ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

父、納骨

2017-07-18 13:32:44 | 日記
夢を見た。亡くなった父が初めて出てくる夢だった。

場所は父が住んでいた実家で、今まで実家の夢を見ることも無かった私だが、夢の中で実家にいる私は出かける準備をしていた。

その夢の中で私が出かけようとしている先は、実家にいた頃に勤めていた会社で、「時間がない」と焦りながら洗面台の鏡に向かって化粧をしようとしていた。

もう30年近く前に辞めたのに、今でも会社の夢をたまに見る。

机に山と積まれた書類を前に焦っているとか、通勤途中で道に迷い、どうしても会社にたどり着かず、焦っているとか・・・

現実では道に迷って会社に行けないなんてことはあり得ないことだが、なぜかわからないけれど、会社が出てくる夢ではいつも焦っている。
長い時間がたって記憶は風化しつつあるが、現役時代はきっと焦ることが多かったのかもしれないし、そんな夢を見る時は、実際に現実生活でも焦る事案があったりもする。

そうそう、話が飛んでしまったが、父が夢の中に出てきた話だった。

仕事に遅れると、焦る気持ちで洗面台の鏡に向かうと、鏡の中に父がいた。

父はますます若返って実年齢は86歳だったが、見た目年齢は40歳くらいになっていた。

そして、その父が鏡の中で髭を剃っていた。

不思議なのは鏡の中に父はいるのに、私の隣にはおらず、また鏡の中の父の横には、映っているはずの自分がいなかった。

まるで私がいることを知らないように、父は剃刀を使って鏡を見ながら丁寧に髭を剃ってた。

「なつかしい。お父さんの若い時の顔だ」と鏡の中の父の顔を見ながら思っていた。

しかし、ふと「あれ、お父さんもどこかへ出かけるのかな?」と思った所で目が覚めた。

あまりにリアルで印象的な夢だったので、しばらく布団の中で夢のことを考えていたのだが、思い出したことがあった。

実は、その日は父の遺骨をお墓に納骨する日だった。

もちろん納骨のことは忘れてはいなかったが、夢の中ではまったく納骨のことは思い出せず、40代になった父はどこへ行くのだろうかと思っていた。

納骨式では、実家にある父の遺骨をお墓に納めることになっていて、今回は納骨に合わせて古くなった墓をきれいに直してもらっているはずだった。

私たち遺族も、新しくなったお墓を見るのはこれが初めてで、どうなっているのか楽しみだったが、お墓に行ってびっくりした。

今までは古いせいで暗く寂しい雰囲気だったお墓が、大理石を貼りなおしたり玉砂利が敷かれたりと明るく生まれ変わっていた。

きれいになったお墓で、お坊さん、お墓を直してくれた業者さん、そして私たち遺族が集まって、無事に父の納骨式を執り行うことができた。

だから、父は髭を剃って身支度を整えていたのか・・・と納得した。

とてもオシャレな父だったので、父にしてみれば、自分の納骨式の前に身支度を整えるのは当然のことだっただろう。

きれいになったお墓を見て、きっと父も満足してくれていることと思う。

ところで、夢にはいくつかの種類があるのではないだろうか。

その夢のほとんどは、私が会社の夢をみると必ず焦るように、潜在意識の中にある過去のトラウマや経験、また現在気になっている事などがきっかけとなってみることが多いのだろうと思う。

しかし、もう一つは「死者が交信手段」として夢を使うのではないかと思う。

その良い例では、私の母のことがある。

母が亡くなったのは、今の私よりも若い年齢だったが、一番最初に夢に母が出てきたのも、父と同じく夢の中の鏡の中だった。

母が夢の中で鏡の中に現れた時に、母は何か言いたそうにしていたのだが、まだ若く、また悲しみに沈んでいた私は母が口を開くよりも先に「どうして死んじゃったの?絶対に生きるって約束したじゃない!」と言ってしまった。

今考えると、なんということを言ってしまったのかと後悔しかないのだが、母の顔が本当に困ったような顔になり、とつぜん周囲に白い霧が充満してくると母はその霧の中へ消えてしまった。

それ以降、母の仏前に向かって、「どうして死んじゃったの、もっと生きていてほしかった」とは絶対に言うまいと思った。

しかし、母の最期の言葉が「姉弟3人、仲良く力を合わせて生きなさい」だったように、その後も、そして今も、何かがあると、私や妹、もしかしたら弟もかもしれないが、母がそれぞれの夢に現れてくれる。

偶然にしては絶妙なタイミングでそれぞれの夢枕に立ち、何か起こりそうになっても必ず丸く収まっている。

母が亡くなって30年が過ぎ、亡くなった母の年齢を越えてしまった私たち姉弟だが、母親というのはいつまでも子どものことが心配なのだろうと思う。

でも、もうそろそろ母には夢に出て来なくても済むように安心してもらわないといけないなと思う。

亡くなった人にはそれぞれ進まなければならない道があり、残された者は悲しいけれど、引き留めるようなことを言ってはいけないし、心配をさせてはいけないのだろう。

安心してもらえるように、毎日を精一杯生きようと思う。
そして、自分が行く時まで、どれだけ自分の胸の奥底にある光を大きく育てられるのか、大きく大きく育てられるように頑張りたいと思う。

また会える日まで。






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