大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

琵琶湖 湖東三山(西明寺)

2015-10-12 | 

数年かけて琵琶湖の湖西、湖北を廻った。今回は湖東、湖南のお寺を廻ってきた。
今更だが、貰ったパンフに琵琶湖の由来が書いてあった。この湖は古くから万葉集・源氏物語などに鳰(にお)の海、近江の海、淡海、水海と詠まれていたという。木村至宏氏「近江学概論」によると、14世紀初頭、比叡山延暦寺学僧光宗が「水海の形は琵琶の相貌なり」と観想したという。元禄二年(1689)、原田蔵六の「淡海」に、湖水を琵琶湖と名づくは、竹生島の天女音楽を好み給ふ故、海を琵琶湖になずく」とあり、この頃に名が広まったという。慌てて滋賀の地図を見た。三百年以上も前とは地形も変化しただろうが、琵琶に似ている様な、似ていない様な。竹生島の琵琶を持つ弁財天と密接な関係を物語っているという。琵琶湖の西には延暦寺・園城寺といった大きな寺院が在る為か地域の信仰が暮らしと結びついて寺社仏閣も多い。滋賀県のH・Pによると、国宝・重要文化財の八割が京都市に集中しているのに比べ、滋賀県では大津市でも四割にすぎなく、都道府県別人口10万人当たりの寺院数は全国第1位だという(H20年度)。

琵琶湖の東側、鈴鹿山系西側の山麓にある天台寺院、西明寺、金剛輪寺、百済寺の湖東三山と東近江高野の永源寺を廻った。近江電鉄にも乗りたかったのでJR近江八幡駅から近江電鉄八日市駅からスタートすることにした。
 
 
西明寺の号は龍應山、承和元年(834)に三修上人が仁明天皇の勅願により創建、戦国時代に織田信長の焼き打ちにあったが、本堂・三重塔(国宝)、二天門(重文)は火難を免れ、のち江戸時代に興廃していた寺を天海大僧正等の尽力により、望月越中守友閑が復興した。庭園「蓬莱庭」(国指定名勝庭園)は友閑が復興の記念として造園したと伝わる。望月友閑とはどのような人物だったのだろう。
 
  
 
 
西明寺は紅葉と不断桜が有名だが、最近では、人工的に増やした紅葉や桜を観るよりもシーズンを外したひと気のないひっそりとした佇まいのお寺を訪ねるのが好きになった。不断桜は秋冬春に開花する高山性の桜で彼岸桜の系統の冬桜だという。
中門を入り右手は庭園の入口、不断桜は左手の奥にあった。まだ早く、花びらは殆ど見られなかったが、それでも気の毒に想ったのか、眼を凝らすとやや小さな白色に近い数輪の花びらが咲いていた。
 
 
庭園から本堂への道を行く途中、緑のビロードを広げたような苔が綺麗に育っていた。昔、銀閣寺に行った時、「良い苔、悪い苔」が展示されていた。西明寺の苔は多分、「良い苔」の種類なのだろう。
 
 
二天門に続く参道の両側は石垣なのか石塁なのか判らなかったが、緑のトンネルを通っているようで、古刹の雰囲気を十二分に味わうことが出来た。
 
 
 
湖東局風景印は天然記念物花の木と湖東三山鈴鹿連峰
  

琵琶湖 湖東三山(金剛輪寺)

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