美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

昭和の名曲『愛と死をみつめて』 (イザ!ブログ 2012・9・23 掲載)

2013年11月30日 06時22分13秒 | 音楽
今回は、昭和歌謡の屈指の名曲『愛と死をみつめて』を取り上げます。



この曲が生まれた背景として、同名の本がベストセラーになったことが挙げられます。Wikipediaからの引用です。

『愛と死をみつめて』は、大学生河野 実(マコ、1941年8月8日 - )と、軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島 みち子(ミコ、1942年2月3日 - 1963年8月7日)との、3年間に及ぶ文通を書籍化したものである。1963年(昭和38年)に出版され、160万部を売り上げる大ヒットを記録。関連本として、大島著の『若きいのちの日記』や河野著の『佐智子の播州平野』も出版された。

この曲は、後の超大物音楽プロデューサー酒井政利氏の初めてのレコード・プロデュース作品です。彼は、次のように事を運びました。同じWikipediaから。

酒井はベストセラー本を歌にしようとひらめき、書店で出版直後の原作本と出会うが、若い素人の往復書簡という体裁に新鮮な魅力を感じ、著名のベテラン作詞作曲家でなく、あえて若手作家が作ることで素直に表現できると考え、大矢弘子(当時レコード会社に詩を投稿していた明治大学4年生)に作詞、土田啓四郎(大阪在住の新進作曲家)に作曲を依頼する。歌手は、12歳でコロムビア全国コンクール第1位となった青山和子(当時18歳)。

この曲は、1964年のテレビドラマ版の主題歌であると誤解されやすいが、ドラマで使用されたのはシンプルなインストルメンタルBGM曲のみで、青山和子が歌うこのレコード企画とは全く別のプロジェクトである。


酒井氏の目の付けどころが、確実にポテン・ヒットを打とうとする並のプロデューサーとは違っていたのです。「新鮮さ」、これがこの曲の命です。だからこそこの曲は、いまだにまったく古びていないどころか、永遠に初々しいままなのです。これが歌謡曲であるのは間違いないとしても、では演歌なのかといえばどうも違うし、かといって、Jポップ系の走りなのかといえば、そうでもない。ジャンル分けが難しいところに、この歌のユニークさがよくあらわれているのではないでしょうか。「歌謡曲とはこういうもの」という固定観念をまったく持っていない歌い手からしか、こういう清冽な印象の歌は生まれえなかったことが、結果をすでに見ているわたしたちにはおのずと分かります。

この曲が発売されたのは、1964年の7月5日。私が、まだ幼稚園に通っていたころのことです。テレビの歌番組でこの曲が歌われているのを聴いた記憶が残っています。

この歌を聴いていると、自分の心のいちばん無防備なところに響いてくるのを感じます。正直にいえば、この歌を聴くと、無条件で感動してしまうのです。なんだか心のけっこう深いところで受けとめてしまっているようなのです。とすると、もしかしたら、この歌の情緒は、私の恋愛観や女性観の、理屈抜きのベースに当たるものの少なくとも一部分を成してしまっているのかもしれません。こういうことは、断言してみても詮無いような気もしますが、なんとなくそういう感触があります。

こういう曲とめぐり合うのは、その歌い手にとって運命的なものとなります。青山和子さんは、ほかにも『青い山脈』(1962)や『旅の夜風』(1965。映画『愛染かつら』のテーマ曲)『きみの名は』(1966)などいい歌をたくさん歌っています。でもやはり、青山和子といえば『愛と死を見つめて』、『愛と死を見つめて』といえば青山和子、でしょう。それくらいにこの曲の存在感は強烈なのですね。だから、「青山和子はこの歌を歌うためにこの世に生まれてきた」という言い方が、さほど不自然さを伴うこともなく受け入れられることにもなるのではないでしょうか。

歌詞として、二番の「ふたりぃで夢見ぃた信濃路を」のところがもっともこちらの琴線に触れてきます。地名を歌詞に織り込むと、場合によっては、圧倒的な効果が生み出されることを再認識します。「みこ」の「まこ」への語りかけに耳を傾けていて、「信濃路」という言葉にさしかかると、私たちは、太宰治の『津軽』のセリフではありませんが、哀しいほどに美しいイメージが喚起されます。それは、小説家島崎藤村のおかげであり、また、詩人伊東静雄のおかげである、と言っても過言ではないでしょう。そのうえで、三番の「みこはもっと 生きたかったの」がダメ押しの効果を発揮し、私は完全にノック・アウトされます。何度聴いてもそうなってしまうのです。聞き手が感動するような仕掛けが張りめぐされた、「作戦勝ち」の歌詞ですね。もちろん、作詞の大矢弘子さんは、あざといさかしらでそうしたのではなく、研ぎ澄まされた感覚を頼りに手探りで感性の鉱脈を探し出した結果、おのずとそういう精緻な仕掛けがもたらされたのでしょう。

青山和子さんのプロフィールに触れておきましょう。彼女は、京都府京都市出身です。上品な京美人というわけです。芸名の名付け親は石坂洋次郎だそうです。西武ライオンズの名投手にして元監督の東尾修はいとこで、プロゴルファーの東尾理子は親戚にあたる、とのこと。『愛と死をみつめて』が大ヒットした1964年、同曲で第6回日本レコード大賞を受賞し、紅白歌合戦にも出場しました。また、現在も歌手として現役です。

なお、「まこ」こと河野実さんは現在、経営コンサルト会社を経営なさっています(2006年現在)。ご家庭をお持ちとのこと。みち子さんから「二人の愛は永遠に咲く みこのいのちをいきて」と託されて生き続けてきたその後の人生について、河野さんが本当のところどんな感慨をお持ちなのか、余人にはうかがい知れないところがあるように感じられます。いま私は、「託されて」と申し上げました。それは、実際にそういうことがあったかどうかに関わりなく、そういうことがあったという共同幻想を否応なく背負って、というほどの意味です。

三つの『愛と死~』をご紹介しましょう。

一つ目は、オリジナル・ドーナツ盤の『愛と死~』です。パチパチ音が、いいですね。

愛と死をみつめて(青山和子)
愛と死をみつめて - 青山和子 (歌詞CC付)


二つ目は、「京美人」としての、若かりし日の青山和子さんをご鑑賞いただくためにアップしたものです。AKB48などが逆立ちしても勝てない本物の女の色香が感じられます。こんな女の人がクラブやスナックで勤めていたら、意志薄弱な私など、通いつめてしまって身の破滅でしょう。こちらは、ぜひワイド画面でご堪能いただければと思います。この歌を劇的に盛り上げるのに必要な原曲の二番の歌詞がすべて削除されるという悪条件を克服するために、青山和子さんは、表情や身振り・手振りを効果的に使っています。その上で「元気になれずに ごめんね」の箇所に情念のすべてを注ぎ込んで、聞き手の圧倒的な感動を呼び起こすことに成功しています。

愛と死をみつめて 青山和子


三つ目は、話題のボーカロイド・初音ミクの歌う『愛と死~』です。この動画を取り上げたのは、もしかしたら若い人たちの間では、こういう形でこの曲が引き継がれていくのかもしれない、と思ったからです。こういうふうに加工されてしまっても、「永遠の初々しさ」というこの曲の命は損なわれていない、という印象があります。それにしても、このキャラのしぐさや、効果的なまばたき、よく出来ていますね。アニメキャラの女の子の可愛らしさにエロス的に「ヤラレて」、それでとりあえず満足してしまう草食系男子が増えるのもなんとなく分かる気がします。こちらも、ワイド画面でお楽しみください。ただし、このキャラのあまりの可愛らしさに引き込まれて、オタクになってしまわないように気をつけてくださいね('∀`)。

愛と死をみつめて


人はなぜこの曲を聴いて、心を深く動かされるのでしょうか。私の心の無防備なところから漏れ聴こえてくる声に耳を傾けてみましょう。どうやら、次のようなことを言っているようです。

《人は、恋愛の絶頂で震えおののく。それは、その絶頂がやがては失われるときをどこかで予感するからである。つまり、恋愛の喜びは、その周辺を、それを失うことへの不安によって縁どられている。さらにいいかえれば、恋愛の歓喜は、有限な生に対する深い自覚にもとづく根源的な不安に脅かされているのである。名曲『愛と死をみつめて』は、そういう恋愛の真実を、だれにでもよく分かる極限的なイメージで鮮烈に照らし出す。だから、人はこの歌のリアリティに感じ入り、深く心を動かされるのである。》

ちなみに、「ふん、オレは両想いの経験なんぞありゃしないゾ。それでも、この曲は好きだ。だから、お前の言うことは、オレのケースにはあてはまらないゾ」と思われた方がいらっしゃったら、説得まではしませんが、一つだけ小耳に挟んでおいて欲しいことがあります。

それは、両想いと片想いとは、見かけほどには、その本質に変わりがないのではないか、ということです。人は、片想いにおいてもエロス的な喜びを貪ろうとします。片想いのときの方が、貪りの強度がはなはだしい分、たとえ傍目にはぬか喜びにすぎなくても、かえってその喜びもひとしおであるとさえ言いうるのではないでしょうか。だからこそ、それにともなう不安もひとしおである、ということになりましょう。そういうわけで、この二つの恋愛は、その形のうえでの違いほどには、そんなに違うものではない、という言い方に、少なくとも一理くらいはあるのではないかと思うのですね。むろん「だから、片想いで満足しなさい」などという気はありませんよ。片想いは、切なすぎますから。両想いの方が、良いに決まっています。

蛇足になりますが、B面の『若きいのちの日記』には、正直に言って、心を動かされるものがありませんでした。モチーフが同じでも、扱い方ひとつでずいぶん印象が変わるものなのでしょうね。

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