とあるTSUTAYA店員の映画日記

L'histoire du cinéma est un long martyloge.

ビートルズについて

2009-09-08 08:25:01 | Weblog
 この数週間、ビートルズを聞き直している。きっかけはリマスターの発売と音楽雑誌・スヌーザーのビートルズ特集記事だ。そういや、今日は入荷日ですな。とりあえずは、真面目に時代を追って1st“Please Please Me”から順番に。今まで「ビートルズ好き」を自称してきたし、どう捻くれて考えてみても好きなことは疑いようもないのだけど、そういえばこんなにもしっかりじっくりとビートルズを聴く機会もなかったような気がする。各アルバム、あるいは曲単位でヘビロになってたことはあるけれども。こうして改めて聞いてみると、どうも聞いてるのとそうでないので大分ムラがあるようで、ボクの場合は初期が手落ちだった。そして、いかにもすごいことを発見したかのように愚かなボクは感動してしまった。「初期めっちゃええやん!」。ははは。いや、でもボクにとっては重要な発見。これでビートルズの中で好きなアルバムを選ぶのがまた難しくなってしまった。

 ビートルズはボクにとっては最初の洋楽体験だと言える。車の中で繰り返し流れていた赤と青のベスト。だから、こうやって聞き直してみてもシングル曲のところに来ると妙に懐かしい気分が入り込んでくる。結局は、ジョンのシャウトもポールの切ない声の響きもジョージのフレーズもリンゴのビートもボクの血液の中を流れてて、もうこれはどうも抗いようがないのだなと思ったり、あるいは全体像は掴めないもののぼんやりとボクの音楽観を包み込む酸素のように思ったり。と同時に音楽を真面目に聞く者としては、ビートルズを自らと分離する、あるいは相対的な距離を計りたいとも思う。ボクは美学の人間だから、そこは作品分析!といきたいところだけど、音楽的素養もなく、ジレンマに陥っている。

 ぼやいても始まらない。

 ボクが初期のアルバムをある意味軽視してきたのは、初期のビートルズはアイドル・バンドだと思っていたから。だから、初期のシングル曲は最近はタダの懐メロ扱いになってた。その分、逆に中期・後期は大学生が聞くとやっぱり刺激が多い。特に最近のモダンサイケの源流として「サージェント・ペッパー」「マジカル・ミステリー・ツアー」あたりを聞いてきた。内省的な文系大学生にはたまらない。

 いや、考えてみるとアルバム単位で最初にはまったのは「レット・イット・ビー」だったな、なんて。なんで興奮したんだっけ?うむ。「One After 909」をやたらと繰り返し聞いてたのはよく覚えてる。

 と、まぁぐちゃぐちゃ考えてて、スヌーザーの記事を読んで納得したのが「ビートルズは最初のロックンロール・リバイバル・バンド」であるという前提。そして、「レット・イット・ビー」は空中分解寸前のビートルズ、あるいはポール・マッカートニーによるビートルズ・リバイバル、「最強のロックンロール・バンドへの回帰」の意志が生み出した星屑だったという結論だ。これで初期の4枚のアルバムに過剰反応している自分の感情にとりあえずの着地点を見出すことができた。

 つまり、ボクがビートルズ愛する所以は「ロックンロール」にある。ひとつの仮定だが、今回初期のアルバムの中に発見したのもそのロックンロールという要素だったように思う。そして、高校3年生のボクを完全に洋楽の世界に引きずり込んだのはストロークスとリヴァティーンズ、ロックンロール・リヴァイヴァルだった。運命を感じてしまう。やっぱり、こうやってうろうろといろんな音楽を彷徨っていても、ボクの琴線のひとつはそこにあり続けているのだろうか。もちろんボクにはロックンロールが何ものかってのは少しも分かっちゃいないのだけれども。

 ということで、このロックンロール、あるいはロックンロール・リヴァイヴァルをマイルストーンにしてポップ史を遡ってみるのもありかな。と思いつつ。その前にビートルズがいた60年代をもうちょっと把握しようと考えた。ということで、しばらくはそのあたりをうろうろします。

 これはスヌーザーの特集の「現在からの再解釈」って意図に反してる気がするんだけど・・・ま、いっか。逆にボクは、歴史にはあまり思い入れがなく、「今」以外で音楽を聴くことができない人間なので、違う風に聴いてみたいと思うし。

でも、もうしばらくビートルズに時間の使います。

で、とりあえず今のところのベスト、というか今最も聞きまくっているアルバム、ということで一枚。


“With the Beatles”(1963)
そういや映画『ザ・ロック』でニコラス・ケイジ扮する主人公・グッドスピード君がこのレコードの初版を手に入れて大喜びしてましたね。それはどうでもよくて、もう何が最高って“Please Mr. Postman”から“Roll Over Beethoven”、そして“Hold Me Tight”のチョーロックンロールなところ!ジョンの声の後期にはない掠れ具合がなんとも言えない。そして、ラストの“Money”。何故こんな曲が入っているアルバムをボクは無視してきたんだ。で、ジョージの“Don't Bother Me”がなぜかつぼです。

へへへ。たぶん、ビートルズをどう評価するかって結局はどこにフォーカスするか、どこに立つかってこと。ある意味それは自分の立場の表明なんだと思う。だから、ベストはずっと変わり続けるだろう。ボクは今はなんの邪念もなくこの2ndで踊っている。とりあえず、今はそのことを大切にしたい。

さぁ、ビートルズ祭りの朝が来たぞ~い!!!!!

貧乏なボクはとりあえずは売る方に専念するしかないんですがね。

へへへ。。。

METAMORPHOSE 09 に行ってきました。

2009-09-07 10:42:02 | Weblog
楽しかったです。ただやっぱり一晩ってのは短いですね。バスに乗ってた時間の方が長かったし。その分、体力的には限界まで遊んだ気がする。初めてのイベントだし、メインをプレフューズからリッチーと決めて、あんまり無理せずに雰囲気重視でイベント自体をのんびり楽しむってのが当初の目的だったのですが、始まってしまうと「一晩踊りきってやる!」と俄然張り切ってしまって、オープニング(18時)からクローズ(翌9時)までほぼ無睡(例外:ラリー・ハードの後、30分ほど道端に倒れていた)、つまみ食い程度のものも入れると全時間帯のアクトで踊るという無茶やってきました。ちなみに一緒に行った老人の二人はリッチーで大はしゃぎした後、テントで3~4時間しっかり寝てはりました。ふふふ、25になったと言え、まだまだやれるぜ!(T先輩曰く、「25~28くらい、この3・4年はでかい」そうです。)

見た順番はこんな感じ

ゆらゆら帝国→NUJABES→EYE→GAISER→LOCO DICE→PREFUSE 73→RICHIE HAWTIN→LOTUS→LARRY HEARD→LOS HERMANOS→CALM

一晩でこんだけ見たら、高い金払って伊豆まで行ったかいもあったというものです。

言うまでもなくプレフューズ~リッチーってのがベストの時間帯でした。

プレフューズは初めて。めっちゃ面白かった。しかし、もう序盤から何をやってるのか意味不明。マイクを常に握りしめ(二本同時に使ってる時もあった)、何やら自分の声をリアルタイムで加工してサンプリングしている模様。だけど、どれがもともと用意されてたヴォーカルなのか、というよりもどれが人間の声なのかもほとんど判別不能。BPM80あたりでビートを1分刻みで変え続け、サンプリング音の洪水を生み出していく。まさにサンプリング地獄。なのに、芯にはしっかりグルーヴがあって、体が動かされるという不思議な体験でした。これは屋内で、しかも長いセットでもう一度体験したい。

リッチーは去年のフジ以来。去年のフジは二日目の3時~5時って時間帯だったこともあって、ボクは体も頭もふにゃふにゃでただ音を浴び続けるって感じでした。それはそれで完全に非日常体験でおもしろかった(ようなきがする?w)んですが、意識飛んでたところも結構あってあんまり覚えてないのも事実。ということで、今回はしっかり照準を合わせて楽しんできました。音のレイヤーが多くて、単純なループの繰り返しの中でこれだけよく多様な表情をつけていけるものなんだと、素直に関心してしまいました。あの硬質だけど広がりのあるベースラインとキックの解け合い具合が最高で、その低音にあまりにも多様な電子音が絡む。2時間ずっと踊ってても全然飽きないです。てか、時間が足りへん。序盤あげまくりだったので、「こんなまま2時間やられるともたないぞ」と思っていたら、中盤はドープな時間帯に突入。序盤のフリがあったから、「いつくるねん!」ってオーディエンスの期待を焦らしに焦らしながら、ラスト30分にいたるまでひたすらミニマルになっていくあたりは圧巻でした。終盤ベースがようやく唸り出したあたりで、「ありがとう!!!」って叫びながら跳ね回ってたお兄さんにウケました。

他にも、

初めてのゆら帝はドラムとベースとギターでこんなにも面白いことができるのかって音楽をやり、「こんばんは、ゆらゆら帝国です。」「ゆらゆら帝国でした。」しかMCしないってストイックなのか、冷めてんのかわからん感じがよかったり、先輩とはぐれて「どうしよ?」ってなってる時にEYEがそれを忘れさせる変な音を出してくれてたり、ゲイザーの生真面目なテクノに頭が冴える感覚を味わったり、明け方のラリー・ハードのハウスに「眠気と疲れと酔いのピークに、薄明かりと冷たい空気、そしてこの音楽でこそ!」って恍惚をもらったり、ロス・ヘルマノスの朝の強烈な日差しと山の冷たい風の中でこの日一番のステップを踏ませるブラック&ラテンビートに、枯れきった体からもう一度熱い汗が沸いてきたり

と、楽しみました。

ビールもたくさん飲みました。オフィシャルのビールが缶コロナだったんだけど・・・結構おいしかった。ロケーションのこともあるだろうけど、とりあえずコロナ否定発言を半分は撤回したいと思います。やっぱり生が飲みたかったけど、10本以上おいしくいただいたので文句言えない。ゴミのデポジット制も楽しかったしね。

来年も行きたいです。

これで、夏は本当に終わり。

勉強するぞ!

No?Reply?

2009-08-31 03:47:45 | Weblog
ちょっと異常ですね。ビックリました。

蓋を明けてみれば争点は結局、政権交代やったってことでしょう。

起きて新聞を読んだ時、ニュースを見た時、与党に入れた人も、野党に入れた人も、本当にこの結果を冷静に受け止めて欲しい。

興味のない人も少しぐらい興味を持って欲しい。

今回の争点が「政権交代」だとすれば、要するに争点は「NO」だったように思う。民主党の政権交代を押しまくる選挙戦略が結局は有効だったってことです。逆に、今回の選挙で「YES」と思って投票した人はどれだけいたでしょうか?

「NO」の選挙だとすれば、それはそれで意味があることだと思います。

これで「日本が変わるとか」「歴史が変わるとか」はボクは考えていません。

ただ、ボクたちにもNOと言える可能性があるということを示しただけ。

ま、それもひとつの結果だし、「国民の声」なのでしょう。

それはひとつの意味として、受け止めるべきだと思います。

ただ、NOの裏にあるのはYESではなく、限りなくNOに近いYES、かもしれないと

あなたには知っていて欲しい。

そう思った次第であります。




『ディア・ドクター』

2009-08-25 11:15:06 | Weblog
 西川美和の新作を見に劇場に足を運んだ。なんと公開、最終日。それが示す通り、現在西川美和という作家にあまり興味を持てない自分がいる。『ゆれる』公開時にはあれほど興奮していたのに。今回、最終日に劇場に駆け込んだ理由は二つ。一つは「好きな作家」西川美和の新作を見なければならないという義務感。もう一つは、何故興味を失ったかを知りたかったから。それが今の日本映画にボクが感じている何かしらの物足りなさの理由を考える鍵になるだろうと考えたからだ。

 ある山間の小さな農村。小さな診療所の医師・伊野は、老人が多いこの村にとってなくてはならない存在であった。映画は彼の失踪事件に始まる。笑福亭鶴瓶、余貴美子、香川照之、松重豊とキャストは渋く堅めてある。安心感がある。物語の一つの「嘘」が巻き起こした事件の真相を追いかけるという構成も上手い。安心感がある。そう、全てが西川美和らしい「上手さ」で構成され過ぎているのだ。それが生む予定調和、これが今回のキーだろう。

 つまり、足りないのは破滅への空気。物語の破綻。彼女の映画はまるで上質な絵本のようである。子供に伝えるべき何らかの簡単なメッセージを、さらに分かりやすく伝わりやすく寓話化しているかのようなのだ。しかし、作品を見たところで、その奥に透かし見ることができるのは、結局最初から用意されていた簡単な数行、数語で言語化可能なメッセージでしかない。確かに映画としては上手くできている。考え抜かれた構成、言葉ではなく映像で語ろうとする姿勢、医療問題を扱った現代日本的なテーマ。どれをとってもよくできているが、逆にどこかにフォーカスできるほどのパワーがない。その理由は、全てが西川が真面目に真っ直ぐに考え抜いた結論であるからであり、それを逸脱する「狂気」がないからだ。その真面目さを悪くは言えないが、やはり物足りない。テーマが空っぽならもっと強烈な映画手法で押し切って欲しい。社会を告発するなら絵本的寓話によるアレゴリーではなく、寓話の破綻によって訴えて欲しい。いや、それ以上のボクの想像できないような「狂気」が欲しい。

 今回の『ディア・ドクター』はその真面目さ故に、今の日本映画に足りないものを逆照射することになったと思う。少なくともボクにとっては。あと一歩。次こそは「西川美和らしさ」を突き抜けてほしい。

ところで、梅雨は明けたのか?

2009-08-07 03:19:32 | Weblog
スカッと晴れて、「今日は一日暑かったし、ビールがうまいなぁ」という日々はいつになったらくるのかな?とか、探り探りやってるうちにサマー・ソニックですね。彼女の誕生日だ、集中講義だ、とやってるうちにフジ・ロックの写真を現像もしないうちにサマソニがやってきて、「このまま夏が知らぬ間に終わるのではないか」という強迫観念にかられるというのが、毎年の恒例です。でも、順調にビールの消費量は増えております。何のこっちゃない。いつも通りです。今年は7・8・9月のビールの消費量をリットル計算してみようかと一瞬考えたのですが、怖過ぎてやめました。

とにかく、明日は晴れそうでうれしい。明日は室内(ソニック・ステージ)に引きこもる予定。Sonic Youthを見るか、WARを見るのかかなり迷っていますが、それ以外は基本的にソニック・ステージにいるので、ビールを持って会いにきてください。しかし、去年からビールがハイネケンからコロナにかわったのが許せない。レモンを入れて飲むようなビールはビールではない!

ま、何にせよやっぱり楽しみになってきた!このタイミングでやっとって感じではありますが。

やはり明日のメインはFlaming Lipsです。大学に入って仲良くなったガリガリ君から誕生日にもらった「洋楽おススメMD」(MDってところに時代の変化を感じます)の1曲目がRace for the Prizeだった。サイケデリックという言葉が音楽を形容し得るってことも知らない頃、この変な音楽が妙に耳に残ったのを覚えている。んで、06のサマソニ。何を血迷ったかダフトパンクを蹴って、リップスを見て。号泣。「地球上にこんな場所があるのか」と素直に感動した。明日はあの場所へもう一度。血まみれのウェインが待っている世界で最もハッピーで悲しく美しい平和な混沌へ。

明日は水筒にワインを詰めていこうと思います。


そうそう。昨日、初めてサプライズ・パーティなるものを体験。ボクの誕生日まで、まだ2週間ほどありますが、ボクの愛する美学棟の住人たちが早めのバースデー・パーティを催してくれました。ただの飲み会だと思って行ったので素直にうれしかった。このパーティはボクだけのためじゃなくて、同じ年の同じ日に生まれたということが最近発覚した美学棟の1つ下の階の住人のためでもありました。こんなに身近に誕生日が同じ人がいるってだけでも驚きだったのですが、まとめて祝ってもらえる機会があるなんて。いやはや。

ありがとうございました。


さて、寝るか☆

雨上がりの夜空に

2009-07-28 16:02:45 | Weblog


天国から帰ってきました。荷物も遅れて先ほど帰国。片付けるのがなんともおっくうで、まだ余韻を楽しみつつ疲れた体を甘やかしてます。今日から、あるいは昨日から社会復帰している皆さんには申し訳ないですが、これもまだ学生をやっている特権として、ありがたく享受させていただきます。来年からはどうなるかわからんし!

言うまでもないですが、いやぁもうそりゃあ最高に楽しかったです☆

たくさん歩いて、たくさん聞いて、たくさん踊って、たくさん食べて、そんでたくさん飲んだ。

前夜祭、1日目と大雨で、友人が「荒行」だと言ったようにかなり過酷でしたが、大量の雨風を浴びながらも自分でもびっくりするぐらいタフに楽しめたのは参加4年目の今までの経験と、雨よりも大量のうまい酒とそれにもまして大量の最高の音楽を浴び続けていたことと、雨も含めてすべてを共有した最高のバカどものおかげだと思います。2日目、雨がおさまって太陽が拝めた時は、奇跡かと思いました。ハナレグミと一緒にみんなで歌った『明日天気になれ』のおかげだとこっそり信じています。

いろいろ聞いたけど、ベスト・アクトは最後にして最高の馬鹿騒ぎをさせてくれた Basement Jaxx 。ベスト・ソングはアニコレの“Summertime Clothes”。ベスト・ビールは2日目、待ちに待った日差しの中で最初に飲んだエチゴビール。ベストフードは、今年も3日目の昼に友人と一緒に食べた天国バーガー。ベストタイムはホワイトの高橋幸宏を横で聞きながら、ところ天国で三日月を眺めてた時。

いや、正直全部がベストです。

大学3回で初めて参加して以来、今年で4年目。人生の先を迷ってた時に「こんなところがあるならばどうにでもなる」とふっ切れたのはフジロックのおかげ。学生として参加できるのは今年で最後やけど、この先どんなことになってようとあそこには帰る。そういう決意のもとにこう言うことにしましょう。

また、来年。

あそこで出会った全てにありったけの感謝を。

上空に歓喜が停滞してるから今日は涼しいんだってさ。

2009-07-04 03:37:58 | Weblog
窓開けて全裸で寝てたら風邪引きますよ。

フジへの夢想が頭をもたげております。発表の準備を放ったらかして、タイムテーブルを眺めたり、去年のパンフレットを引っ張り出してきてCSSのメッセージに書いてある「SHIRIKUSO」ってなんだ!って笑ったりしてます。

雨が多くてジメジメして、煙草がうまい梅雨がやってきました。湿気が多くなってくると、Basement Jaxx が聞きたくなります。体中に張り付いた気持ち悪い汗を自分の汗で流してしまいたくなる。雨の中で踊りたくなる。ご安心ください。最近はあんまりやってません。あんまりね。

先週、久しぶりに高校の友人から「くるりの新譜に付いてる板はなんなんだ!?」と突然電話がありました。実はボクは店のサンプルを聞いてるので未見ですが。ほんでその時に、「どうしてんの?」と聞くと「いつ死んでもいいような生活をしてる」と本気とも冗談ともとれない口調で返ってきたので飲みに行ってきました。なんのこっちゃない、いつも通りだったので安心しました。一緒に靭公園の芝生に寝そべって、浴びるように缶ビールを飲み、池で水遊びして、抱き合って別れました。普段からアホやってますが、高校の友人に会うとアホさがさらに加速します。翌日、24歳にもなってアホなことをやってるなぁと幸せを感じました、とさ。

めちゃ楽しかったんですが、一年後にはこんなことはできなくなってると思うとちょっと寂しいな、とさ。

なんか普通のことを言うてしまってますね。

最後の夏休み(6年ほどずっと夏休みやってますが)なので、この夏は(も)しっかり遊ぼうと思います。とりあえず、うちの家の屋上でバーベキュー&ダンス・パーティしたい!

ロシアから友人も帰ってきたので、もう最強です。めちゃうれしい!お帰り~!飲むぞ~!

さてさて、7、8、9の三ヶ月にボクはビールを何リットル消費するのでしょうか。


とか言いながらその前に、発表です。やだな~ってあんまり思わないのですが、準備があんまり進まないからやっぱやだな~w

まだ、成瀬やってます。今度はついに代表作に手を出すつもりなのですが、いかんせんつかみ難い男であります。

 成瀬巳喜男は1930年に松竹で監督としてデビューし、1934年に東宝の前身であるPCLに移籍、その後1969年にこの世を去るまで、東宝を中心に活動した。成瀬は日本映画の2つの黄金期とされる1930年代と1950年代に名作を数多く残し、しばしば日本映画の絶頂期を支えた監督の一人であると映画史上で語られる。また1980年代以降、国際的な再評価の動きがあり、溝口、小津、黒沢に並ぶ日本の映画監督として国外でもその名を知られるようになった。代表作は『君と別れて』『夜ごとの夢』『妻よ薔薇のように』『めし』『おかあさん』『稲妻』『あにいもうと』『山の音』『浮雲』。。。

成瀬巳喜男が分からないと言い続けながら、誰よりも成瀬巳喜男を知っている気になっているボク。本当に分からないのだが、分かってたらテーマにしてるかいがない、と。

『浮雲』を繰り返し見てるのですが、見る度におもしろくなっていくこの映画はなんなのか。

舞台は戦後。戦中に、インドネシアで出会ってプラトニックな恋に落ちた二人が、日本に引き揚げてきて、戦後の混乱の中を付かず離れずのぐだぐだな関係を引きずって彷徨い歩くという、ほんとにイライラするぐだぐだの暗~い、暗~い恋愛劇。ただ男と二人でいたいという気持ちを執拗に持ち続ける女と、SATCのビッグを腐らせて卑屈にして森雅之に憑依させたような優柔不断な男のやりとりを延々2時間追っかけていく。

せやけどなんともすばらしい映画なのです。

まず、映像が美し過ぎる。セット撮影とは表現者が完全に光を掌握するためにある。幾重にも重ねられた光はフィルム上に自然光よりも優しく、冷たく、暗い光を刻印することが可能である。成瀬は視覚情報を表す全ての形容詞の中間にある「エモイワレヌ」光景を永遠の中に閉じ込める術を知っていた。

この映像をフィルムで見たら恐らく泣いてしまうことでしょう。でも、こんなこと論文に書けない。

そして、この映画が最もシンプルな映画言語で成立しているのにも驚嘆してしまう。男と女、そしてその二つの対象を繋ぐ切り返しのフィックス・ショット。映画はそれだけでいとも簡単に言語を飛び越える。でも、成瀬の場合はヒョイッとって感じではなく、一反木綿のようにふわふわっと。

こっちをなんとか論文におこす予定。

しかし、理解不能なカットが多いのも事実。え~?なんでここでこれ映すの!?てか、なんでここでこれフレームに入れへんねん!みたいな。これが困った。それを説明したかったりする。


なんのこっちゃない、いつもの発表前のぼやきです。


セックス・アンド・ザ・シティがいよいよシーズン6に。シャーロットがついにクリスマスを捨てました。最近のお気に入りキャラは「性格ブス」のアンソニー。スタンフォードファンの彼女ともめてます。「なぜゲイの吹き替えはオネエ口調なのか?」と違和感を感じますが、アンソニーの吹き替えは好きです。「ちょっと、エビの人~!」っと、パーティ会場でオードブルを運んでたウエイターを追いかけて消えていったアンソニー。いい人を見つけてください。


くるりの新譜がいいです。Youtubeで『魂のゆくえ』のPVを見まくってたのですが、消されちゃいましたね。岸田の寝顔がもう見れない。それはどうでもいいのですが「魂のゆくえ」を常時探索中のボクは「輝かしい未来は胸の中で咲く花のよう。そこで揺れたものは魂のゆくえと呼ばないか」とか言われるとイカンです。アルバム中では『太陽のブルース』→『夜汽車』と『かごの中のジョニー』→『魂のゆくえ』の流れが好きです。今のところベスト・トラックは『デルタ』かな。真っ赤な嘘を食べてしまおう!ふふふふふふ。なんか『ピアノガール』を思い出させる感じ。くるりはいつも近いところにいてくれるような、遠くで漂っているような、ただ他人のような気がしないというか。ふふふふふふ。


と、まあ駄文はこのくらいで。

最近、Youtubeの画像が貼れるようになってうれしがって、なんやかんや貼ってみてますが、

今日はこれ!




ボクは白昼夢信者☆

I need another place to go

2009-06-14 04:28:38 | Weblog
ここ半年間、いやかれこれ約1年ほど頭を悩ませていた研究会が無事終了。いろんな人に迷惑をかけまくって、いろんな人に謝って、助けてもらって、なんとかなりました。ほんとにすみませんでした。そして、ありがとうございます。
発表は2本とも面白かったし、いろんな意味で刺激の多い懇親会だったし、個人的には満足。ただ、今後の研究会の「ゆくえ」が気になる。ボクはO先生の帰還を心より願っています。どうなることやら。傀儡幹事は今日も行く。

前回ちょこっと書きましたが、就職活動が終息を迎えそうです。先週、今週で、3回も東京に行き、役員面接を3つもこなしました。もうこれでほんまにや~めた。

ここんところ生活にリアリティが全くない。ボクという断片を、煙草の吸い殻のように火が消える度に道に投げ捨てていっているよう。全部拾い集めても結局はゴミの山である。そもそも、どこに捨てたかも覚えてない断片がたくさんあるような気もするし、そんなものなかったようにも思う。はて、どうしたものか。

中心がない感じは慣れっ子になってて、最近はそれを楽しんでたし、それが自信でもあった。いや、今も楽しんでいるのだけれども。さっき、なんとなく「これからどうなるかな?」と何の不安も期待も感じずにぼんやりと考えている自分を振り返ってみて、ちょっとだけ不安になった。

そんなふにゃふにゃな生活の中でリアリティのありかを発見。

Akron/Family & Deerhunter @ 十三Fandango

今まですばらしいライブはいくつも体験してきたつもりだけれども、奇跡と呼べる瞬間を体感したのはこれが初めて。最近「すごいことになっている」と友人から散々聞かされていたUSインディ。これは、ほんとにえらいことです。そんな中心になっているブルックリンとかからは、とお~く離れた風俗街の片隅の小さなライブハウスでの、十分すぎるほど彼らが生み出す知的でクールで内省的で、そんなことどうでもよくなるくらい熱いパフォーマンス。ただ聞けたとかじゃなく、体験したとかじゃなく、あの一瞬間違いなくその「すごいこと」の中心に立てたと思う。ほんとによかったよマイルス~☆

これがボクのリアリティなのか。ははは。

最近ヘビーローテーションは、
Antony & The Johnsons / Another World
Fleet Foxes / Tiger Mountain Peasant Song
この2曲。

アントニーはもう何も言いません。狐ちゃんはついこの間、急にストンときました。

さて、こんなことをグダグダ書いている余裕はなく、もう少しで発表です。

成瀬とのかくれんぼをまた再開することになります。今度は『浮雲』をテーマに真っ正面から真剣勝負を挑もうと考えておりますが、まだ覚悟が決まらず、手がつかず・・・また、高峰秀子のあの鼻にかかった声を毎日聞く日々がくるのかと思うと少々ぞっとします。

と、言いながら明日はもう一度『グラン・トリノ』を見にいく予定。

今度こそ、ここになんか書きます。

では、おやすみなさい。





Like A Rolling Stone

2009-06-06 17:20:06 | Weblog
「転がる石のように」という、このボブ・ディランの曲がボクの就職活動の1番のテーマソングです。

これを聞きながら面接会場に向かうのは、

ちょっとシニカル過ぎかな、あるいはヒロイック過ぎかなとも思いますが、

気分が盛り上がるからいいのです。

変な方向にやけど。

You used to laugh about
Everybody that was hangin' out
Now you don't talk so loud
Now you don't seem so proud
About having to be scrounging for your next meal.

How does it feel
How does it feel
To be without a home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?

連日夜行バスに乗り、大阪と東京を往復し、この曲を聞き、

「おれは放浪者だ」とかアウトローを気取りながら

安いビールを煽り、眠りにつく。

先の分からないこの状況に、

すごく自由だなと感じ、

すごく不安にもなる。

それはボクには帰る場所があるから?

でも、先のことなんてわからないでしょ?

「10年後の自分像は?」というエントリーシートの定型の質問がありますよね。

「どうなってるか分からない。それが楽しみでもある。」って書いたら

落とされました。

当たり前か。

今のボクが放つ

How does it feel?って質問には

絶対笑って答える。その答えがなんであろうとも。

それくらいしか言えへんもん。

とかなんとか。

でも、就職活動もそろそろ終わり。

どう転ぼうと来年は東京なので東京住まいの皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。


こんなこと言っているのは東京からボブ・ディランを連れて帰ってきちゃったから。


就活の用事と偶然タイミングが合ったので、爆音映画祭に行ってきました。



爆音映画祭っていうのは、吉祥寺のサンロードの中にあるバウスシアターって映画館で行われているイベントで、
文字通り映画を「爆音で」上映するというもの。


映画が放つ膨大な情報の中で「音」という側面に、意識を持っていくのはなかなか難しい。
特に、初対面の映画だと。でも、当たり前ですが映画の「音」こそ映画館で聞くべきなのです。
その「音」という側面に焦点を当てたイベントです。
「爆音」といってもご心配なく。大雑把に言うと、音量はクラブのフロアくらい。
音質は最高。普段、映画館では味わえない、「音に包まれながら映画を見る」という感覚を味わえます。
来週もまだやってるので東京在住の方は是非。
大体、一般のロードショーの終わっている映画をかけているので、DVDなどで予習してから見に行って発見を楽しむのがおススメかと思います。

詳細はこちら→爆音映画祭HP


んで、そこで見たのがこの映画。



画像でか過ぎた。でも、このポスターかっこいいですよね。
トッド・ヘインズの『アイム・ノット・ゼア』です。確か公開はちょうど1年ほど前。前回はテアトル梅田(誤→正:梅田ガーデンシネマ)で見ました。その日は雨だったことをよく覚えてます。全くいらん情報ですね。
トッド・ヘインズは『ヴェルヴェット・ゴールドマイン』とか『エデンより彼方に』を撮ったアメリカの監督。
ボブ・ディランというのあまりにも多様な側面を持つ一人の人間(イメージ)を6つのパートに解体し、6人の役者がそれぞれを演じ、1966年のバイク事故を基点に映画として再構成するという、かなりの意欲作です。映画の本質の部分に「バラバラな素材を構成することによって一つのイメージを形作る」ということがある。モンタージュ。監督はその映画の性質にかなり意識的で、ボブ・ディランという複数のイメージの集合体を、「この人はどこにもいない、何ものでもない」まるでイメージの断片の集積である映画のような人物であるとし、みごとにこの捉え所のない現在進行形で流転していく天才を描くことに成功しているのではないだろうか。
ま、こんな感じ

一回目見た時は、おもしろいとは思ったものの、租借(誤→正:咀嚼)しきれなかったな感が大きく残ったままだった。ボブディランのことを全くと言っていいほど知らずに見てしまったのが一つの原因かと思うけれども、それ以上に頭使って見過ぎたからかボクの中にはパートごとが分離したまま残ってしまったというのが大きな原因かな。この作品で主眼に置かれているのは、第一にボブ・ディランの分析/解体であるけれども、その先にある再構成/再構築ってところがより重要。その各パートを繋ぐキーとなるのが彼が生み出した豊かな音楽であり、それをいろんなミュージシャンがカバーすることよって生まれるもう一つの再構成である。要するに1回目見た時は、ボクの意識がどうしても「映像>音楽」という比重になってしまってたからかな。
後で考えてみると、なんとなくそれが悔しくてもう一回見たいと思っていた。そこになんとも絶好の機会を見つけたと。
よかったです。ボク自身が「おりゃ!」と気合いを入れて音を意識して見る必要がまずない。それ以前に映像よりも近いところに音楽があるので、音楽と映像が同じラインに並んで、あるいは通常の映画館ではなし得ない特異でありながら絶妙のバランスで感覚を刺激する。言葉ではなかなか上手く言えないけれども、「あ、なるほど」と妙に納得しながら作品に身を任せられたと思う。
エンドロールの最後に流れるのがAntony & The Johnsons の“Knockin' On Heaven's Door”だったことをすっかり忘れてて、大音量であの歌声が流れた瞬間に鳥肌が立つという「忘れてよかった」サプライズで大きな感動と共に映画は終わりました。
個人的にはやっぱりケイト・ブランシェットのパート、ロックスターとしてのボブ・ディランのところが好きです。やっぱりかっこいい。しかし、ここのケイトはすごいわ。その次がヒース・レジャーとシャルロット・ゲンズブールのパートでしょうか。ヒース・レジャーのキャリアって、ほんとにこれから行くぜって上り調子やったのにねぇ。どうしても、画に現れている以上に哀愁を被せて見てしまいました。ジェームズ(誤→正:ジェームズさん)のところもよかったよ~(ガリガリへw)。


DVDも出てるので是非見てくださ~い。




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今日も夜行バスで東京に向かいます。

もうちょっとだ。もうちょっと・・・。

最近は映画館にあまり行かず、ゴールデン・ウィークぐらいから始めた「イーストウッド祭」を継続中。

音楽は・・・フジへの夢想とボブ・ディラン、そして火曜日の十三ファンダンゴでのアクロン・ファミリーとディアハンターに行くか未だ迷い中・・・。

おりゃ!






こんな夜に

2009-05-05 03:26:23 | Weblog
おまえに乗れないなんて

どうしたんだ!!?

どうしたんだ!!?

どうしたんだ!!?


あなたの姿を

ジンライムのようなお月さまの下で

一度は見れると思ってた。


あと付けだと思われるかな?

でも

いいや

とにかくありがとう

本当に悲しい。

今日の

いや

今週の

いや

一生の

いや

明日の

涙を

あなたに

そして

未来を