弓道日記

弓道稽古の過程で教わったこと、気づいたことなどをまとめていきたいと思います。

宇都宮市弓連その他

2007-04-30 23:29:35 | Weblog
今日アップしないと4月は一度もカキコしないことになってしまうので(汗)、さぼりまくっていたブログを再開です。今年のシーズンも始まりましたしね♪
とりあえずさぼっていた間の射会その他の記録です。なにしろ久しぶりなので中った箇所など多少記憶が曖昧ですが、一応トータルの的中数は合っているはず。

3/18 宇都宮市弓連 at屋板弓道場
 ××|××××|○×○○|○××○|×××○|6

4/1  ピカチューカップ at屋板弓道場
 ×○|××××|×○×○|3

4/8  宇都宮市中央支部射会 at県体育館弓道場
 ○○|×××○|○×○×|××|5

4/14 一般練習会(遠的) at県体育館弓道場
 9379|0303|7595|50109|82
4/14 一般練習会(近的) at県体育館弓道場
 ○×××|○××○|×○×○|×○××|×××○|××○×|8

4/22 唐澤山奉納武道大会 at佐野市弓道場
 ○○××|2

4/29 宇都宮市弓連 at屋板弓道場
 ××|○×○×|×○○×|○○×○|×○××|8


ってゆうかねぇ、こうやってみるとやっぱり碌なもんじゃないです(涙)せめて5割くらいは苦労せずに的中するようになりたいのですが。

しかも昨日の市弓連で押手弽使わずに引いてみたところ案の定親指の皮が裂けてきてしまい、途中から押手弽を使わざるを得ない状況になってしまいました。この日は市弓連の総会もあって桂林寺でご指導をいただいている師も参加されていたためご相談をしたところ、「弓力を受ける位置が高い」とご指導をいただきました。「高い」というのは表現が難しいのですが、もっと親指の付け根の部分(骨の辺り)で受けるようにとのことでした。また併せて大三に入る際に掌根が弓を覆うようにすること(おそらく以前市弓連の会長からご指導をいただいた「三角の手の内」)を意識するようにとご指導をいただきました。


ここ1ヶ月くらいで特に注意しているのは、
・息合い(桂林寺では常に師に怒られています(XoX))
・引き分けで弓手肩を上げないこと
・妻手の引き始めを横に引くようにすること
 (いわゆる「反り橋」の軌道)
・引き分けから会に納めるところで妻手肩を前に突き出すようにすること
・会で妻手肘を裏的につくようにすること
・離れで肘を押している方向に妻手を抜くこと
・引き分けから徐々に角見を効かせていき、この力を残心まで繋げること

といったところでしょうか。これらは安定した離れを実現するために注意している部分になります。

また「どうにもうまくいかないな~」と感じる部分もありまして、

・注意しているのにやっぱり息合いが乱れている
 (特に引き分けから会に入る部分)
・注意しているのにやはり弓手肩が上がっているような気がする
・手の内(にかかる弓力の感覚)が毎回違う感じになる
・会で弓手が押し負けている
・離れでゆるむ
・やっぱり手先で引いている感じがする
 (矢数をかけてくると弓手の前膊部が張ってくる)

といった部分です。
それと最近決定的に自覚しだしたのが、「行射中に集中できていない」という部分です。
これはそれこそ弓道を始めた最初からずっとそうなのですが、引いている最中に、それこそ会で伸合いをかけなければならない際ですらいろいろなことを考えている状態で、以前は「そんなもんだろ」くらいに思っていたのですがやっぱりこれをなんとかしないとよくない気が激しくしてきました(XoX)

大会とかで多少緊張感がある場合の1本目などは何も考えない(考えられない)で集中して引けることはあるのですが、そうでないときはどうにも集中できていないというか。

以前からブログに書いているとおり、弓手がどうとか肩がどうとか、射のことを考えていることもありますし、「前の矢がどこそこに抜けたからねらいをちょっといじる」みたいなことを考えることもしばしばあります。どっちかというとねらいよりは力のかけ方を変えてみる方が多いかな?
ただこれはまだましな方で、射のこと以外にも「これ中ったら5割だ~」とか「うぉ~また今日も中らねぇ~ムカツク~」とかそんなことを引きながら考えていることもありますし、さらに弓道とは全く無関係なことを普通に考えていたり、頭の中でデスメタルが流れていたりすることも(^^;)

上手な人はいったいどんな感じなんでしょうか?
やっぱりいろいろ考えたりすることはあるのでしょうか?
少なくとも射のこと以外は考えることは無いのでしょうか?

これを追い求めていくと恐ろしく精神的な修養が必要な気がしますし、そんなことが自分などにできるとはとても思われないのですが、やっぱりせっかくやるならもっと上手になりたいですし、そうなるとここから逃げ出すわけにもいかないし。ここに踏み込むことが「弓禅一如」なのでしょうか。なんだか大仰で偉そうでピンとこなくてあんまり好きな言葉ではないのですが。