大佗坊の在目在口

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犬山城と瑞泉寺塔頭寺院

2017-04-05 | 

寂光院から犬山城址に向かった。犬山城への入口には二つの神社、三光稲荷神社と針網神社がある。どちらかの神社を通らないと天守閣には近づけないようなので「犬山城への近道」と案内板のあった三光稲荷神社(御祭神は宇迦御魂大神、猿田彦大神、大宮女大神)の横を通る。
 
 
それにしても春休みが始まったせいか、中学生か高校生らしき若い人達であふれていた。この辺りでは他に行く場所がないのだろうか。犬山城は天守が国宝指定された五城(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)のうちの一つで、犬山城天守は現存する日本最古の様式だそうです。
 
帰りは針網神社(尾治針名根連命(主祭神)、 玉姫命 伊邪那岐命 菊理姫命 大己貴命 建筒草命 建多乎利命 建稲種命 尻調根命(尾綱根命) 大荒田命)を通る。
 
 
犬山遊園駅東側、諸国城之図では瑞泉寺を中心に塔頭寺、寺と記載のある瑞泉寺と塔頭寺の龍泉院、龍済寺、臨渓院、輝東寺、臥龍寺を廻った。

青龍山龍泉院は景川宗隆禅師(妙心寺四派の一つである龍泉派の開祖)により応仁二年(1468)、瑞泉寺塔頭として創建された。天正十二年(1584)、小牧長久手の戦いで犬山城主の留守を豊臣方の池田信輝に攻められ討死した三世中川清蔵主の墓がある。平成八年に開祖没後五百年の遠諱(おんき)を行い、本堂や庫裏など伽藍を一新したという。
 
 
青龍山龍濟寺は文安三年(1446)、雲谷玄祥禅師によって建立、本堂裏手に五百五十年前そのままに続く雲谷庭という禅庭があるという事だが、どなたも居らず、残念ながら拝観出来なかった。龍濟寺に貞享三年(1686)、仁渓彗寛により著された「青龍山端泉禅寺記」が残っている。
 
 
臨溪院は妙心寺四派、聖澤派開祖東陽英朝禅師を開創として文明十四年(1482)に創建、永禄八年(1565)兵火に遭い全焼、その後、寛永九年(1632)、時の犬山城主成瀬正虎により再建、成瀬家菩提寺となった。山門の東南の高台に墓所があると聞いたが、今回は内陣横の安置された位牌をみせて貰った。境内にいた女性が「どうぞ、どうぞ」と本堂の中や位牌所を案内してくれたので、お寺の方だと計り思っていたら、最後に詳しい事はお寺で聞いてくれと外に出て行ってしまった。なにか悪い事をしたように直ぐお寺を出てきてしまった。壇家さんだったのだろうか。
 
 
 
臥龍寺は妙心寺四派、東海派開祖悟渓宗頓により開創、延保七年(1679)、泰崋義仙によって再建される。山門の前がえらく狭くなっていたが、この辺からの犬山城が正面になり、眺望がすばらしい。境内に不思議地蔵尊が祀られていた。京都の若い女性に大人気のお寺を思い出した。
 
 
輝東寺は文明元年(1469)、妙心寺四派、霊雲派開祖特芳禅傑大和尚が瑞泉寺住職として入山の時、はじめ輝東庵として創建、織田信長の犬山城攻略により焼失、その後再建され、本堂は顧鑑和尚の時、尾張徳川家により寄進されたという。山門で寝ていた犬が目を醒まして激しく吠えるので、頭を撫でたら大人しくなった。ご住職が不在の時は、留守番がてら犬が山門に繋がれているようだ。
 
 
輝東寺の下側に内田弘法大師御田跡があった。寂光院の拝領地だったのだろうか。
 

犬山 青龍山瑞泉寺

 

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