津々浦々 漂泊の旅

「古絵はがき」 に見える船や港。 そして今、バイクで訪ねた船や港のことなど。       by ななまる

大島から大島へ

2011-12-03 | 旅行
鞆の浦に立ち寄った時のこと。玉津島に渡ろうと、漁港の防波堤に差しかかると、本瓦造船本社工場に
両頭型カーフェリーが見えた。もしや…と歩を進めたら、案の定、もと新居浜市「おおしま」だった。新居浜市
黒島港から沖合の大島へ、2.5㎞を15分で結んだカーフェリーである。
新居浜市が発注した新造船「おおしま7」は、本瓦造船で2011.08.01進水、10.26竣工した。一方、東日本
大震災で被災した大島汽船(気仙沼)は、本瓦造船に新船(カーフェリー)を発注したが、竣工まで日時を要する
ことから、その間のピンチヒッターを探していた。新居浜市「おおしま」は廃船となることから、本瓦造船が大島
汽船へ橋渡しを行い、調整の結果、無償譲渡が決まった経緯がある。11.03新居浜市大島において譲渡式
が行われた。「おおしま」130590 / JL5766、115G/T、Loa27.00m、200名、1989.07、藤原造船所。



本瓦造船本社工場には「第三十五恭海丸」もいた。「おおしま」はマイクの調整をしていて、これは試運転も
近いなと直感したが、14:30になり、エンジン音が響き、排煙が上がった。出港時、何と「おおしま」は「サイレン」
を鳴らしたのである。これには驚いた。「キュキュキュィーーン、キュキュキュィーーン」と、尻上がりに高くなるこのサイレン音、
最後に聞いたのは「父島丸」である。当時、東京・父島とも、出港は夕刻だったため、冬などとっぷり日は
暮れて、夕闇に響くサイレンを物悲しく聞いた覚えがある。現在でも、港則法は「汽笛又はサイレン」としているが、
映画等の効果音にしか聞けない音となっている。



新居浜も気仙沼も、島名は大島。船名の「おおしま」は改名していない。船籍は「新居浜」から「気仙沼市」
に書き換えられていた。
思えば、最初に気仙沼に小型客船を訪ねてから、四半世紀が経過した。当時は、船首部から乗下船する、
特徴的なスタイルの小型客船が多数活躍し、カーフェリーは因島汽船から来た「ちかみ丸」だった。気仙沼湾内に
限ると瀬戸内のような水域で、次には蒲刈フェリー「ななくに」がやって来た。

暦は12月となった。年末に発表される10大ニュースのトップは、東日本大震災となることだろう。私自身、震災
は直接、仕事に影響した。その関係で、被災地にも出掛けている。しかし、しばらくの間、船見で被災地
入りするのは止めておこう…と決めていた。
ゴールデンウィーク前半は新潟県、後半は青森県と計画し、先ずは佐渡航路、粟島航路と歩き、青森に向かう
べく、山形道経由で北上市に入り、宿を取った。天気予報を確認したところ、青森の翌日の予報は雨。
バイクの撮影行は天候に左右され、季節による制約も大きい。東西方向の移動は数日先の天候の見込み
が立つものの、南北方向の移動、特に、東北や北海道方面への遠征は、気流を横断する方向なので、
先々の天候が読めないことも屡々だ。今回も週間予報が急に変わった。進退窮まり、急遽、気仙沼に
向かうことにした。

05.04朝、一関市まで戻り、国道284号気仙沼街道を東進した。途中、幾度も自衛隊車両とすれ違った。
被災後55日目の気仙沼は、貯木場のような、湿った木の匂いが充満していた。被災地のことを細々書く
のは控えたいが、まずは「フェリー大島」の姿を探し求めた。揉まれるまま流されるその姿は、TVで
幾度も放映され、衝撃的であった。他の船含め、無事を祈らずにはいられなかった。
大川河口方面に打ち上げられたのかもしれないと、一本しか通行出来ない道を、山越えした。そこに
広がっていた光景には、息を飲んだ。家屋の残骸の中、ようやく、車が通れる道が開かれたばかりの
ようで、山を下った先は、立ち入り禁止になっていた。そこにも「フェリー大島」の姿はなかった。
季刊「しま No.226」(日本離島センター)によると、船舶の被害は次のとおり。

大島汽船所有船7隻のうち5隻が島に乗り上げ(うち1隻が炎上)、2隻沈没。
使用可能船舶なし。定期船が発着する港が壊滅的被害。


船名は次のとおり。
■島に乗り上げた5隻
 「フェリー亀山」「海来」「はつかり」「はやぶさ」 大島浦の浜に打ち上げれられる。
 「フェリー大島」 漂流後に炎上し大島瀬戸に入り、亀山から見下ろせる位置に座礁。
■沈没した2隻
 「海王」「カメリアキッス」



大島浦の浜の「フェリー亀山」と「海来」。係留されていたポンツーンごと打上げられた。背景は亀山。



江田島市から無償貸与を受けた「ドリームのうみ」。後に「海来」と「フェリー亀山」が見える。
奇しくも、「ドリームのうみ」と「フェリー亀山」は、共に本瓦造船で誕生している。

被災後の大島航路。
03.13 「ひまわり」が1日3便の運航再開。
03.30 「はやぶさ」(丸文松島汽船)を用船し1日8便。所有船とは同名異船。
04.27  無償貸与を受けた「ドリームのうみ」(江田島市)で、カーフェリー運航再開。
GW頃 「はつかり」「はやぶさ」を海へ下ろす。
GW頃「しまなぎ」(シーパル女川汽船)を用船。
08.17 「フェリー亀山」海へ下ろす。
08.19 「海来」を海へ下ろす。
08.21 浦の浜のポンツーンを海へ下ろす。
09.27 「海来」が航路復帰。
10.05 「ドリームのうみ」(江田島市)無償貸与期間延長の契約締結。(10.15→03.15)
10.31 「フェリー亀山」航路復帰。カーフェリー2隻体制となる。
11.03 新居浜市より「おおしま」の無償譲渡を受ける。





新居浜市「大島」を後に、黒島港へ向かう「おおしま」。工業団地の護岸に立つと、一瞬、水平線を
背景に、のどかに航行する姿を捉えることができる。
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