

「甘いものは食べ過ぎないようにね~」

そこはしっかり父に釘をさして帰ってきた。






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