大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

奥びわ湖の観音さま

2012-01-12 | 

通勤客に混ざって湖西線を使って京都から永原駅に向かう。途中までは学生で賑わっていたが永原に着くころには誰もいなくなった。東側の対岸が見えると思ったら20キロ近くあるそうでお日さまが現れたらまるでどこかの海岸線を通っているみたいだった。やはり琵琶湖は大きい。永原駅のホームは高い所にあり、高架駅だと思い、長い階段を下り改札を出て見上げると何か土手の上にホームを乗っけたような変な造りの駅だった。二日目は永原駅の近くの西浅井町山門地区からスタートした。

 

 

 

和蔵堂(善隆寺・西浅井町山門)十一面観音菩薩は頭上に頂上仏面と10の化仏を配した一本作りで平安時代後期の作という。

 

山門地区の公民館(西浅井町山門)で今回の旅で初めて馬頭観音菩薩に出会った。この地区に馬頭観音が多く祀られていることは古より都と北陸を結ぶ道として物資の輸送の多かったことを物語っている。ほとんどの観音様は穏やかな表情なのに対し、馬頭観音は目尻を上げ、髪は逆立ち、怒ったお姿なのは何に怒っているのだろうか。

 

 

 

 

普門山徳円寺(西浅井町庄)馬頭観音菩薩はこのお寺のご本尊で足指を揚げ踵で立っている珍しい立像で、堂内で同じように真似をしたが指先はまったく上らなかった。

  

腹帯観音堂(西浅井町大浦)十一面観音菩薩はびわ湖百八霊場、また湖北二十七名刹霊場の第六番に指定され、安産祈願の観音として多くの信仰を集めており、皇室からも腹帯祈願を求められた観音様として有名。

 

 

白木山地蔵堂(余呉町川並)聖観音立像は琵琶湖の北端にある周囲約6、4キロの余呉湖、その西岸の集落が川並、そこに、地元の人に白木の観音様と呼ばれている観音が川並地蔵堂に祀られている。

  

久澤山全長寺(余呉町池原)全長寺境内観音堂に、池原村別所山上にあった別所万福寺の本尊であった馬頭観音菩薩像が安置されている。全長寺は賤ヶ岳合戦で柴田勝家の身代わりにとなり、討死にした毛受兄弟の菩提寺で大きな達磨画が有名。

 

 

光勝庵(余呉町国安)片岡山安養寺十一面観音菩薩は現在、光勝庵に収蔵されている。安養寺は神仏離廃令により破却、廃寺とされ円通庵に遷仏、さらに明治九年に円通庵から光勝庵に遷仏され、この観音像は国安の「氏仏」として地区の六斎と呼ばれる人達によって交代で光勝庵を管理している。

  

余呉駅から長浜駅へ

 

  湖北の観音路

コメント (1)
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