最近、お姑さんとの関係がとても良い方向に変わってきたように感じる。
一緒に暮らし始めて11年、今まで表立って喧嘩したこともなく、傍から見ればとても良い関係に思われていると思う。
しかしそれまで全く違った環境で、それぞれに違った価値観を持って一家の主婦をやってきた女同士が、突然同じ屋根の下に暮らすということは、そう簡単なことではなかった。
お嫁さんとお姑さんの役割分担がうまくいって、お互いに補い合って生活できていたとしたら良い関係が築けるのかもしれないが、我が家の場合は義父母が高齢になってからの同居だったせいか、役割分担というよりも義父母のお世話をするということが双方の暗黙の了解になっていて、嫁である私自身「ちゃんとお世話しなければ」という気負いが大きかった。
また親戚たちからも「二人をよろしくお願いしますね」なんてことを会うたびに言われるものだから、余計にプレッシャーと気負いが大きくなった。
義父母と暮らし始めた頃は、なんとか義父母と仲良くやっていきたいという気持ちとお世話をしなければという気持ちが強く、特に義母に対してはストレス解消になればと思って買い物や外食に連れ出していた。
ところが、いつしか義母と二人で出歩くことに苦痛を感じるようになってしまった。
それは義母の話しを聞いていることが、だんだんつらくなってきたことが大きい。
義母の話はいつも決まって昔の苦労話なのだが、違った話ならまだ聞いていられるものの、毎回ハンコで押したように同じ話を繰り返す。
最初の何年間は「そうですか。それは大変でしたね。一生懸命やってきたんですね」と相槌を打っていたが、いつしかそれができなくなった。
話を聞いてあげると義母が喜んでくれることは分かっていたが、同じ話を聞くことが苦痛で一緒に出かけることもしなくなり、家の中でも義母の話が始まると用事があるようなふりをして、その場から離れることが多くなった。
それからだろうか。
表面上はうまくいっているように見えていても、(たぶんお互いに)微妙な感情のズレを感じるようになっていったのは・・・
義母のちょっとしたことが気になるようになって、義母の顔を見るとできるだけ早くその場を離れることを考えていた。
いつもいつも義母と顔を合わせると、決まって同じような嫌な気持ちになり、同じような行動をとる私になっていた。
そして、そんな私の態度が義母の心をかたくなにして、最終的に前回ブログでも書いたが薬が無いのが私のせいだと義母に思わせたのかもしれない。
そんなことやら、あんなことやらで、もうこのようなことを繰り返すことはやめたいという気持ちがどんどん強くなっていった。
ただし別居ということではない。
夫に相談すれば、義母を施設に預けると言うことは分かっていたが、私自身それでいいのか?と自問自答した結果、答えはいつも「ノー」だった。
今の段階で義母に施設に入ってもらったら、きっと私は後悔するだろうと思った。
じゃあ、どうすればよいのか。
そうだ、自分が義母に対して嫌になる感情や行動を変えればいいのだと思った。
とは言え、言葉で言うほど自分の考えや行動を変えるのは簡単ではない。
無理に義母の話を笑顔で辛抱強く聞こうとすれば、その反動がくることは確実だし、ましてできなかった時に「あ~ダメなわたし・・・」と落ち込むことはしたくない。
だから、自分の今までのお姑さんに対する嫌なパターンを変えたいのだということを強く自覚だけしていた。
自分の気持ちを押さえ込んでまで、無理なことをする必要はないのだとも思っていた。
こんなことを考えながら義母と接するうちに、少しずつ変化が現れた。
今までとは違ったパターンで義母と関われるようになってきたのだ。
日常のほんの些細なことであっても、面白かったり嬉しかったことを義母に教えてあげる。
すると、義母も一緒に喜んでくれる・・・
もちろん同じ話は今でもするが、以前よりずっと私の苦痛は少なく「大変でしたね」と相槌を打つ自分がいて驚いてしまう。
そして義母の態度にも変化が現れた。とても優しくなった。
これは私自身のことなので他の人には当てはまらないかもしれないが、共通することは自分は変わりたいと強く自覚して待つことだと思う。
すぐに変化は現れないかもしれないが、忍耐強く持つことで、いつかきっと意識の変化が訪れるのではないかと思った。
神が人間を含むすべてのものの創造主だとしたら、神の一部である人間が自分の感じ方や考え方を変えたいと思った時に、新たなそれらを創り出せないはずはない。
自分の意識は自分で変えることができる。そして人生は変えることができると思う。
一緒に暮らし始めて11年、今まで表立って喧嘩したこともなく、傍から見ればとても良い関係に思われていると思う。
しかしそれまで全く違った環境で、それぞれに違った価値観を持って一家の主婦をやってきた女同士が、突然同じ屋根の下に暮らすということは、そう簡単なことではなかった。
お嫁さんとお姑さんの役割分担がうまくいって、お互いに補い合って生活できていたとしたら良い関係が築けるのかもしれないが、我が家の場合は義父母が高齢になってからの同居だったせいか、役割分担というよりも義父母のお世話をするということが双方の暗黙の了解になっていて、嫁である私自身「ちゃんとお世話しなければ」という気負いが大きかった。
また親戚たちからも「二人をよろしくお願いしますね」なんてことを会うたびに言われるものだから、余計にプレッシャーと気負いが大きくなった。
義父母と暮らし始めた頃は、なんとか義父母と仲良くやっていきたいという気持ちとお世話をしなければという気持ちが強く、特に義母に対してはストレス解消になればと思って買い物や外食に連れ出していた。
ところが、いつしか義母と二人で出歩くことに苦痛を感じるようになってしまった。
それは義母の話しを聞いていることが、だんだんつらくなってきたことが大きい。
義母の話はいつも決まって昔の苦労話なのだが、違った話ならまだ聞いていられるものの、毎回ハンコで押したように同じ話を繰り返す。
最初の何年間は「そうですか。それは大変でしたね。一生懸命やってきたんですね」と相槌を打っていたが、いつしかそれができなくなった。
話を聞いてあげると義母が喜んでくれることは分かっていたが、同じ話を聞くことが苦痛で一緒に出かけることもしなくなり、家の中でも義母の話が始まると用事があるようなふりをして、その場から離れることが多くなった。
それからだろうか。
表面上はうまくいっているように見えていても、(たぶんお互いに)微妙な感情のズレを感じるようになっていったのは・・・
義母のちょっとしたことが気になるようになって、義母の顔を見るとできるだけ早くその場を離れることを考えていた。
いつもいつも義母と顔を合わせると、決まって同じような嫌な気持ちになり、同じような行動をとる私になっていた。
そして、そんな私の態度が義母の心をかたくなにして、最終的に前回ブログでも書いたが薬が無いのが私のせいだと義母に思わせたのかもしれない。
そんなことやら、あんなことやらで、もうこのようなことを繰り返すことはやめたいという気持ちがどんどん強くなっていった。
ただし別居ということではない。
夫に相談すれば、義母を施設に預けると言うことは分かっていたが、私自身それでいいのか?と自問自答した結果、答えはいつも「ノー」だった。
今の段階で義母に施設に入ってもらったら、きっと私は後悔するだろうと思った。
じゃあ、どうすればよいのか。
そうだ、自分が義母に対して嫌になる感情や行動を変えればいいのだと思った。
とは言え、言葉で言うほど自分の考えや行動を変えるのは簡単ではない。
無理に義母の話を笑顔で辛抱強く聞こうとすれば、その反動がくることは確実だし、ましてできなかった時に「あ~ダメなわたし・・・」と落ち込むことはしたくない。
だから、自分の今までのお姑さんに対する嫌なパターンを変えたいのだということを強く自覚だけしていた。
自分の気持ちを押さえ込んでまで、無理なことをする必要はないのだとも思っていた。
こんなことを考えながら義母と接するうちに、少しずつ変化が現れた。
今までとは違ったパターンで義母と関われるようになってきたのだ。
日常のほんの些細なことであっても、面白かったり嬉しかったことを義母に教えてあげる。
すると、義母も一緒に喜んでくれる・・・
もちろん同じ話は今でもするが、以前よりずっと私の苦痛は少なく「大変でしたね」と相槌を打つ自分がいて驚いてしまう。
そして義母の態度にも変化が現れた。とても優しくなった。
これは私自身のことなので他の人には当てはまらないかもしれないが、共通することは自分は変わりたいと強く自覚して待つことだと思う。
すぐに変化は現れないかもしれないが、忍耐強く持つことで、いつかきっと意識の変化が訪れるのではないかと思った。
神が人間を含むすべてのものの創造主だとしたら、神の一部である人間が自分の感じ方や考え方を変えたいと思った時に、新たなそれらを創り出せないはずはない。
自分の意識は自分で変えることができる。そして人生は変えることができると思う。