春夏秋冬~写真に恋して~

尚、当ブログに掲載している写真の無断使用・無許可転載を禁止しています。

仁和寺 五重塔

2009-10-30 | 京都
10月も明日で終わり、いよいよ秋本番がすぐそこまで来ています。
今年の紅葉は少し早い様で、仁和寺の紅葉も色づいていました。

本日は東映時代劇撮影も行われていました。

上津屋橋

2009-10-28 | 京都
10月18日に台風18号の豪雨の被害を受けて、橋桁たけを残して流れてしまった、通称「流れ橋」の上津屋橋です。
前回流れた1997年以来12年ぶりです。

江戸時代は多分地域の人々総出で協力して復旧したに違いないのですが、現在は試算3000万円が必要とか、、??!




亀岡祭

2009-10-24 | 京都
京都駅から、電車に揺られ左右に京都の街並と保津峡の景色を垣間見ながら30分。京都の奥座敷と呼ばれる「亀岡市」に到着します。

「明智光秀」が黒井城の戦いで、「丹波の赤鬼」と呼ばれた、赤井直正軍を執念で破って丹波亀山城主になった歴史もあります。

和による国づくりを目指したその人柄が今も市民に愛されている証として、5月3日には「光秀まつり」として手作りの鎧兜を持ち寄り、市民総参加の祭も行なわれる。

春の祭「光秀まつり」に対して、秋の祭は「亀岡祭」です。
写真は、謡曲「羽衣」の天女の舞姿と漁夫をご神体とする山鉾です。この他個性的な10基の山鉾が、旧城下町を飾ります。


日没を過ぎると古い街並の歩道を、色とりどりの切り絵の灯籠や花灯籠に灯りが入り、山鉾の提灯の明りのもと「振る舞い酒」「お汁粉」「おでん」が振る舞われます。


商店街や亀岡市、山鉾、祭と私の知る限り4つの異なるスタンプラリーも同時に楽しめます。




京都三大祭「時代祭」

2009-10-23 | 京都
京都三大祭「時代祭」が10月22日華々しく行なわれました。
昨年(2008)はスタート時より雨に見舞われましたが、今年(2009)は晴天に恵まれ古都の街が1000年の時代絵巻に飾られました。

「祇園祭」「葵祭」と共に「京都三大祭」の一つの「時代祭」です。

写真は「和宮様」


          「静御前」

「吉野山峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき」
 「しづやしづ賤のをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」

鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられ、義経を慕う歌を唄った事は有名です。




「藤原 為家」


「小野小町」

「淀殿」

「清少納言」

城島健司

2009-10-21 | 博多
以前10年間福岡博多で暮らしていました。
その当時平和台球場の近くに会社があり、ダイエーホークス(ソフトバンクホークス)の応援に通った思い出があります。

その後福岡ドームが建設され、王監督が博多に来られ、当時は弱いダイエー時代を懐かしく思い出します。

そんな頃福岡ドームでおこなわれたファン感謝祭で、写真撮影に快く応じてくれた新人選手がいました。
今もその時の声が耳に残っています。「もう良いですか!」(笑)

バッティングだけに専念したら、三冠の可能性すらあった気がします。
ただ幸運が不運か、当時のダイエーには、「工藤 公康」さんと「武田 一浩」さんの球界屈指の左右のエースが存在していました。

毎日2人の教え(イジメ)を受けて今の城島がある事は、疑いない事です。
勿論若菜コーチの存在があった事は、みんなが知っています。

今回契約を二年残して「マリナーズ」を退団します。
日本で学んだリードの法則と、180度違うメジャー,ベースボールの狭間で悩み、孤独な日々があった事は承知の事実として。
日本の野球に戻ってくる事は嬉しい事です。

根っからのホークスファンとして、もう一度「工藤 公康」さんとのバッテリーが見たい!!!
本当に見たい!!







広沢池

2009-10-19 | 京都
東に500m離れた大覚寺の大沢池と同様に、観月の地として有名です。
ただ大沢池が庭苑池なのに対して、灌漑用として整備された広沢池周辺には昔ながらの田園風景が広がっています。
歴史的保存地域の為、電柱や看板等の人工物は制限されていて、のどかな時間が過ぎて行きます。

大沢池

2009-10-19 | 京都
京都嵯峨野の地は、その昔大堰川が流れ込む沼地であったとか。
諸説ありますが、秦氏一族が灌漑技術で田園地帯に変えたとも言われています。

やがて、王朝人の別荘が建てられる様になります。
そして、嵯峨の地をこよなく愛した嵯峨天皇の離宮である嵯峨院、及び日本最初の庭池の大沢池が作られました。

猿沢の池、石山寺とあわせて「日本三大名月観賞地」として有名です。




野宮神社「11回「斎宮行列」

2009-10-18 | 京都
野宮神社は、その昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王)が伊勢に行く前の準備として身を清めた所とされています。

野宮神社例祭として「斎王群行」を再現した「斎宮行列」が行われました。
絢爛豪華な王朝衣装に身を包んだ行列は100名余。嵯峨野、嵐山を平安時代へと誘いました。