徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

小松島にデーテンが来た頃

2016-08-14 21:09:02 | 蒸機時代の徳島で撮ったん


うっかり昨日投稿するんを忘れてました。。。8月になってから未だ一度も撮り鉄してません。お盆は貨物が無いし例年18切符で乗り鉄ですが今年はそれも無し。


徳島では阿波踊り、高校野球も珍しく?勝ち進んでますねぇ。夏真っ盛りですが最近は徳島に帰省しても空の青さが以前ほどじゃないような気がします。上の写真は4年前の8月、こういう入道雲しばらく見てない。来週はどこか出掛けますよ。


順番なら7月の湘南撮り鉄を載せるんですが、8月で、しかも阿波踊り期間と言うことで昔の撮り鉄仲間であったあったK君が撮った貴重な写真を。


K君は当時小松島市内在住で、よく一緒に撮ってましたがこれはK君のみの撮影です。ここは小松島本駅奥の貨物ホームですね。機関士の方々がマニュアル?片手に色々見てるところでしょう。後ろの貨車は徳島では珍しいテムの様です。やはり名鉄局の所属。


ネガフォルダーには1969(昭和44)年8月23日の日付が入っています。この日が初めて実車が来た日なのか、あるいは教習用に何度か来たのかは不明。


土讃線には1957年からDF50が入った様だし、松山にも1965年に全国で初めてデーテンが配置されています。徳島ではこの年やっと高松のデーテンが乗り入れて来て8月一杯は蒸機と併結で練習していました。


この一連の写真はデーテン教習中の光景も貴重ですが、小松島駅奥の様子が記録されているのも大変貴重です。貨物ホームが終わった先は留置線があり左側の客貨車支区で検修される貨車が並んで居ました。右端は直ぐに神田瀬川で簡単なクレーンもあるので昔は海陸連絡もされていたんでしょう。ダイハツのオート三輪が停まっていますが何とトレーラーを牽いています。


構内の線路を行ったり来たりして交替で運転していたんでしょうか。ちゃんと操車掛さんが乗ってるところがさすがに国鉄だと思います。オハユニ61改造のオエはもっと前からここに居ます。


正規の貨車の入れ換え業務を教習に充てていたのかもしれませんね。


これは貨物ホームからですね。C11-137が牽いて来た列車は、池田を9:40に出て徳島に12:12に着く428レと言う列車があって、その客車の回送だと思います。このC11はこの後17:24発の穴吹行き425レを担当します。


到着したC11の横を抜けて機関庫の方へ行くようです。C11-137号機は漏斗状に開いた増炭板が特徴です。働きずくめで石炭は空っぽに近い?真夏ですから通風口全開です。


一連の写真最後は臨港線の方に向かうところ?あるいはちょっと進入して折り返すところでしょうか。いずれにしてもこの線に車輌が入ってる写真はこれしか持っていません。それもK君撮影で自分では一度も見たことさえありませんでした。給炭台右側にはさっきの137号機が入線中、その背後には日赤病院の建物が写っています。

K君の撮ったネガからスキャンしたのは以上ですが、以下は小生が撮った同じ8月の併結運転の写真です(殆ど再掲ですが)。

多分先週の記事で冒頭に載せた写真の続きだろうと思います。夕方穴吹に向かう425レ。背景は眉山ですよ。


ほぼ同じ場所で小松島に向かう428レの客車回送。8月(日にち不明)ですが既に単独運転です。


これは高徳本線下り貨物が佐古を出て徳島に向かうところ。ここも夏休みによく来たところです。


後追い。列車が通過中の踏切は業務用では無く警報機もありませんでしたが誰でも通れました。


別の日。地平時代の佐古駅ホーム。立派な跨線橋があって分岐駅としての貫禄がありました。


この翌月から高徳本線列車は客貨共デーテンになり以後ここで撮った写真はありません。当時は蒸機しか眼中に無かったんですが今にして思えばもったいないことをしました・・・


また後追い。この頃は未だ田宮川に繋がる貯木池がありますね。冷蔵車は徳島から鳴門線貨物に継送されていたと思います。

懐かしい・・・阿波踊りの動画でも見よかぁ。









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